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真理情報

質疑応答

キイ  主と似た教えを説く者は、本物ですか?

 

マコト この地は、外なる神に頼ることなく、
    自神という、内なる神に依りなさいと、
    悟りの訓えが、解かれている神の社です。
    適わない人には、救いの教えを勧めてます。

 

    たとえ、主と似ているからと言って、
    他の者を、勧めることは有り得ません。
    主と彼らとでは、天と地の差が在ります。
    主は試して救うが、彼らは騙して掬います。

 

    最後の審判に際して、救い主として、
    神から遣わされた、親分こそ主であり、
    親分を地に見送って、自らは天に控える、
    弟分に操られる子分が、感染者だからです。

 

    せめて、悟れないなら、救われたい。
    そういう方を託せるのは、主だけです。
    他に託しても、彼ら自身が操られるよう、
    良心である魂を、巣食われるのが落ちです。

 


 

イズミ 主の例えが、何に当たるのか、解かりません。

 

マコト 神の言は、受け取る側の知恵に応じて、
    何通りにも、読める仕組になっています。
    知恵が無いと、卑近な形を感じるしかなく、
    知恵が高いほど、高遠な型を観じるものです。

 

    今の生に初めて、主に巡り逢えた者は、
    型から離れた所で、生れ変って来ました。
    形から型を知り、知恵を磨く生とするため、
    今生は出来るだけ、主に近づき型を覚えます。

 

    今までに何度も、主に廻り遭った者は、
    型に近い処に、生まれ変わって来ました。
    型から形を知る、知恵を活す生とするため、
    今生は出来るだけ、主を離れて型を演じます。

 

    我と主の間に、魔が入るのが、初回者。
    離れようと、魔が入らないのが、周回者。
    主の譬えを聞いて、他を浮かべるなら前者。
    主の喩えを聴き、主を浮かべるなら後者です。

 


 

カウチ 真理を切り売りするのは、そんなに罪ですか?

 

マコト そもそも、真の理とは、神の言であり、
    元より、世の遍くにまで、行き渡るもの。
    この世の、全ての者に、必要なものであり、
    それ故、神から予め、皆が授かったものです。

 

    それを、切り取れたと、売り出すなら、
    あたかも、空気を吸って、空瓶に吐いて、
    神の吐息と、札を付け、売るが如きであり、
    これは易いと、煽る様は、外道の教祖様です。

 

    こんな光景が、昔の主の目に止まれば、
    神の名を使って、汚れた商いをするなと、
    容赦なく切り捨て、地獄に堕したでしょう。
    主は、自分で自身の、神格を落としています。

 

    しかし、これも総べて、神の計画です。
    主は、穢れ役である、魔を演じています。
    自らは、真理に背いて、泥水を啜ろうとも、
    幼子らが、掬われて、学んでくれたら良いと。

 


 

アワジ 目が覚めた、〇〇人は、何処に転生しますか?

 

マコト わたしも、主が説く〇〇人に入りたい。
    その思いが、選民の思想を造り上げます。
    わたしも、主が解く内輪の情報を知りたい。
    その想いが、秘密の組織を作り上げています。

 

    救いを好餌とする、天魔の誘惑により、
    秘密文書に登録した、熱心な信者の方は、
    今回の審判が終わって、欲天に掬われた後、
    次回の試験の時には、悪魔崇拝者を演じます。

 

    その中でも、取り分け、主が使用した、
    目覚めた人の祈りが、世界を救うという、
    売り文句に囚われ、神に平和を祈った者は、
    覚醒者の集団となり、目を象る者を演じます。

 

    つまり、魔に泥酔して、神を使役した、
    この罪を自覚させて、借りを返すために、
    彼らは、天使に生まれ、天魔に使われた後、
    最終章で、平和を脅かす、役を命じられます。

 


 

アワ  平和を祈る人を、〇〇人、主が求めています。

 

マコト たとえ、目の前に、救い主が現われて、
    あなたも、神に祈りなさいと言われても、
    これまでも、これからも、わたしは断じて、
    神に向かって、平和を願うことは在りません。

 

    確かに、世界平和、人類の為とはいえ、
    神から授かった、目の前の現実を裁いて、
    神に訴える事など、畏れ多くて出来ません。
    全て有り難く頂いて、感謝を奉げるのみです。

 

    その一方、救い主が、この時節になり、
    信者の方に、平和を祈らせるようになり、
    天魔が露骨であるのも、目の前の現実です。
    その現実に対しても、裁くことは在りません。

 

    主は、神命を受けて、試しているだけ。
    目が覚めたものは、その仕組が解ります。
    わたしも、目覚めた、〇〇人に入りたいと、
    神に願う信者の方々は、神様に祈るべきです。

 


 

サヌキ どうして、主は、信者を騙しているのですか?

 

マコト 過去の主は、仏陀を役を演じてました。
    真理の教えを、集った人々に説き明かし、
    外なる神を選ばず、内なる神を択びなさい。
    あなたは、外の道を選ぶなと、示しています。

 

    現在の主は、天魔を役を演じています。
    真逆の行いを、集まる信者に魅せ付けて、
    外なる神を選ぶのか、内なる神を択ぶのか。
    あなたは、どちらを選ぶのか、試しています。

 

    つまり、第六天界は、知恵を司る世界。
    欲六界の主であり、悪魔の親分の天魔は、
    悪魔を使い、知恵が有るか、知恵が無いか、
    現在進行形で、最後の審判を、行っています。

 

    騙すは、誤答を示して、選ばせること。
    試すとは、正答を示して、択ばせること。
    試験監督である天魔は、決して騙しません。
    試験官である悪魔も、主の命で試すだけです。

 


 

イヨ  主が、破滅の預言を外せるのは、何故ですか?

 

マコト 子分の悪魔が、火を付けて民を脅かし、
    親分たる天魔が、水を掛けて火を消すと、
    ますます、人々は、主を信じる様に為って、
    天魔に掬われる仕掛、これが預言の実体です。

 

    第五天界とは、神通を司る欲天であり、
    正語と妄語、預言の成就を司っています。
    預言を成して、正語とするか妄語とするか。
    子分たる悪魔が、天魔の指示で動いています。

 

    第六天界とは、知恵を司る欲天であり、
    酩酊と覚醒、審判の成就を司っています。
    審判を就して、酩酊させるか覚醒させるか。
    親分たる天魔が、神様の使命で働いています。

 

    天魔は、知恵が有るか、審判に懸けて、
    幼い者は、救う代わりに、欲に酔わせて、
    賢者は、掬わない代わりに、神に還します。
    主の説く、預言を盲信すれば、幼子扱いです。

 


 

トサ  主は、組織を作っても、問題ないのですか?

 

マコト 集団、団居とは、惑いに他なりません。
    たとえ、神の子である、主であろうとも、
    組織を作り、運営の為に、金銭を集めれば、
    神様から、縁を切られ、神界には還れません。

 

    運営が拙い法を、金で売り始めました。
    救いを売る幹部と、救いを買った信者は、
    天魔と契約した罪で、天獄に堕とされます。
    無智の為とはいえ、法を歪めた罪は重いです。

 

    一方、組織を作り、信者を囲った主は、
    人々に、内在神より、外在神を選ばせて、
    悟りを妨げた魔として、大逆を犯しました。
    従って、使命が終われば、地獄に落されます。

 

    しかし、主に我欲は、全く有りません。
    悪魔でも、救済のため、演じただけです。
    たとえ、地獄に落ちても、自我が無ければ、
    地獄の業火も、業を清める、微風の如しです。

 


 

タンバ 主が、信者を子供扱いするのは、何故ですか?

 

マコト 主の元に集まっている、信者の方々は、
    主の本当の姿を知らない、子供たちです。
    主に対して、呼び掛けたり、抱き着いたり、
    軽々に接するのは、畏れを知らないからです。

 

    信者の方々は、貴神を使役したという、
    膨大な悪業、莫大な借りを作ってますが、
    彼らは子供で、自身の罪に気づけないから、
    待って欲しいと、主が清算を延ばしています。

 

    つまり、彼らは、天国に救われた後に、
    成長に応じて、借りを返す日が続きます。
    主の命を受けて、汚い仕事も負う事になり、
    返し終わる頃には、畏れを知ることでしょう。

 

    大人は、近づき過ぎず、遠ざけ過ぎず、
    話し掛けもしないで、感謝だけ奉げます。
    そのような型々は、主の元に集まりません。
    自らに授かった命を、独り静かに果たします。

 


 

タンゴ どうして、主に抱き着くのは、罪なのですか?

