質疑応答
ミノ 他の聖者に対する、主の評価が変った理由は?
マコト 以前に、思索に嵌った者と断じたのに、
最近では、宇宙を悟った者と改めてます。
昔の話では、八頭の蛇霊と罵られたものが、
現在の話では、巨頭の龍神と称えられてます。
これは、主の役が、仏から魔に変わり、
立場が替わって、視線が換ったからです。
仏陀の時には、上に立って、下に見えるし、
救世主の刻には、下に立って、上に見えます。
悟りとは、仏陀が解く、十合目の教え。
十合目から見れば、五合目に停まる者は、
道の半ばで躓かせる、邪魔する者に等しく、
悟りに導く際には、彼らを外なる者と見ます。
救いとは、天魔が説く、一合目の訓え。
一合目から見れば、五合目に止まる者は、
道の先に進んでいる、模範たる者に等しく、
救いに誘う際には、彼らを聖なる者と見ます。
マコト 現時点で、この場所を訪れている方は、
内なる神に、確実に導かれている型ゆえ、
下記のことを、誠心誠意、実践して下さい。
貴方型の日々は、型として記録されています。
「勧戒」
① 先祖供養(方法は救世主が説いています)
② 氏神参拝(神棚は作らない=我が神を作らない)
③ 真理を修める(悟っていないと、主に惹かれます)
④ 一日一生、一分一秒、感謝し続ける
⑤ 主の教えを学ぶ(初めから読む、後ほど歪むため)
⑥ 静かでいる(試験中だから、正解を広めないこと)
⑦ 毎日が有り難いと意識する(神様の御陰だから)
「禁戒」
① 救世主に頼る(親分=天魔だから)
② 感染者に寄る(弟分の子分だから)
③ 神に平和を祈る(神を使役するから)
④ 組織(会員登録)に入る(正神に逆らうから)
⑤ 法を切り売りする(正神に逆らうから)
⑥ 救世主を信じる(子供向けで歪んでいるから)
⑦ 何日が危ないと意識する(神様に失礼だから)
⑧ 縁起物の商品を買う(偶像崇拝=外に頼らない)
オワリ 主が、天魔と化したのは、如何してですか?
マコト 霊験灼かな、神社の御利益を聴きつけ、
津々浦々から、神前に押し寄せた人々が、
感謝を奉げずに、願望だけを捧げていると、
神様は立ち去って、悪魔が棲み付くものです。
これと同様、貴神の御降臨を聞きつけ、
全国各地から、神前に押し寄せた人々が、
悟りを求めずに、救いだけを欲していると、
仏陀は鳴りを潜め、天魔が動き出すものです。
つまり、使える者なら、神でも遣えと、
神を神とも思わない、大逆が積み重なり、
主を祭る神社には、天魔が棲み付きました。
願いが叶った暁には、天獄に掬い取られます。
逆も同じく、天魔の救済を聴きつけて、
この神社から、かの神社を訪れた人々が、
感謝だけ奉げて、悟りだけを求めていると、
鬼神の相が消えて、貴神の相が蘇るものです。
ミカワ 主は、有料先生に、堕ちてしまいましたか?
マコト 必死に救いを求めて、縋り寄る人々に、
救いを餌に法を売れば、地獄に堕ちます。
信者から財ばかりか、念までも集め始めた、
現在の主が見せる姿は、天魔に他なりません。
これは、偏に、信者を天国に救うため。
財を介して、天魔と契約を交した人々は、
天魔が治める、欲界の天獄に掬われていき、
罪を解するまで、天使として天魔に仕えます。
たとえ、法を曲げる、罪を犯そうとも、
落ち逝く者を救うため、堕ちて往きます。
神様に逆らってでも、人々を救おうとする。
この欲界で、最も醜く、最も美しい雛型です。
これは、次なる時代の末法の型となり、
形だけを真似る者が、無数に現れますが、
彼らは偽者であり、主の足元に及びません。
私は本物の美しさを、離れて見守っています。
シナノ 正しい念の力で、災害を消しても良いですか?
