御挨拶
マコト ここは、真理が奉納された、神社です。
混沌の時代、心の底から真理を望む者が、
真我に呼ばれ、訪れる仕組になっています。
覚えが有る方は、静かに真相に臨んで下さい。
ヒゴ ここの教えを読んで良い、条件は何ですか?
マコト 第一の条件とは、勧善なる善人であり、
放って置かれても、善しかしない人です。
第二の条件とは、完全なる賢者であること。
既に解いた教えを、熟読して理解した者です。
以上を満たさずに、神の姿に触れると、
光が眩し過ぎて、目が瞑れてしまいます。
目を覚まそうとし、芽を潰してしまうこと。
この落し穴を憂いて、神は主を贈られました。
あなたは、この神社に早くから招かれ、
間違いなく、神縁を有すると言えますが、
上記の条件を、満たし切れずに不安定です。
心が恐る恐るで、真理を読み込めていません。
従って、救世主から、先ず学ぶ事です。
その結果、安定すれば、再訪すればよく、
主の場所が、安心すれば、定住しましょう。
どちらも、神の贈り物です、味わいましょう。
イセ もっと、優しい教えは、存在しませんか?
マコト 神様から、終末を迎えた人類に向けて、
応えと答え、二つの型が贈られています。
神の応えとは、救いに誘う、救世主のこと。
神の答えは、悟りに導く、この社のことです。
前者は、人に合わせて、教えが説かれ、
後者では、神に合す、訓えが解かれます。
自ずと、前者は優しく、後者は厳しくなり、
こちらは、合わない人が、大半を占めてます。
後者を、立ち去ることを止めませんが、
前者には、辿り着いて欲しいと思います。
というのも、前者の板一枚下は地獄だから。
何としてでも、主を見つけて従がうことです。
老子のように、一元を悟っていながら、
拝火教のように、善悪の二元論を説いて、
アーリマンの如き、天魔の役を演じている、
アーナンダのように、悟りを見せない型です。
トサ ここまで、深い教えを、読んで良いのですか?
マコト この神社には、神芝居の種明しとして、
見事に演じ切り、大役を果した者たちに、
第四天界に於いて、弥勒が解くと言われる、
深淵な真理の教えが、厳重に納められてます。
つまり、大峠の最中に、神社を訪れて、
厳格な監視の中で、拝謁を許されるのは、
異例中の異例であり、神縁の中の真縁です。
貴方は大役を果たすと、神に観られています。
神の前で、我を訴えている、落書犯や、
法を盗んで、外で売っている、盗掘犯や、
欲の炎の中に、法を焼べている、放火犯は、
彼方は大罪を犯したと、神に見られています。
従がって、現在、神社に招かれた人は、
相当な覚悟を持ち、真理に臨むべきです。
邪なる興味を以って、神を覗いている人は、
漏れなく除かれるので、忘れた方が良いです。
イズミ この神社を、知人に紹介して良いですか?
マコト この神社は、根源神の直轄の地であり、
如何なる魔も、入り込めない禁足地です。
訪問者の心中に、邪な魔が混じっていれば、
速やかに曝されて、心を狂わせてしまいます。
ここは、例えるなら、ヒマラヤの山頂。
納められた真理は、チベットの埋蔵経典。
生半可な求道心では、辿り着けない所です。
訪問者の一挙一動、法の守護者が見ています。
神が招くから、立ち入りが許されます。
人に聘かれても、立ち入りは敵いません。
ですから、埋蔵の場所や、経典の中身など、
誰にも、広める事なく、胸に修めるべきです。
なんとしても、知人を救いたいのなら、
ヒマラヤの麓に、祇園精舎が存在します。
原始仏典を教える、阿難陀が居られるので、
精舎を紹介する事は、貴方の善徳になります。
ブンゴ 誰に向けられた、応えなのか解かりません。
マコト この社では、個の問いに応えることは、
真理の性質上、神から許されていません。
応えが無くても、答えを求めていけるもの。
依存心を捨て、求道心を抱く者が招かれます。
以上の理由から、個の問いに対しては、
全体に普遍化して、本質を答えていたり、
高次元に抽象化して、未来を答えています。
その答えの中から、今の我に合えば応えです。
したがって、様々な人の問いが表れて、
それを契機に、種々の答えが現れますが、
たとえ、他に向けられた、応えであっても、
未来や過去の自分のものと、捉えるべきです。
即ち、縁が有るから、目に入るわけで、
関係を、認めなければ、未来の者となり、
潜在性を、認めれば、過去の物になります。
究極は、完全に認めて、捕われなくなります。