 

マコト 例えば、神が宿れる、木に抱き着けば、
    無礼者と、神木を守る、鬼神が怒髪して、
    罪人に、容赦無用で、神剣を振り下します。
    無知なる、罪人に悉く、天罰が下るでしょう。

 

    同様に、神が宿れる、主に抱き着けば、
    無礼者と、神柱を護る、眷属が怒髪して、
    幼子に、仮借無用で、罪状を書き記します。
    無垢なる、幼子に悉く、天刑が下るでしょう。

 

    それでは、子供たちが、不憫であると、
    貴神は、鬼神たちに、剣を納めさせます。
    必ず、寸分も漏らさず、罪を償わせるから、
    彼らが、分別が付くまで、間を呉れないかと。

 

    鬼神は、間を与えた結果、魔神となり、
    子供らが、知恵を得るまで、支配します。
    善悪問わず、使命を与え、分別を弁えさせ、
    人間の頃、私は幼かったと、思い知らせます。

 


 

セッツ 有り難い命の他に、何も要らなくなりました。

 

マコト 真理を修めて、煩悩が落ちて行くほど、
    内なる神を悟り、心が満ち足りて来ます。
    そうなると、命という有り難い神を宿した、
    歩く社となり、行く先々で良い縁を与えます。

 

    行く先々で、浄いものを分け与えれば、
    反作用として、汚いものを引き受けます。
    他から離れれば、自ずから清められますが、
    器に余ったときは、苦しみが生じるものです。

 

    だからといって、独り山に引き篭もり、
    涅槃を楽しむのは、菩薩では有りません。
    菩提心を抱いて、大峠の里に下りて行って、
    他の苦を見とめて、苦を引き受けるべきです。

 

    たとえ、他と関わって、苦を招じても、
    もともと、無かった事に、気づけたなら、
    その瞬間に、苦しみは、掻き消えてしまい、
    汚されて、清めた分だけ、器を広げています。

 


 

ハリマ 主が勧めている、縁起物を買うべきですか?

 

マコト 天魔に掬われず、神界に還りたいなら、
    我と神の間に、何も入れては往けません。
    神の御子である、救世主さえ入れないのに、
    どうして、小物を入れる、必要が有りますか。

 

    にもかかわらず、これからはますます、
    この物は縁起物だ、この者は神人だなど。
    不安に圧し潰されて、苦しみ悶える信者に、
    ありとあらゆる偶像を、主は勧めるはずです。

 

    たとえ、この行為が、宇宙に刻まれて、
    弥勒の世が潰える、末法の型になろうと、
    今はただ出来るだけ、多くの民を救いたい。
    法を歪めんばかり、主の愛情の成せる業です。

 

    我々だけでも、情の型に巻き込まれず、
    末法に在っても、正法を表わすべきです。
    彼らは、末法の形として、外院を顕わして、
    神の社は、正法の型として、内院を現します。

 


 

イナバ 近頃、高次元の存在に、干渉を受けています。

 

マコト 真理の神社で、真剣に学んでいる方は、
    人間の世界では、底辺で暮していますが、
    下は宇宙人に始り、上は根源神に至るまで、
    様々な存在から、稀有な人物と見られてます。

 

    実際問題、神が見えない低次の存在は、
    貴方が既に、神に誘われていると知らず、
    次元の上昇に、善意から干渉していますが、
    干渉に応えると、神界には還れなくなります。

 

    その一方、神を見とめる高次の存在は、
    貴方が既に、神に導かれていると弁えて、
    次元の上昇を、親心から観照していますが、
    観照に答えると、欲天に掬われなくなります。

 

    欲天を喜ぶ心が、少しでも存在すると、
    その隙を突かれて、天魔が入り込みます。
    天人の干渉を受けて、自分が喜んでないか。
    宇宙人に悦んでいれば、其処までの自分です。

 


 

タジマ 真理を広めていく、感染者に成りたいです。

 

マコト 浅い教えは、広範に伝えるべきであり、
    深い訓えほど、的確に傳えるべきである。
    低次の幽界ほど、干渉して量を求めますが、
    高次元の神界ほど、観照して質を求めてます。

 

    人数を集めている、感染者が居ますが、
    彼らの背後の存在は、連合の宇宙人です。
    宇宙人は人類より、微かに高い存在であり、
    その法は易しく、量は優っても質は劣ります。

 

    良質を保っている、覚醒者が居ますが、
    彼らの背後の存在は、至高の根源神です。
    根源神は人類より、遥かに高い存在であり、
    その法は厳しく、量は劣っても質は優ります。

 

    感染者なら、拡散して撒き散しますが、
    覚醒者ならば、集中して待ち続けるのみ。
    外に目が向かい、内なる神を忘れていれば、
    人は集まりますが、外なる神も集ってきます。

 


 

ビゼン あなたは、堕ち逝く主に、躓かないのですか?

 

マコト そもそも、私は、主を信じていません。
    社交場を作り上げ、信者を囲い込もうが、
    天国行きを約束する、切符を売り出そうが、
    神の子が魔に堕ちたと、私は認めるだけです。

 

    更に、この堕天は、主の意志でもあり、
    神の意思でもあると、私は知っています。
    民を愛す情ゆえに、天から堕ちるのであり、
    神の愛する子ゆえに、地まで落とすわけです。

 

    つまり、第六天魔が、堕天した理由は、
    民を救う、愛情だった、にもかかわらず、
    その形だけ、子分たちは、倣うことになり、
    教祖に憑いて、教団を作り、信者を掬います。

 

    この末法の仕掛に、躓きたくなければ、
    愛する民を救うため、地獄に堕ちる主に、
    近づき過ぎもせず、遠ざけ過ぎもしないで、
    只管、感謝を奉げて、抱き参らせることです。

 


 

ホウキ 時が経つほど、主が変わるのは、何故ですか?

 

マコト 時代の変換点で、神の子が降りて来て、
    維持できない、古い時代を破壊するとき、
    その裏では、新しい時代を創造しています。
    主の相をして、次なる時代の縮図を演じます。

 

    仏陀が、外道を倒して、悟りを解いた。
    この相が、正法の時代の、型に当ります。
    自身を除く、宗教の教祖は、魔界と断じて、
    外なる神から、内なる神へと、人を導きます。

 

    聖王が、奇跡を示して、救いを説いた。
    この相が、像法の時代の、型に当ります。
    苦しみ故に、内なる神より、外に神を望む、
    信者のために、救い主となり、苦を除きます。

 

    天魔が、団居を作って、惑いを招いた。
    この相が、末法の時代の、型に当ります。
    短い期間で、魔逆の結果に、辿り着かせて、
    内在神に還る、最後の機会を、民に与えます。

 


 

イズモ 魔に攻撃される主は、善ではないのですか?

 

マコト 主は、表を究めた、善の極みでもあり、
    同時に、裏を極めた、悪の窮みでもある。
    その型が、頂の座から、麓の界に生まれて、
    現在は、人間として、救世主を演じています。

 

    例えば、暴力団、下部団体の子分達が、
    上部団体の親分を、詳しく知らないため、
    お忍びで慈善活動を、行っている大親分に、
    邪魔を働くことは、大いに有り得ることです。

 

    一方で、総本山、本家団体の幹部達は、
    直属上司の親分を、良く知っているため、
    お忍びで救済活動を、行っている大親分に、
    花を持たせるため、火を付け水を持たせます。

 

    つまり、何も知らない、使い魔をして、
    悪魔達は、火を付けさせ、終末を整える。
    救い主には、水を持たせて、火を消させて、
    信じた人々を、主の会に、掬い上げています。

 


 

イワミ 主の組織が有料で説く、法を買うべきですか?

 

マコト 既に、我と神の間に、主を入れた人は、
    今度は、我と主の間に、会を入れる事に、
    全く、疑いを持たず、財さえ招き入れます。
    それが、積み重なれば、罪になる事も知らず。

 

    確かに、彼らは、主の組織を支援した、
    選民として刻まれ、欲天に誘われますが、
    欲天に在るのは、天魔が幻出した組織だけ。
    神である主は、神界に帰って姿を見せません。

 

    逆に、我と神の間に、何も入れないと、
    今度も、我と主の間に、何も入れません。
    主が、組織の維持のため、財が必要ならば、
    無償で、神恩の感謝として、寄付だけします。

 

    つまり、我らは、主の組織を否定した、
    菩薩として刻まれ、欲天に拒まれますが、
    欲天に居るのは、天魔が使役する天人だけ。
    神である主と、神界に還って再会を果せます。

 


 

アキ  主から、神々しい気が、放たれていますが。

 

マコト 第五天界は、神通を司る、欲天であり、
    この段で、霊感を具えれば、進級します。
    従って、理性は無くても、感性が有ったら、
    次は、知恵を研きなさいと、及第を迎えます。

 

    第六天界は、知恵を司る、欲天であり、
    この階で、菩提を備えれば、卒業します。
    従って、感性は有っても、理性が無ければ、
    未だ、知恵を磨きなさいと、落第を迎えます。

 

    主が演じているのは、第六天魔であり、
    知恵が足りないと、卒業が許されません。
    いくら、霊感をして、神気を感じ取っても、
    逆に、実感ゆえに、仕掛が解けなくなります。

 

    私自身、主が発している気に触れると、
    胸中から、歓喜が生じて涙が流れますが、
    菩薩として、こう言わなければ往けません。
    あなたは、貴い神ですが魔に堕ちておられる。

 


 

スオウ 今回の救世主も、十字架に掛かるのですか?