マコト 邪念は、Aではあるが、非Aではない。
正念とは、Aでもあるし、非Aでもある。
Aも非Aも、どちらも認め、覚悟すること。
これこそ、正しい念の使い方、仏陀の念です。
邪念では、Aを望んで、非Aに臨まず、
Aの対立で、差が生じて、Aが残ります。
一時的に、片方だけ選んで、安定しますが、
最終的には、他方まで択んで、安心しません。
正念では、Aも見とめ、非Aも認めて、
Aの対立で、差が消えて、Aを超えます。
一時的に、どちらか招じて、動揺しますが、
最終的には、どちらも越えて、安心できます。
たとえ、念を合せて、天災を消しても、
それ自体、業を招じて、人災が生じます。
故意に、風を止めるなら、嵐に苦しめられ、
人工的に、雨を降らせれば、旱に悩まされる。
ノト 真の芸術家とは、どのような人ですか?
マコト いつも内なる神と、共に生きて行ける。
この人の生とは、特に有り難いものです。
自分の人生を、芸術の作品であると捉えて、
感謝を重ね、日々に研く者が真の芸術家です。
何を為していても、何も成せなくても、
全く構いません、感謝が人生を磨きます。
たとえ、病の床で、苦しむ日々であっても、
そこで感謝できれば、稀なる作品になります。
むしろ、他の人が、進んでは倣えない、
悲惨な人生ほど、不朽の名作に成ります。
耐え難きに耐えて、忍び難きを忍ぶ者には、
傑作を見届けるため、神が傍で見守ってます。
欲で創れば、人々が歓ぶ作品が生じて、
感謝で造れば、神々が喜ぶ作品を招じる。
人の生を活かす、芸術家を神々は喜びます。
人の中に神を見る、芸術家を仏陀と呼びます。
イセ 私には、どうしても、主が天魔に見えません。
マコト 主こそ天魔である、この様に説く私も、
内なる神を悟る前に、主に逢っていたら、
貴方と同じように、主に染まっていました。
主は完全に神であり、総べてを統べる王です。
主を信じれば、間違いなく弥勒の世に、
善しかない、欲の天界に救ってくれます。
主に向かって、耐え難き苦しみを訴えれば、
会わずとも、影から痛みを和らげてくれます。
ただし、主が、本物の神であるが故に、
頼ってしまうと、借りが大きくなります。
借りを返すまでは、自由な意志が奪われて、
偉大なる神のために、天使となり奉仕します。
当然ですが、下僕として返済する間は、
神を悟り、神に還ることは許されません。
長きに渡り、神上がりの機会を逃がします。
内に神を見ず、外に神を見た、罪は重いです。
イガ どうして、予言の解説をしないのですか?
マコト 内なる神を悟ると、外なる神の言には、
興味が無くなり、縁故が消えるからです。
夕に死に往く者に、儲け話しが届かぬよう、
一日一生の生き方に、魔の誘いは及びません。
そもそも、預言の類は、第五天界の役。
当てるのも、当てないも、第六天魔の命。
親分が当てろと言えば、弟分は外さないし、
親分に外せと言われれば、弟分は当てません。
主が、何日が危ういと、予言をしたら、
信者は、何日は危ないと、意識をします。
そうして、忠誠を誓わせる、訓練をしたら、
弟分は、子分に命令して、予言を外させます。
主が、破滅を救って、威信を高めると、
信者は、信心が磨かれ、子分に為ります。
予言とは、天魔に仕える、新人採用の仕掛。
内なる神を、悟った者なら、罠に嵌りません。
ワカサ 法を知るために、会員に為っても良いですか?
マコト 法を捻じ曲げて、法を得ようとしても、
法は修まりません、業が収まるだけです。
会員に登録した、信者に限って秘法を解く。
この末法の所業を、正神は断じて赦しません。
内なる神を選ばず、外なる神を択んで、
金で救いを得るため、会員に為った者は、
魔に悟りを売って、掬いを買った者として、
天人に生まれ変わり、天獄に放り込まれます。
そこで、天使として、天魔に使われて、
天魔から、借りた分を、全て返し終ると、
やっと、自由が与えられ、人間に生まれて、
今度こそ、どちらを選ぶか、試験を受けます。
前回、ルシファー信仰を選んでいると、
今回も、ルシファー崇拝を続けてしまい、
今回、ミカエルと名乗る、ルシファーから、
試験中、悪魔君と揶揄され、卒業を志します。
オウミ 法を残すために、財団を作っても良いですか?