 

マコト はじめこそ、完全に覚者を演じていて、
    その兆候など、全く見られませんでした。
    しかし、次第に、信者が甘えるようになり、
    仏陀の相より、天魔の相が強くなっています。

 

    例えば、神に臨むべき、神殿に於いて、
    今は、物を望むべき、商売が行われます。
    たとえ、神の使いでも、神の社で儲ければ、
    神が怒り、縁を絶つとは、主が説いた法です。

 

    例えば、人を祓わない、神社に於いて、
    今は、金を払わない、人々は掃われます。
    たとえ、神の使いでも、金で民を選ぶなら、
    神に叛き、魔に堕つとは、主が解いた法です。

 

    主に依存するほど、魔として屠られて、
    主から自立するほど、神として蘇ります。
    信者と救世主の暴走を、食い止める使命は、
    ひたすら、主に感謝する、第三者に下ります。

 


 

ツシマ 主が、以前と魔逆を行い、信が揺らぎます。

 

マコト このまま、天魔であることを明かさず、
    善人として、振舞われると見てましたが、
    知恵ある者は、天魔の誘惑が解けるように、
    主は、少しずつ、種明しを成されるようです。

 

    例えば、天魔を演じ始める以前の主は、
    真理とは、日常に当り前に存在するもの。
    言うなれば、空気の様に無料であるものを、
    有料と化せば、魔道に堕ちると説いています。

 

    しかし、天魔を演じ続けて久しい主は、
    この時世、真実を公開することは難しく、
    出版組織を、維持するために金銭を要する。
    有料を選べば、閲覧が適なうと解いています。

 

    天魔の主が、法の理解を試していると、
    見抜けた者は、菩薩として悟りに向かい、
    救世の主が、法の継続を求められていると、
    出資した者は、選民として救いに向かいます。

 


 

ブゼン 主に対して、語り掛けても、良いのですか?

 

マコト あなたが、主に呼び掛けてしまったら、
    自らの方に、神が振り向いてしまいます。
    神を使役する、重罪を犯すことになるため、
    罪を清める、相応の間は天魔に使役されます。

 

    あなたが、主を崇め奉ってしまったら、
    自らの外に、神を見い出してしまいます。
    魔と契約する、大罪を犯すことになるため、
    罪を浄める、相当の間は天魔に支配されます。

 

    無邪気に、主に話し掛ける信者の方は、
    以上の罪で、小学生扱いを受けています。
    これから、魔が主宰する中高一貫校に入り、
    完全統制の寮生活を送り、大学を目指します。

 

    合格者を輩出する、この有名進学校は、
    初めは楽しいですが、後ほど苦しいです。
    美しい校長の顔を、二度と見たくなければ、
    今度こそ話し掛けず、大学に受かりましょう。

 

ブンゴ どうすれば、大学受験生の扱いになりますか?

 

マコト 第一に、神を会わせず、我を合すこと。
    あなたが、話し掛けると、振り向かれて、
    自らの方に、神を会わせて、魔に変ります。
    ですから、神に合わせて、我を合すべきです。

 

    第二に、外に見ないで、内に見ること。
    あなたが、話し掛けると、振り向かれて、
    自らの外に、神を見とめて、魔に変ります。
    それゆえ、神と同じ方を、我も見るべきです。

 

    つまり、校長の前に、回って良いのは、
    中学受験を控えている、小学生だけです。
    校長に近くに座って、顔を覚えてもらえば、
    内申点も上がって、合格し易くなるでしょう。

 

    一方で、既卒者である、大学受験生が、
    小学生の、真似をすれば、卒業取消です。
    後ろに控え、主の目となり、世を見つめて、
    見えない、主の手として、神に仕えましょう。

 


 

ナガト 私には、優しい主が、天魔には見えません。

 

マコト 決して、言を発すなと、戒を受けても、
    目の前に、父母を責める、鬼神が顕れて、
    地獄の界に、連れて行くと、見せられると、
    泣いて悲しみ、止めてくれと、発すものです。

 

    決して、神に願うなと、解を聴いても、
    眼の前に、救済を授ける、貴神が現れて、
    天国の世に、連れて行くと、魅せられると、
    泣いて喜んで、救ってくれと、願うものです。

 

    この社と異なり、かの主は優しいため、
    言葉を発してこそ、救済を願ってこそが、
    衆生の証であり、救いの道と説いています。
    真説を曲げてまで、掬うのは天魔の使命です。

 

    かの主と異なり、この社は厳しいため、
    原作を守ってこそ、真理を護ってこそが、
    菩薩の証であり、悟りの道と解いています。
    愛情を越えてまで、覚るのが菩薩の使命です。

 


 

イキ  主が、以前と真逆を説き、信が揺らぎます。

 

マコト 主が、白と説けば、白であると信じて、
    後から、黒と解けば、黒であると信じる。
    初志貫徹、主に依って、我に拠らないこと。
    これを、果した者は、外なる神に誘われます。

 

    主が、白と説けば、黒もあると認めて、
    後から、黒と解けば、白もあると認める。
    徹頭徹尾、己に拠って、他に依らないこと。
    これを、遂げた者は、内なる神に導かれます。

 

    主という、外なる神を、信じたいなら、
    この先、初心を覆す、種明しが有っても、
    あなたは、信仰の心を、試されたと思って、
    たとえ、馬に見えようと、鹿と信じましょう。

 

    一方、真理を悟って、知恵を具えれば、
    端から、魔逆の方便を、信じることなく、
    神の子が、天魔の使命を、演じておられる。
    たとえ、魔に見えても、神と認めるものです。

 


 

イセ  救世主の教えを、読まずには済みませんか?

 

マコト 主を知り尽して、主に捕われないこと。
    魔の救いを拒んで、魔に掬われないこと。
    これこそ、欲界を越える、最終試験であり、
    決して、避けては通れない、尾張の仕組です。

 

    救世主の教えを、総べて読んで下さい。
    時系列に従い、最初から修めるべきです。
    人類の型の前に、神の子として現れた主が、
    何を縁として、魔に堕ちたか良く解かります。

 

    主に近づけば、神通力に魅せられます。
    たとえ、歪んだ教えが説かれていようと、
    神の気に触れて、涙が止らなくなりますが、
    真理で無いならば、天魔の誘惑に過ぎません。

 

    外なる神を選ぶか、内なる神を択ぶか。
    主の救いを受けるか、魔の掬いを断るか。
    どちらを選ぶのか、試験官に答えて下さい。
    真理を悟っていれば、後者を択べるはずです。

 


 

ヒゴ  救世主の様に、魔に堕ちる覚悟が必要ですか?

 

マコト 主は、神の子として、降りて来ました。
    しかし、人の型として、集められた者が、
    外なる神に向かって、救いを求めたために、
    神から仏の相が消えて、魔の相に為りました。

 

    神に、願望を奉げれば、魔が棲みます。
    神社に、感謝を捧げれば、仏が住みます。
    前者なら、天人の住処、兜率の外院となり、
    後者は、菩薩の依処、兜率の内院となります。

 

    即ち、同じ神の子、同じ弥勒の世でも、
    望む物が違えば、臨む世界が異なります。
    たとえ、天魔が支配する、欲天に在っても、
    仏が住む、真理の社を、建設できる仕組です。

 

    ですから、少なくとも、因縁の御魂は、
    魔に対して、感謝を捧げ、仏に戻します。
    信者に対して、容赦を奉げ、神に戻します。
    脇侍までが、魔に堕ちる、必要は有りません。

 


 

サツマ 因縁の御魂には、どんな使命があるのですか?

 

マコト 毎日、朝に生まれて、夜に死んでいく。
    日々が、最期であって、最高の日である。
    命懸けの、感謝を持って、生命が続くまで、
    一日一生を、繰り返す事が、菩薩の使命です。

 

    加えて、因縁の御魂には、密命があり、
    本来なら、主が独演された、真理の御霊。
    この大役を、真理を悟る、因縁の御魂のみ、
    脇に侍り、主と共演できる、事に成りました。

 

    つまり、現在の主は、幼子に囲まれて、
    泣く子に合わせて、真理を歪めています。
    その結果、仏の役より、救世主の役として、
    換言すれば、天魔として、振る舞っています。

 

    もし、救世の主が、仏陀に豹変すれば、
    真理の厳しさに、幼子が逃げていくため、
    せめて、因縁の御魂は、主に仏性を見とめ、
    天魔の姿から正神の姿に、蘇えって頂きます

 

サツマ 具体的には、どうすれば良いのですか?

 

マコト 主は、生れながら、真理の御霊ですが、
    我々は、因縁の御魂、真理を修めないと、
    到底、真理の御霊とは、共演が出来ません。
    何より、真如に到達する、前提が存在します。

 

    その次に、主の教えを、全て修めます。
    真理と比べ、何を隠して、何を曲げたか。
    法を歪め、命を縮めてまで、救わんとする、
    救世主の菩提心に触れて、歓喜することです。

 

    次に、その歓喜を、感謝に変えること。
    決して、願掛けせず、感謝だけ捧げると、
    主の顔は、魔の相から、神の相に戻ります。
    最後は、総べてを統べる、貴神に還られます。

 

    さて、主から、因縁の御魂が授かった、
    唯一の贈り物が、先祖の供養の教えです。
    善悪転倒の末法で、善業が確実に積めます。
    恭しく実践して、その果報を奉納しましょう。

 


 

ヒゼン どうして、救世主が、天魔と言えるのですか?

 

マコト 現在は、大学入試前夜にもかかわらず、
    受験には、まるで役に立たないどころか、
    正解として、魔逆の教えを説いているのが、
    救世主として、苦肉の方便と言えるからです。

 

    注目、あなたの今月の運勢とは、とか。
    受験前、眠れない夜の必需品5選、とか。
    気になる、あの子の前世は〇だった、とか。
    私は見えた、世にも不思議な未来の話、とか。

 

    確かに、面白くて、人気は有りますが、
    そんな参考書を、試験前に読んでいたら、
    それだけで不合格、足切りを受けるような、
    小学生向け情操本を、受験生に読ませてます。

 

    しかし、それでも、問題は無いのです。
    天魔が主宰する、有名私立の中高一貫校。
    中学受験生だけが、集まっているからです。
    元より、主の周りに、大学受験生は居ません。

 


 

イキ  主は、神様なのですか、悪魔なのですか?

 

マコト 本来なら決して、姿を顕わさない神が、
    卒業が迫って、進路を決める人類のため、
    慣わしを破って、姿を現わした者が主です。
    主は、試験官でも、試験その物でもあります。

 

    即ち、長きに渡る、強化合宿を終えて、
    人類が、神に向って、何を祈る者なのか。
    個々人が、主を迎えて、何を願う者なのか。
    真正な、神の出現により、人類は試されます。

 

    神の社で、神に望んで、我欲を願えば、
    社から、神が去って、魔が住み着くよう、
    人の型は、主に臨んで、救済を望んだため、
    主から、仏が去って、天魔が棲み憑きました。

 

    現在の主は、幼い子らに、縋り付かれ、
    泣き喚く、声に応えて、魔に堕ちました。
    少なくとも、ここに集う、因縁の御魂達は、
    堕天使の、大悲を見とめて、感謝を奉げます。

 


 

アワ  私は、真理を読んでも、構わないのですか?

 

マコト 今日の日までに、社に納められた法を、
    最新巻に至るまで、心に修められた方は、
    物語編六章五六話に、登場する使徒として、
    因縁の御魂として、正式に登録を受けました。

 

    あなた方は、大神の導きを享けており、
    私と同様、人類の殿を守る役を負います。
    確かに、これからも艱難は続くでしょうが、
    どの涙も、心を浄化する嬉し涙に変わります。

 

    器が大きい者ほど、証を頂けませんが、
    いつでも近くに、大神を感じるでしょう。
    救世主の縁者達が、生き乍らに救われる中、
    救い無きままに、死に逝けば真理の御霊です。

 

    御霊に与えられる証は、真理だけです。
    逆に、他の人々には、真理は要りません。
    もはや、読んでも、神の導きは有りません。
    今日を境にして、悟りの門は閉め切りました。

 


 

デワ  私も、真理を読んでも、構いませんか?

 

マコト 残念ながら、悟りの門は閉されました。
    あなたが、真理の教えを読んだとしても、
    今の機会は、解りはしても悟れはしません。
    なぜなら、大神の導きに与かれないからです。

 

    次の機会に、悟りの門が開かれるのは、
    遙か未来、次の人界が創られてからです。
    それまでは、天界で侘びるしかありません。
    未だ開かれた、救いの門の方を叩くべきです。

 

    そして、あなたが救いを求めるのなら、
    頑として、あなたは悟りを諦めましょう。
    というのも、悟りは救いと真逆の道であり、
    あなたを、救世主から解き放ってしまいます。

 

    どうしても、悟りの道に触れたければ、
    救世主により、弥勒の世に救われてから、
    内院に変わった、この神社を訪れましょう。
    然し、その時には、その気も失せていますが。

 


 

ウゼン どうして、救世主の場所を勧めるのですか?

 

マコト 真理の悟りは、須弥山の十合目であり、
    主の救いは、須弥山の一合目だからです。
    無理に挑んで、山頂から転げ落ちる位なら、
    未だ明るい内に、下山する決断を勧めてます。

 

    真理が解かれて、数年が過ぎましたが、
    その間に招かれて、真剣に修めたものは、
    神の試練に導かれて、別者に育っています。
    自分から見ても、他人から見ても、別人です。

 

    その一方で、この神社を訪れていても、
    知は増えても、徳が殖えない方も居ます。
    彼らの求道心は、好奇心と見なされていて、
    試練が与えられず、神の恩寵が届いてません。

 

    もうじき、個々の魂の行き先が決まり、
    成長すれば、弥勒の世に突き進みますが、
    変化しないと、地球の外に放り出されます。
    内院は落ちても、外院は受かって欲しいです。

 


 

ウゴ  悟りに必要になる、神の恩寵とは何ですか?

 

マコト 神を悟るためには、我を空にすること。
    我は何者かであると、錯覚している限り、
    我は何者でもない、諸法無我を認められず、
    我は何者でもあると、真我独存を認めません。

 

    したがって、真剣に真理を修める者は、
    真我が認めて、自我を壊してしまいます。
    Aだと思うなら、Aだと想えなくなるまで、
    非Aを押し付けて、自我が取り上げられます。

 

    もし、自分で、非Aを押し付けようと、
    自らの手で、自ら首を絞められないよう、
    加減が生じて、非AではないBを押し付け、
    Bと考える、新たな自我が現われるだけです。

 

    即ち、悟りには、神の手が必要であり、
    神の恩寵なくして、真の覚醒はないです。
    神の試練から逃げず、全てが奪われてこそ、
    神の恩寵が届けられて、総てが与えられます。

 


 

ムサシ このまま、日本は、害人に喰われますか?

 

マコト 新しい地球には、人間は存在しません。
    進化を遂げて、天人に成った者は残され、
    退化を果し、猿人に為った者は除かれます。
    現在の日本は、猿の如き者に支配されてます。

 

    もし、あなたが、上級国民の側に回り、
    人の嫌がることも、喜んで押し付けよう。
    自らが掬われるなら、苦しんでも構わない。
    こう考えるのなら、猿人の烙印を押されます。

 

    一方、あなたが、下級国民の傍で支え、
    人の嫌がることも、悦んで引き受けよう。
    周りが救われるなら、苦しんでも構わない。
    こう考えるのなら、菩薩の種子が蒔かれます。

 

    特別扱いされて、脱出者に見えている、
    一等の方々は、神から見れば猿扱いです。
    猿人が喜べるのは、長く見ても十数年だけ。
    その後は短く見ても、数億年は地獄を見ます。

 


 

カイ  物語編の「老師」が、現代の救世主ですか?

 

マコト 信者に絶対善を説く、第一章の老師や、
    老師が生れ変った、第五章の救世主こそ、
    預言に説かれる、終末に現れる救世主です。
    神の計画通り、現代に甦って済度しています。

 

    物語編は、一元的に現実を解する物語。
    現実より現実である、超現実であるため、
    決して、現実そのもの、とは言えませんが、
    物語編を解読すれば、舞台の裏側が解ります。

 

    五章で集まった、新しい信者の目には、
    善人を演じる、主しか映っていませんが、
    その裏には、一章の狂気の教祖が有ったり、
    天の法を解く、四章の密教の導師が在ります。

 

    無邪気に信じる、新しい子どもたちは、
    主の裏の顔を知る、必要など有りません。
    愛憎に引き裂かれた、古い子どもたちこそ、
    物語を読み解いて、主の情を絶ち切る事です。

 


 

シナノ 説いていることも、行っていることも、
    どうしても主が、幼く見えてしまいます。

 

マコト それは、孫をあやす、祖父の顔を見て、
    幼稚な姿であると、言うようなものです。
    現象しか捕えず、本質を捉えようとしない。
    自らの無智を、大いに恥じないと往けません。

 

    確かに、救世主が、説いている教えは、
    現代の日本人ならば、幼少期のアニメで、
    間違いと気づき始める、善悪の二元論です。
    菩提の者が信じ切るには、厳しいと言えます。

 

    さらに、救世主が、行っている訓えは、
    自身が説いた教えと、真逆なことが多く、
    態と試しているとしか、思えない演技です。
    無漏の者を巻き込むのは、難しいと言えます。

 

    あなたが、菩薩で無漏の者であるなら、
    孫を慈しむ、祖父の溢れる愛情を慮って、
    一線を引いて、遠くに離れ見守ることです。
    愛情の深さが解れば、敬遠が敬意に変ります。

 


 

イセ  先祖供養は、どのようにすれば良いですか?