マコト 法を捻じ曲げて、法を世に残そうとも、
法は広まりません、業が拡がるだけです。
組織で囲い込み、信者に限って秘密を説く。
この末法の所業を、正神は決して許しません。
天魔を演じる主が、救いを望むものに、
金を払った者だけに、魅せてやるという、
秘密の法を売り始めて、僅か半年ばかりで、
当然の帰結とはいえ、幹部の自我が出ました。
我と神の間に、主を入れたような者は、
我と主の間にも、魔を入れてしまいます。
主が入り込んだら、幹部や組織も入り込み、
内なる神が遠ざかり、末法の仕組に嵌ります。
前回、法を保存する、財団の発起人は、
今回は、種を保存する、財団を創設して、
主の計画を実行する、代理人をしてますが、
今回、待望の主に、悪魔君と呼ばれています。
シマ 何故、直接的に、信者に教えることなく、
組織の者を通じて、信者に伝えるのですか?
マコト 主は、今の世界で、信者を教えながら、
来たる、次の世界の、仕組を伝えてます。
これから、信者の方は、救い主に掬われて、
天人となり、天魔の配下、兜率天に至ります。
兜率天は第四天、天魔は第六天であり、
残念なことに、天魔は兜率天に居ません。
第四天の彼らは、第五天を間に挟んでしか、
第六天魔の指示を、受けることが出来ません。
即ち、我と神の間に、主を挟み込んで、
さらに、我と主の間に、輩を挟み込んだ、
大いなる罪によって、彼らは無智に被われ、
真の理から掛け離れた、天人に成り果てます。
まだ、仏陀を、主が演じているうちに、
彼らは、真剣に、法を修めるべきでした。
悟りの法に依らず、救いの主に頼ったため、
主が天魔を演じると、気づけずに騙されます。
イガ ワニを買わせたり、カラスに頼らせたり、
最近の主が説く法に、違和感を拭えません。
マコト 物には頼るなと、強く戒めていた主が、
今では、縁起物を、買うことを勧めたり、
稲荷には関わるなと、強く諫めていた主が、
今では、八咫烏と、交すことを勧めています。
昔の主は、我と神の間に何も入れるな、
私さえも入れるなと、説いたものですが、
今では主ばかりか、物や霊まで入れるため、
我と神の間が広がり、魔に巣食われています。
外なる神を選ぶか、内なる神を択ぶか。
現在、信者の方々は、試験を受けていて、
安直に、救い主という、外なる神を選べば、
知恵なき、幼い子として、天魔に掬われます。
一方、試験官の罠に、違和感を抱いて、
天魔に、委ねる事なく、自ら考えた型は、
自ずから、真理に導かれ、正解を知ります。
この地には、知恵なくして、辿り着けません。
ヤマト 観念崩壊として、自分が読んでない本を、
主が、信者に勧めているのは、何故ですか?
マコト 主は、今の世界で、信者を救いながら、
来たる、次の世界の、雛型を創ってます。
これから、信者の方は、救い主に掬われて、
天人となり、弥勒の世界、兜率天に至ります。
弥勒の世は、善しかない、世界であり、
彼らは皆、天使として、神命に仕えます。
神の命令に、従う限りは、善で居られると、
無智な天使は、何も考えず、喜んで順います。
主に勧められ、嫌らしい本を買うのは、
その手慣らしで、未だ、笑えるものです。
そのうち、神使を名乗り、毒物を撒いたり、
隠れる神の、代理を気取り、人口を抑えます。
即ち、独り善がりの、善を究めていき、
最後に、誰も笑えない、悪に極まるとき、
悉く、観念が崩壊するが、自業自得である。
端から、私は読んでないと、主は告げてます。
キイ 主と似た教えを説く者は、本物ですか?