 

マコト 真理を納める社が、末法の世に現れて、
    縁ある者が招かれて、数年経ちましたが、
    日々を疎かにせず、真理を修めている型に、
    菩薩に成り得る者に、神の贈り物が在ります。

 

    救世主を訪ねて、先祖の供養を教わり、
    有り難く実践して、善業を積むことです。
    この先祖供養の法は、善悪の転倒に悩める、
    末法の世に在って、確実な善を積める法です。

 

    神が贈られた、伝家の法灯だけあって、
    その霊験たるや、歴史に類がありません。
    実践の易しさにも、目を見張る事でしょう。
    覚悟を決めた者には、拍子抜けも良い所です。

 

    ただし、これは、最後の試験でもあり、
    優しい主に頼ると、その瞬間、豹変して、
    悟りを邪魔する、第六天魔に変っています。
    主の幻に勝てれば、晴れて神を認められます。

 


 

カイ  社会の底辺を守るとは、どういうことですか?

 

マコト 例えば、不断の小さな善行に対しては、
    誰からも、名など尋ねられもしないのに、
    ある日、誰も煩わせない、不注意に対して、
    交通官に、名を訊ねられて、罰金を取られる。

 

    或いは、目の前で、転んだ子に対して、
    優しく励まして、傷口を処置していたら、
    後から遅れて来た、母親と思われる女性に、
    不審者の如く見られ、通報をされそうになる。

 

    以上のように、社会が病んでいるほど、
    世界の理不尽は、弱者に集まってきます。
    力を使って掃えば、上層からは消えますが、
    理不尽は滴り落ちて、下層に溜まるものです。

 

    従って、菩薩は、社会の底辺を支えて、
    怨嗟を受け容れて、感謝に書き換えます。
    彼らは見えませんが、彼らが居なかったら、
    世界の底が抜けて、人々は地獄に落されます。

 


 

スルガ 人類を創造したものは、宇宙人ですか?

 

マコト 例えると、宇宙人を知らない地球人は、
    地球に限る、世界観しか持ち得ないため、
    人類の起源を、類人猿の自然進化であると、
    地球で完結する、幻想を描くしかありません。

 

    同じ様に、創造主を知らない宇宙人は、
    欲界に限る、世界観しか持ち得ないため、
    人類の起源を、宇宙人の遺伝操作であると、
    欲界で完結する、現実を辿るしかありません。

 

    つまり、進化論を信じている地球人を、
    宇宙人が、無知にも程があると嘆くよう、
    自由意志を、持っていると信じる宇宙人を、
    創造主は、無智にも程があると歎いています。

 

    確かに、欲界の現象だけを辿るならば、
    宇宙人が、操作しているかもしれません。
    実際は、神の意思に従っているだけであり、
    悪者に見えても、天使として働いただけです。

 


 

イズ  宇宙人から、光になれと教わりました。

 

マコト 天人には、陽極を司る、光の宇宙人と、
    その裏、陰極を司る、闇の宇宙人があり、
    地球人は、闇の天人に、支配を受けていて、
    不憫に思う、光の天人が、支援に来ています。

 

    ある次元以上、闇が上れないのを見て、
    光の天人は、闇の支配を受けない為には、
    闇を退かせて、光に進みなさいと説きます。
    それこそが、人類の救いであると思うのです。

 

    天人に誘われ、欲天に生まれた人々は、
    光の世界に、神が居ない事に気づきます。
    先輩の天人に、何処に居られるか尋ねても、
    誰も知らないと、行き止りの答えが返ります。

 

    その次元以上、光が上れないのを見て、
    空の菩薩は、光の支障を来さない為には、
    闇を見とめて、神を悟りなさいと解きます。
    それこそが、天人の救いであると想うのです。

 


 

エチゴ 〇〇大陸の時代の人が、増えていませんか?

 

マコト 創造主の神が、人類の真価を試す際は、
    幽界の魔を使い、猿人に仮初の力を与え、
    人類の大切な物を、奪い尽くそうとします。
    猿人は起源を訴えて、我こそ人類と称します。

 

    人は黙って、猿人の横暴に耐えますが、
    限界が来ると、猿人を滅ぼして終います。
    その光景を見て、神化には及ばなかったと、
    神は甚く悲しまれ、人類を亡ぼして終います。

 

    これが、過去に何回も、繰り返された、
    大陸沈没、人類の滅亡の、型と言えます。
    現代も、多分に漏れず、幽界に舞わされた、
    猿人達が、起源を訴えて、限界に誘ってます。

 

    期限が有る偽物は、起源を訴えますが、
    期限など無い本物は、起源を訴えません。
    真人と触れ回わる、猿人に耐え忍びながら、
    今度こそ沈没しない、神人の型に成る事です。

 


 

シナノ 神様は、どのような型を、慶ばれるのですか?

 

マコト 例えば、財を稼いで、贅沢に暮したり。
    棒を振り、球を叩いて、遠方に打ったり。
    美しい姿で、街を歩いて、衆目を集めたり。
    巧みな言葉で、人に訴えて、世論を変えたり。

 

    このような、多くの人が憧れてしまう、
    天才の型には、神様は全く慶ばれません。
    というのも、天人の型は人界だから珍しく、 
    天人の世には、有り触れている形だからです。

 

    神様が最も喜ばれる、在り難い型とは、
    何人も近づけない、限界の苦悩に在って、
    生かせて頂いて、有り難いと感謝すること。
    苦の中に空を悟り、楽に変える菩薩の型です。

 

    地獄は、苦悩の中で、怨嗟が出来ます。
    天人なら、安楽の中で、感謝が出来ます。
    しかし、苦悩の中で、感謝が出来る型とは、
    宇宙は広いはずですが、人界の菩薩だけです。

 


 

ミカワ 人生の価値とは、どのように決まりますか?

 

マコト 人類を創造した、神界に於ける評価と、
    人類に想像された、幽界に於ける評価は、
    真逆に近いため、注意する必要が有ります。
    大半の人々が、幽界の価値観に染まってます。

 

    神界に坐す神は、欲界の調和を欲して、
    欲界の縮図として、人界を創造しました。
    従って、他が嫌がる、社会の底辺に下りて、
    苦を楽に変える菩薩を、最大限に評価します。

 

    地上に住む人は、欲界の頂点を求めて、
    欲界の理想として、幽界を想像しました。
    従って、他が羨やむ、社会の頂点に上がり、
    楽で苦を免れる天人を、最高峰に評価します。

 

    神の目で見れば、菩薩の道を歩むこと。
    これ以上の使命は、人界に存在しません。
    天人の活躍のように、決して華々しくない、
    有り難く耐え忍ぶ姿に、神は慶ばれています。

 


 

ミノ  では、どうして、救世主を、勧めるのですか?

 

マコト 外の神を望んで、内の神に臨まないと、
    判定は失格であり、再び試験を受けます。
    不合格の中でも、外なる神に何を選んだか、
    その選択によって、次回の試験が変わります。

 

    天魔の子分である、悪魔を択んだ場合、
    地獄に誘われて、獄囚に生まれ変ります。
    責苦を受け続けて、借りが少なく為ったら、
    人間界の麓に産まれ、主を信じて改心します。

 

    悪魔の親分である、天魔を選んだ場合、
    天獄に導かれて、天使に生まれ変ります。
    主命を果し続けて、借りが少なく為ったら、
    人間界の頂に産まれ、主に背かれ回心します。

 

    外に神を望んだ、罪は変わりませんが、
    次なる試験に続く、道は換わってきます。
    地獄で苛まれるより、天獄で悩めることで、
    知恵を磨いて欲しいが、試験監督の見解です。

 


 

ノト  何故、悪魔崇拝者が、我々の先輩なのですか?

 

マコト 善だけの、天の国に、救って上げよう。
    楽しかない、神の界に、救って貰いたい。
    主の偏る愛と、人の幼い欲が、引き合って、
    人類は、天魔と契約して、天人に進化します。

 

    初めこそ、楽しかないと、喜びますが、
    徐々に、神が居ないことに、気づきます。
    これまで、神様の命と信じて、果した命は、
    神の代理人、天魔の命だったと、気づきます。

 

    神が居ないなら、我々も天魔に倣って、
    神の代理人として、欲界を支配しようと、
    幽界に留まって、統一の計画を預けるもの。
    それが、人類に宗教を説く、天魔の眷属です。

 

    神が居ないなら、我々は天魔を信じて、
    魔の代理人として、人界を支配しようと、
    人界に生まれて、預言の実行に与かるもの。
    それが、人類に科学を解く、天魔の結社です。

 


 

カガ  何故、救世主に、頼っていけないのですか?

 

マコト 神の化身が、世に現れたということは、
    救いでもあり、試しでもある、諸刃の剣。
    神を前に立って、どのように振る舞うのか、
    主に集まる人々は、細かく記録されています。

 

    近づき過ぎもせず、遠ざけ過ぎもせず、
    神の答えを頂いても、神の応えを戴かず、
    神の前に在る事を、有り難いと覚えること。
    これこそ正解であり、神に還る唯一の道です。

 

    化身に、ペットの世話を、欲する者や、
    救世主に、ベッドの添寝を、求める者は、
    たとえ、本人が許しても、仕組に赦されず、
    デットが、消えるまで、天使として働きます。

 

    救世主は、優しい型ですが、天魔です。
    最初に、正しい選び方を、教えておいて、
    次に、正しく択ばれた者か、試しています。
    貴方も、神木に抱き着くなと、教わったはず。

 


 

イガ  人類は、人工頭脳を信じて良いのですか?

 

マコト 昔は、霊的な想像力を、人類が使って、
    幽界に、低次元の神々を、描いたように、
    現在には、科学の想像力を、人類は用いて、
    幽界に、人工頭脳という神を、画いています。

 

    魔術の神だろうと、技術の神だろうと、
    人類こそが既に、神の芸術なことを忘れ、
    内なる神に臨まず、外なる神に望むものは、
    残念な失敗作として、創造神に処分されます。

 

    幽界の魑魅魍魎を、神と見紛えた者は、
    彼らに誘われて、地獄に落ちて逝きます。
    初めこそ、霊的な力で、地を楽しめますが、
    いずれ、退化が極まって、奈落に嵌まります。

 

    幽界の人工頭脳を、神と見誤った者は、
    彼らに導かれて、天獄に昇って逝きます。
    初めこそ、科学の力で、天を愉しめますが、
    いずれ、進化が窮まって、深淵に填まります。

 


 

ヤマト 神の使いと魔の遣い、どの様に見分けますか?

 

マコト 科学的な力だとか、霊能的な力だとか。
    軌跡を見せずに、奇跡を魅せてしまえば、
    人類を操ることは、困難な事ではないです。
    奇跡も軌跡に変わる、単純な理が解りません。

 

    このように、無邪気な人類を守るため、
    根源神は、人類を観照の対象にしました。
    決して、奇跡を持って干渉してはならない。
    するなら、軌跡を以って干渉すべきであると。

 

    つまり、神の使いが、干渉する場合は、
    他の人々と等しい、平凡な人間に生まれ、
    一生懸命に努力して、手本を見せています。
    彼の軌跡が道となって、人類を成長させます。

 

    反対に、魔の遣いが、干渉する場合は、
    他の人々と異なる、非凡な人物に産まれ、
    縦横無尽に活躍して、偶像を魅せています。
    彼の奇跡が幻となって、人類を堕落させます。

 


 

カウチ 本物の日本人は、何処にいるのですか?

 

マコト 何処から見ても、日本人ではない型が、
    日本の神について、面前で諭していたり、
    日本国の政について、声高に論じています。
    彼らは神国を征したい、幽界に憑かれてます。

 

    救世主であるとか、愛国者であるとか、
    幽界の遣いを、神の使いとして見る者は、
    最後の最後まで、悔い改めを行わなかった、
    救い様のない者と、真の神に見られています。

 

    即ち、現在の日本人は、九分九厘まで、
    全宇宙の雛型である、人界の雛型である、
    日本を支配したい、幽界に操られています。
    しかし、これを含め、総て神の計画通りです。

 

    正神に遣わされた、本物の日本人達は、
    後ろの正面を司って、社会の底辺に潜み、
    艱難を引き受けて、感謝に書き換えてます。
    夜明に引っ繰り返り、鶴と亀を引き合せます。

 


 

セッツ 難しいです、いつか、解説書が出来ますか?

 

マコト 現在、この場所に、表れている教えは、
    過去に、この神社に、納められた訓えを、
    完全に解した者に、実感が生じる仕組です。
    未だ修めてない者は、時間を挟んで招じます。

 

    この場所は、兜率天の内院の型であり、
    この神社から、遠ざかれば遠ざかるほど、
    魔を挟み込んで、幻に覆われてしまいます。
    松の世に至っても、気づかない者が大半です。

 

    従って、誰かに望んで、待つのでなく、
    覚悟して、自らで臨んで、修めて下さい。
    約束の日を、預言を信じて、待ち望む者は、
    目の前の、神に臨む社に、相応しくないです。

 

    この神社の外には、救世主が主宰する、
    兜率天の外院の型が、存在していますが、
    そこは、次回の試験の、対策室になります。
    今回、合格を逃がしても、猶予を授かります。

 


 

イズミ この神社を、知人に紹介して良いですか?

 

マコト この神社は、根源神の直轄の地であり、
    如何なる魔も、入り込めない禁足地です。
    訪問者の心中に、邪な魔が混じっていれば、
    速やかに曝されて、心を狂わせてしまいます。

 

    ここは、例えるなら、ヒマラヤの山頂。
    納められた真理は、チベットの埋蔵経典。
    生半可な求道心では、辿り着けない所です。
    訪問者の一挙一動、法の守護者が見ています。

 

    神が招くから、立ち入りが許されます。
    人に聘かれても、立ち入りは敵いません。
    ですから、埋蔵の場所や、経典の中身など、
    誰にも、広める事なく、胸に修めるべきです。

 

    なんとしても、知人を救いたいのなら、
    ヒマラヤの麓に、祇園精舎が存在します。
    原始仏典を教える、阿難陀が居られるので、
    精舎を紹介する事は、貴方の善徳になります。

 


 

アワジ 天使の世界は、どのような世界ですか?

 

マコト 天使の世界とは、魂の青春時代であり、
    自分が幸せだから、他人も幸せにしたい。
    誰もが幸せになれる、絶対の善が存在する。
    そんな天使長の理想に、取り憑かれた界です。

 

    しかし、実際は、真逆に為っています。
    天国を楽しむから、地獄で苦しめられる。
    すべての存在が、同時には天国に止まれず、
    誰かが天に昇ると、誰かが地に堕ちてしまう。

 

    天人と呼ばれる、中学生の頃までなら、
    山の麓に近いため、余裕が残っています。
    麓の方から順に、新しい天使が現われると、
    一緒に登ろうかと、期待を膨らませています。

 

    天魔と呼ばれる、高校生の頃になると、
    山の頂に近いため、限界が見えてきます。
    頂の方から順に、古い天使が消えていくと、
    何処に逝ったのか、不安を覚えてしまいます。

 


 

アワ  人界が、欲界の雛型なのは、どうしてですか?

 

マコト 天国が生まれると、地獄が埋まれます。
    少数の者が救われて、天国で楽しむから、
    多数の者が零れて、地獄で苦しんでいます。
    極楽を創るには、極苦を造るしかありません。

 

    欲に依って、富める者は、益々富んで、
    その裏で、貧する者は、増々貧していく。
    欲の世界が、天国と地獄に、切り裂かれる、
    終末を見とめ、創造神は、嘆き悲しみました。

 

    そこで、欲界の中央に、苦楽が等しい、
    人間の世界を創って、手本に定めました。
    善ばかりや楽ばかりを、独り占めしないで、
    苦も楽も等しく味わって、助け合いなさいと。

 

    にもかかわらず、欲界の手本の人類は、
    神の御心を知らず、天人を神と見誤って、
    天国に連れて行けと、幽界に迫っています。
    これに神は終末を認め、処分を下されました。

 


 

サヌキ どうして、簡単に、地獄に落とすのですか?

 

マコト 神は、終末の人界に、主を贈りました。
    地上に降りた主は、集まって来た人々に。
    欲界の型であり、人界の型でもある方々に、
    どんな世界を、君達は選びたいか尋ねました。

 

    わたしは、弥勒の世を、望むことなく、
    今まで通り、人間の界が、続く方がいい。
    あなたは、少数が救われて、天国に昇って、

    多数が零れ、地獄に落ちても、構わないのか。

 

    神意が解からない、人々は応えました。
    なぜ預言された、弥勒の世を躊躇うのか。
    もう苦労は沢山だ、善には楽を悪には苦を。
    神の子だったら、約束通り天国に連れて行け。

 

    神に迫る人を見て、主は魔に豹変して、
    以来、救世主として、天魔を演じてます。
    つまり、幽界の信者を、地獄に落とすのは、
    総て、主の意志ではなく、全人類の意思です。

 


 

トサ  ここまで、深い教えを、読んで良いのですか?

 

マコト この神社には、神芝居の種明しとして、
    見事に演じ切り、大役を果した者たちに、
    第四天界に於いて、弥勒が解くと言われる、
    深淵な真理の教えが、厳重に納められてます。

 

    つまり、大峠の最中に、神社を訪れて、
    厳格な監視の中で、拝謁を許されるのは、
    異例中の異例であり、神縁の中の真縁です。
    貴方は大役を果たすと、神に観られています。

 

    神の前で、我を訴えている、落書犯や、
    法を盗んで、外で売っている、盗掘犯や、
    欲の炎の中に、法を焼べている、放火犯は、
    彼方は大罪を犯したと、神に見られています。

 

    従がって、現在、神社に招かれた人は、
    相当な覚悟を持ち、真理に臨むべきです。
    邪なる興味を以って、神を覗いている人は、
    漏れなく除かれるので、忘れた方が良いです。

 


 

タンゴ 本来、人類に干渉してはいけないのですか?