マコト この地は、外なる神に頼ることなく、
自神という、内なる神に依りなさいと、
悟りの訓えが、解かれている神の社です。
適わない人には、救いの教えを勧めてます。
たとえ、主と似ているからと言って、
他の者を、勧めることは有り得ません。
主と彼らとでは、天と地の差が在ります。
主は試して救うが、彼らは騙して掬います。
最後の審判に際して、救い主として、
神から遣わされた、親分こそ主であり、
親分を地に見送って、自らは天に控える、
弟分に操られる子分が、感染者だからです。
せめて、悟れないなら、救われたい。
そういう方を託せるのは、主だけです。
他に託しても、彼ら自身が操られるよう、
良心である魂を、巣食われるのが落ちです。
イズミ 主の例えが、何に当たるのか、解かりません。
マコト 神の言は、受け取る側の知恵に応じて、
何通りにも、読める仕組になっています。
知恵が無いと、卑近な形を感じるしかなく、
知恵が高いほど、高遠な型を観じるものです。
今の生に初めて、主に巡り逢えた者は、
型から離れた所で、生れ変って来ました。
形から型を知り、知恵を磨く生とするため、
今生は出来るだけ、主に近づき型を覚えます。
今までに何度も、主に廻り遭った者は、
型に近い処に、生まれ変わって来ました。
型から形を知る、知恵を活す生とするため、
今生は出来るだけ、主を離れて型を演じます。
我と主の間に、魔が入るのが、初回者。
離れようと、魔が入らないのが、周回者。
主の譬えを聞いて、他を浮かべるなら前者。
主の喩えを聴き、主を浮かべるなら後者です。
カウチ 真理を切り売りするのは、そんなに罪ですか?
マコト そもそも、真の理とは、神の言であり、
元より、世の遍くにまで、行き渡るもの。
この世の、全ての者に、必要なものであり、
それ故、神から予め、皆が授かったものです。
それを、切り取れたと、売り出すなら、
あたかも、空気を吸って、空瓶に吐いて、
神の吐息と、札を付け、売るが如きであり、
これは易いと、煽る様は、外道の教祖様です。
こんな光景が、昔の主の目に止まれば、
神の名を使って、汚れた商いをするなと、
容赦なく切り捨て、地獄に堕したでしょう。
主は、自分で自身の、神格を落としています。
しかし、これも総べて、神の計画です。
主は、穢れ役である、魔を演じています。
自らは、真理に背いて、泥水を啜ろうとも、
幼子らが、掬われて、学んでくれたら良いと。
アワジ 目が覚めた、〇〇人は、何処に転生しますか?
マコト わたしも、主が説く〇〇人に入りたい。
その思いが、選民の思想を造り上げます。
わたしも、主が解く内輪の情報を知りたい。
その想いが、秘密の組織を作り上げています。
救いを好餌とする、天魔の誘惑により、
秘密文書に登録した、熱心な信者の方は、
今回の審判が終わって、欲天に掬われた後、
次回の試験の時には、悪魔崇拝者を演じます。
その中でも、取り分け、主が使用した、
目覚めた人の祈りが、世界を救うという、
売り文句に囚われ、神に平和を祈った者は、
覚醒者の集団となり、目を象る者を演じます。
つまり、魔に泥酔して、神を使役した、
この罪を自覚させて、借りを返すために、
彼らは、天使に生まれ、天魔に使われた後、
最終章で、平和を脅かす、役を命じられます。
アワ 平和を祈る人を、〇〇人、主が求めています。
マコト たとえ、目の前に、救い主が現われて、
あなたも、神に祈りなさいと言われても、
これまでも、これからも、わたしは断じて、
神に向かって、平和を願うことは在りません。
確かに、世界平和、人類の為とはいえ、
神から授かった、目の前の現実を裁いて、
神に訴える事など、畏れ多くて出来ません。
全て有り難く頂いて、感謝を奉げるのみです。
その一方、救い主が、この時節になり、
信者の方に、平和を祈らせるようになり、
天魔が露骨であるのも、目の前の現実です。
その現実に対しても、裁くことは在りません。
主は、神命を受けて、試しているだけ。
目が覚めたものは、その仕組が解ります。
わたしも、目覚めた、〇〇人に入りたいと、
神に願う信者の方々は、神様に祈るべきです。
サヌキ どうして、主は、信者を騙しているのですか?