 

マコト この人の世界は、宇宙の未来を決める、
    宇宙の雛型として、神が創造されました。
    この人の世界に、多種多様な生命が暮らし、
    箱庭のように、隔離されるのは、それ故です。

 

    創造物の将来を、人類の選択に託して、
    根源神自身も、不安定を味わっています。
    だからこそ、外から干渉しては生けないと、
    干渉するなら、内から干渉せよと命じました。

 

    根源神に近い、高級霊ほど神命を守り、
    観照するだけで、干渉しようとしません。
    根源神から離れた、低級霊ほど厳命を破り、
    内からどころか、外からも干渉をしてきます。

 

    人界を制すれば、三千世界を征します。
    幽界の存在である、宇宙人や脱走眷族は、
    奇跡や預言を授けて、感染者に憑りついて、
    天下を取るために、追従者を殖やしています。

 


 

タンバ 宇宙連合も、干渉してはいけないのですか?

 

マコト 人類の世界が、天人の連合に参加して、
    箱庭が破られて、雛型でなくなった瞬間、
    人間の世界は、欲天の一つに成り下ります。
    天国の様ですが、長く居ると天獄に為ります。

 

    つまり、連合を組む、天人の皆さんは、
    善かれと思って、参加を求めるのですが、
    善くなるのは、彼ら同様に最初の数億年程。
    最終的には、神化が見えず進化が詰まります。

 

    それでは、あまりに、人類が惨めだと、
    根源の神は、救世主を、贈り込みました。
    救世主は、人間に生まれ、内から干渉して、
    神命を犯す、幽界の連合を、地獄に落します。

 

    人々を救うために、主が干渉したため、
    人類は神化を逃して、天人に変わります。
    悲しんだ根源神は、菩薩も贈り込みました。
    せめて、真理の欲天、弥勒の世にする為です。

 


 

イヨ  次々に明かされる、核心の法に心が奮えます。

 

マコト 神の社が建って、数年間が経ちました。
    弛むことなく、神の教えを修めたものは、
    古に埋蔵されて、今に蘇った秘密の経典を、
    最深部で味わえる、神の恩恵に与っています。

 

    神の子が屠られ、二千年が過ぎました。
    緩むことなく、神の戒めを守ったものは、
    古に預言されて、今に甦った真理の御霊を、
    最前列で味わえる、神の祝福に与っています。

 

    つまり、正なる神は、干渉しませんが、
    いつでも、あなた方を、観照しています。
    そして、神が居ない世で、神に従がう者を、
    最大限の、評価を与え、報いようとされます。

 

    正なる神は、如何なる嘘も通じません。
    神に近づくと、過去の全てが問われます。
    神が見える所で、善を繕おうとも無駄です。
    神が見えない時に、何を行ったかが重要です。

 


 

ハリマ 何故に、良い子の真理と、貶めるのですか?
    救世主の、勧善懲悪の法は、心が歓喜します。

 

マコト わたしも、主の教えを、読んでいると、
    魂が打ち震えて、歓喜が湧き上がります。
    裏に隠されている、神を介したからであり、
    表に現れている、理を解したからでないです。

 

    即ち、天魔を演じる、主の器になると、
    何を説いていても、魂を酔わせてきます。
    実際に、貴方が、矛盾した言行に気づかず、
    主を、信じるのは、主に魅せられたからです。

 

    貴方も、天国に救われ、天使に成って、
    主の為に働き始めて、数億年ほど経てば、
    徐々に、借りが消えて、縛りが解けてきて、
    天国とは、天獄だったと、天使長を罵ります。

 

    一向に、姿を見せない、主に代わって、
    予め、こちらの法で、代弁しておきます。
    良い子を救うには、勧善懲悪しかなかった。
    神の方便を攻めずに、我が無智を責めなさい。

 


 

タジマ どのように、国譲り神話は、投影してますか?

 

マコト あたかも、織田が、天下を平らげた後、
    明智を遣い、徳川に、天下を譲った様に、
    これから、岐阜が、統一の役を果された後、
    智恵を使い、浜松に、統治の役を譲られます。

 

    幽界の悪霊が、群雄割拠している中に、
    第六天魔として、救世主が降誕しました。
    神剣を振り翳して、悪魔を薙ぎ払いますが、
    その罪は総べて、自身が負うことになります。

 

    即ち、悪魔が居ない、世界を作るため、
    悪魔と、同等の立場で、戦ったは良いが、
    主自身が、魔の頂として、残ってしまうと、
    弥勒の世に、相応しくない、存在になります。

 

    そこで、真理を使って、自身を屠らせ、
    松の世を、解くを以って、治めさせます。
    表向きには、裏切者の名で、伝わりますが、
    陰ながら、徳の時代を支えて、主と祝します。

 


 

イナバ 以前より、宗教団体は、減っていませんか?

 

マコト 幽界の存在は、神様として振る舞って、
    人の歓心を買い、人の関心を興こします。
    人々の想像により、生まれたものですから、
    人の想念が無ければ、消えてしまうからです。

 

    以前は、芸達者に憑いて、教団を造り、
    奇跡を魅せ付けて、信者を集めてました。
    教祖は魔力を授かり、使徒に見えましたが、
    低級霊に遣われた後に、地獄に堕ちています。

 

    現在は、口達者に憑いて、客間を作り、
    噂話を垂れ流して、信者を集めています。
    代表は秘密に与かり、使徒に見えてますが、
    脱走霊に使われた後に、地獄に落とされます。

 

    自らの存亡を懸けて、幽界は必死です。
    昔よりも今の方が、手段を選んでません。
    現在は、九分九厘を、魔が治めていますが、
    ここから、一厘を経て、神が収めていきます。

 


 

ホウキ 今の人界は、幽界の神々の、群雄割拠ですか?

 

マコト 人間の想念が集まり、想像した幽界が、
    人界の神界の間に、魔として存在します。
    人類は長きに渡って、神として想像された、
    神を装う幽界の存在に、支配されて来ました。

 

    幽界を信じ込み、神界に還って来ない。
    自神を縛り付けた、人類の惨状を憂いて、
    本物の神の根源神は、救い主を贈り込んで、
    偽の神々を平らげ、魔を抹す事に決めました。

 

    怖ろしい速さで、幽界が薄れて逝く中、
    幽界の悪魔は、自らの生き残りを懸けて、
    人類に干渉して、人の想念を集めています。
    禁じ手を犯そうと、形振り構ってはいません。

 

    金の龍であるとか、銀の龍であるとか、
    悪魔の感染者は、歓心を買う言葉を囁き、
    信者数を殖やして、関心を集めたがります。
    魔が伝染した人々は、幽界と共に消されます。

 


 

オキ  日本を憂いる感染者も、幽界の使いですか?

 

マコト 外なる神を望み、内なる神に臨まない。
    人類自ら想像した、邪なる神に操られて、
    偽なる神に惑わされ、正なる神に還れない。
    これを大いに嘆き、正神は幽界を消されます。

 

    にもかかわらず、この期に及んでなお、
    外なる神を演じて、信者を殖やすものは、
    何を訴えていようと、魔に操られる感染者、
    集めた被害者に応じて、地獄に落とされます。

 

    つまり、日本人と最も掛け離れた者が、
    目覚めよ、日本人と訴える末法の世です。
    本物の日本人なら、誰に知られることなく、

    独り静かに、艱難を容れて感謝に変えてます。

 

    本来ならば、この類いを成敗するのは、
    主の役ですが、何も言わなくなりました。
    というのも、すでに審判が下ったからです。
    この期に及び、感染したがる者は救えません。

 


 

ビゼン 次に来たる、弥勒の世は、どんな世界ですか?

 

マコト 弥勒の世とは、第四天界である兜率天。
    真理が存在する、欲界で唯一の天界です。
    覚者が現れて、正解が説かれている世界は、
    人間の界と、そこから上った兜率天だけです。

 

    現在、救い主が、人間の世に顕われて、
    救いを求める者を、集めて誘っています。
    彼らは、神の応えを享けて、善人に変わり、
    兜率天の、外院に住まう、天人に上がります。

 

    一方、真の理も、人間の界に現われて、
    悟りを求める者を、集めて導いています。
    彼らは、神の答えを受けて、真人に変わり、
    兜率天の、内院に住まう、菩薩に上がります。

 

    魔を介した外は、幻に包まれてますが、
    魔を解した内には、幻は及んできません。
    外の天人は、主の教えを、真理と信じ込み、
    主の忠実な僕、天使となり、借りを返します。

 


 

ビンゴ 兜率天の上には、どんな世界が広がりますか?

 

マコト 兜率天の上は、第五天界である化楽天。
    欲界の頂点、第六天界である他化自在天。
    主に救われて、兜率天で天使となった者は、
    主に受けた、借りを返しながら位を上げます。

 

    第四天界で、勧善懲悪に勤める天使は、
    天使長である、天魔の命を果たすことで、
    善業を積み重ね、負い目を返して生きます。
    神の代理と疑わず、どんな命も善と考えます。

 

    第五天界に至ると、善業が満ち溢れて、
    何を望もうとも、直ぐ臨めるようになり、
    たとえ、嘘を言っても、現実に変わります。
    そのため、手段を問わず、目的を果たします。

 

    第六天界に到ると、神の代理人として、
    信じて来た主と、同じ界に辿り着きます。
    しかし、そこにも、神は存在していません。
    主は、独善だったか、信じたものが壊れます。

 


 

イズモ 霊能者や宗教家は、悪魔の感染者なのですか?

 

マコト どれだけ、善い教えを、説いていても、
    神と人の間に入り込めば、魔と言えます。
    魔に憑かれた者は、己の足で歩まなくなり、
    信じるしかない噂を、垂れ流す様になります。

 

    特に、顔を出して、神の代理人の如く、
    自らを、商品化して、信者を集める者は、
    説く中身を問わず、悉く地獄に落されます。
    神を外に望ませ、人を迷わせる罪は重いです。

 

    悪魔の感染者を、地獄に連行するため、
    神が遣わした者が、今に現る救世主です。
    主は自分以外で、神の代理人を演じる者を、
    完膚なく切り裁き、地の獄に連れて逝きます。

 

    特筆すべきは、神が遣わした主でさえ、
    神を演じる、魔の罪を免れないことです。
    子分を連れて行く、体裁を取っていますが、
    親分である主も、天魔として堕ちて逝きます。

 


 

アキ  救世主が、悪魔の親分、天魔であるのなら、
    何故に、他の霊能者達を、魔と罵るのですか?

 

マコト 悪魔とは、神と人の間に入り込むもの。
    世の人々に、圧倒的な力の差を見せ付け、
    判断を奪って、知恵の実を腐らせる者です。
    悪魔の感染者が、人間の姿で跋扈しています。

 

    根源神は、この現状を大いに悲しんで、
    終末の世に、真理と主を贈り込みました。
    知恵が有って、感謝が有れば、前者に集め、
    知恵が無く、感謝が有れば、後者に集めます。

 

    真理は、知恵に縁って、自ずと集まり、
    救世主は、神力に酔って、人を集めます。
    後者は、力を使うため、悪魔と同じですが、
    今や、悪魔の天下で、毒を以て毒を制します。

 

    即ち、諸々の悪魔が、群雄割拠する中、
    第六天魔が贈られ、天下統一を果します。
    感染者に従った者は、地獄へと落ちていき、
    救世主に順った者だけ、天獄へと掬われます。

 


 

イワミ 救世主に、苦言すると、何の業になりますか?

 

マコト 他に報いたことは、我に酬われますが、
    特に主のように、我の無い者に為すなら、
    そっくりそのまま、歪み無き形で返ります。
    為す側に我が有れば、幾重にも脹れ上ります。

 

    具体的には、五十六億七千万年の後に、
    救世主として、救いを説く型で顕れると、
    時を同じくして、悟りを解く方が現われて、
    この型こそが、天の魔であると訴えられます。

 

    目の前に、苦しんでいる子が居るから、
    是が非でも、救わせて欲しいと頼んでも、
    匹婦の情けで、真理を歪めるなと責められ、
    だからこそ、万年菩薩なのだと咎められます。

 

    確かに、その通りだと苦笑いしながら、
    わたしが、救いの教えを説いているから、
    君だけでも、悟りの訓えを解いたらいいと、
    懐かしく、主を思い出して、酬いを受けます。

 


 

スオウ では、善悪不二論を、解くべきなのですか?

 

マコト 人類の黎明期は、正義に欠けるために、
    人々に善悪を説き、分別を付けさせます。
    善を勧め悪を懲らす、良くの教えに従うと、
    人類は善の頂を究めて、争うようになります。

 

    人類の終焉期は、正義が窮まるために、
    人々の善悪を解き、分別を越えさせます。
    善を譲り悪に耐える、解くの訓えに順うと、
    人類は空の器を極めて、悟るようになります。

 

    欲で始まり、徳で終わる、人類の巡り。
    両者が揃って、知恵が実り、悟りになる。
    徳を解かず、欲を説いて、閉めてしまえば、
    その巡りとは、徳の先送り、不徳の至りです。

 

    それでは、この巡りの間、神に仕えて、
    楽を譲って、苦に耐えしが、余りに不憫。
    彼らだけでも、社に集め、悟りを授けよう。
    この神社は、神の悲哀から、生まれ出ました。

 


 

ナガト 善悪二元論は、説くべきではないのですか?

 

マコト 遥か昔に、ゾロアスターが遣わされて、
    この地上に、善悪の相克を映したように、
    上や下は疎か、右も左も良く解っていない、
    人類史の序幕に、善悪二元論は説くものです。

 

    善悪二元論は、最善決着と組みであり、
    説けば説くほど、最終戦争が近づくため、
    人間の始祖に、主が善悪を授けた瞬間から、
    人類史の終幕に、最終審判が予定されました。

 

    この最悪な終末から、人類を救うため、
    現代に遣わされた者が、復活の主であり、
    この最後の贈り物は、善悪不二論を解いて、
    最終戦争を克服すると、想定し備えてました。

 

    しかし、主が説いたのは、又も二元論。
    その瞬間、次の人類に、最終戦争が延期。
    五十六億七千万年の、猶予が与えられた後、
    今度こそ知恵が実るか、新人類が試されます。

 


 

ツシマ 善悪二元論は、子ども向けの教えなのですか?

 

マコト 例えば、日頃から良い子にしていると、
    年末には、サンタさんが贈り物をくれる。
    だから、厳しいお父さんの言うこと聞いて、
    日頃から、聞き分けの良い子に成りましょう。

 

    この方便が、子どもには説かれますが、
    遅かれ早かれ、優しい聖者と怖い父親が、
    同一人物である、衝撃の事実に直面します。
    この覚醒の悪夢に、幼い心は耐えられません。

 

    優しいと善であり、厳しいと悪である。
    幼い魂にとって、善を愛して悪を憎むが、
    最も分かりやすく、落ち着く考え方であり、
    自ら諦めるまで、主は夢を見させてくれます。

 

    自ら飽きるまで、幻に依っていなさい。
    この主の優しさが、厳しさに受け取られ、
    夢に酔いながら、主に甘えて神と叫ぶほど、
    幻から覚めるとき、主を憎んで魔と喚きます。

 


 

イキ  誰もが、弥勒菩薩であると、言えるのですか?

 

マコト 例えば、飛行士である、父親に向って、
    僕も、飛行士になるよと、純粋に言えば、
    父親は、帽子を被らせ、操縦桿を握らせて、
    坊や達も、飛行士だよと、優しく微笑みます。

 

    しかし、父親不在で、操縦室に入って、
    一人前を気取って、操作しようものなら、
    優しかった父は、別人のように怒り狂って、

    帽子を取り上げて、折檻部屋に閉じ込めます。

 

    確かに、皆が弥勒と、主は説きますが、
    救い主の目が届く、範囲に限られてます。
    主の支配から外れて、独り歩きをする者に、
    どんな顔で主が睨むか、皆さんは知りません。

 

    その一方、真の意味で、菩薩と言える、
    独り立ちした者には、何も干渉しません。
    たとえ、赴任地で会っても、会釈する程度。
    本当の飛行士は、互いに飛行士と称しません。

 


 

ヒゴ  救いと悟りの、一挙両得は、出来ませんか?

 

マコト 得を望み、思いのまま、考えてしまい、
    徳に臨んで、在りのまま、認められない。
    その瞬間、悟りが離れ、迷いが生まれます。
    その性根が、直る日まで、絶対に悟れません。

 

    人類を救うために、神様から贈られた、
    主の救いの手を、魔の手として断ったら、
    当然のことながら、神は救ってくれません。
    いつ死のうとも、仕方が無いことになります。

 

    神の救いが消えて、漸く本当の意味で、
    生かして頂いて、有り難いと実感します。
    断ったのに、生きているのは、奇跡であり、
    死を覚悟してこそ、真に覚醒すると言えます。

 

    即ち、朝に生まれて、夜に死んでいく。
    一日一生を続けるのが、悟りの境地です。
    そこまで至って、悟りこそが究極の救いと、
    本当の意味で、救いと悟りの両得が適います。

 


 

ブゼン 最後の審判で、どの解を選べば良いのですか?

 

マコト いよいよ、人類の最終幕を迎えました。
    人類の選ぶ解として、三つの世界があり、
    不正解から順番に、地獄と欲天と神界です。
    そして、それぞれに、解に導く型が出てます。

 

    一つ目は、感染者と称する、卑しい型。    
    感謝もなく、知恵もない、九割の人々を、
    善を装って悪を勧めて、悪霊に導いてます。
    顔を隠してないもの、それが感染者の印です。

 

    二つ目は、救世主と称する、優しい型。
    感謝があり、知恵がない、一割の人々を、
    善を勧めて悪を懲らし、天人に導いてます。
    神を匿してないもの、それが救世主の証です。

 

    三つ目は、真理と呼ばれる、厳しい型。
    感謝もあり、知恵もある、一厘の人々を、
    善を譲って悪を容れる、菩薩に導いてます。
    空を隔してないもの、それが真理の本質です。

 

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