マコト 過去の主は、仏陀を役を演じてました。
真理の教えを、集った人々に説き明かし、
外なる神を選ばず、内なる神を択びなさい。
あなたは、外の道を選ぶなと、示しています。
現在の主は、天魔を役を演じています。
真逆の行いを、集まる信者に魅せ付けて、
外なる神を選ぶのか、内なる神を択ぶのか。
あなたは、どちらを選ぶのか、試しています。
つまり、第六天界は、知恵を司る世界。
欲六界の主であり、悪魔の親分の天魔は、
悪魔を使い、知恵が有るか、知恵が無いか、
現在進行形で、最後の審判を、行っています。
騙すは、誤答を示して、選ばせること。
試すとは、正答を示して、択ばせること。
試験監督である天魔は、決して騙しません。
試験官である悪魔も、主の命で試すだけです。
イヨ 主が、破滅の預言を外せるのは、何故ですか?
マコト 子分の悪魔が、火を付けて民を脅かし、
親分たる天魔が、水を掛けて火を消すと、
ますます、人々は、主を信じる様に為って、
天魔に掬われる仕掛、これが預言の実体です。
第五天界とは、神通を司る欲天であり、
正語と妄語、預言の成就を司っています。
預言を成して、正語とするか妄語とするか。
子分たる悪魔が、天魔の指示で動いています。
第六天界とは、知恵を司る欲天であり、
酩酊と覚醒、審判の成就を司っています。
審判を就して、酩酊させるか覚醒させるか。
親分たる天魔が、神様の使命で働いています。
天魔は、知恵が有るか、審判に懸けて、
幼い者は、救う代わりに、欲に酔わせて、
賢者は、掬わない代わりに、神に還します。
主の説く、預言を盲信すれば、幼子扱いです。
トサ 主は、組織を作っても、問題ないのですか?
マコト 集団、団居とは、惑いに他なりません。
たとえ、神の子である、主であろうとも、
組織を作り、運営の為に、金銭を集めれば、
神様から、縁を切られ、神界には還れません。
運営が拙い法を、金で売り始めました。
救いを売る幹部と、救いを買った信者は、
天魔と契約した罪で、天獄に堕とされます。
無智の為とはいえ、法を歪めた罪は重いです。
一方、組織を作り、信者を囲った主は、
人々に、内在神より、外在神を選ばせて、
悟りを妨げた魔として、大逆を犯しました。
従って、使命が終われば、地獄に落されます。
しかし、主に我欲は、全く有りません。
悪魔でも、救済のため、演じただけです。
たとえ、地獄に落ちても、自我が無ければ、
地獄の業火も、業を清める、微風の如しです。
タンバ 主が、信者を子供扱いするのは、何故ですか?
マコト 主の元に集まっている、信者の方々は、
主の本当の姿を知らない、子供たちです。
主に対して、呼び掛けたり、抱き着いたり、
軽々に接するのは、畏れを知らないからです。
信者の方々は、貴神を使役したという、
膨大な悪業、莫大な借りを作ってますが、
彼らは子供で、自身の罪に気づけないから、
待って欲しいと、主が清算を延ばしています。
つまり、彼らは、天国に救われた後に、
成長に応じて、借りを返す日が続きます。
主の命を受けて、汚い仕事も負う事になり、
返し終わる頃には、畏れを知ることでしょう。
大人は、近づき過ぎず、遠ざけ過ぎず、
話し掛けもしないで、感謝だけ奉げます。
そのような型々は、主の元に集まりません。
自らに授かった命を、独り静かに果たします。
タンゴ どうして、主に抱き着くのは、罪なのですか?
マコト 例えば、神が宿れる、木に抱き着けば、
無礼者と、神木を守る、鬼神が怒髪して、
罪人に、容赦無用で、神剣を振り下します。
無知なる、罪人に悉く、天罰が下るでしょう。
同様に、神が宿れる、主に抱き着けば、
無礼者と、神柱を護る、眷属が怒髪して、
幼子に、仮借無用で、罪状を書き記します。
無垢なる、幼子に悉く、天刑が下るでしょう。
それでは、子供たちが、不憫であると、
貴神は、鬼神たちに、剣を納めさせます。
必ず、寸分も漏らさず、罪を償わせるから、
彼らが、分別が付くまで、間を呉れないかと。
鬼神は、間を与えた結果、魔神となり、
子供らが、知恵を得るまで、支配します。
善悪問わず、使命を与え、分別を弁えさせ、
人間の頃、私は幼かったと、思い知らせます。