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物語編

第六章 第五九話 問答編

マサシ 自我崇拝(ジガスウハイ)とは、何ですか?

 

アキラ 自我崇拝は、思いのままを崇めること。
    この世界には、あるべきものも存在して、
    ないべきものも、存在していると見ている。
    あらゆる者の中に、我が分身を見つけている。

 

マサシ 自然崇拝(シゼンスウハイ)は、何ですか?

 

アキラ 自然崇拝は、在りのままを崇めること。
    この世界には、あるべきものが存在して、
    ないべきものは、存在してないと見ている。
    あらゆる者の中に、神の分霊を見とめている。

 


 

ミシマ 世界の雰囲気が、どのように変わりましたか?

 

マコト 類は友を呼ぶが、顕著に為っています。
    誰もが、自らが望む道に、形振り構わず、
    巻き込まれて、吸い込まれる、有り様です。
    自ら裁きますが、世に言う、最後の審判です。

 

ミシマ 最後の審判とは、どういうものですか?

 

マコト Aを望むなら、非Aに臨むことになる。
    例えば、自分は正しく、相手は誤まりと、
    善意から、悪者を非難し、糾そうとすれば、
    自らが、悪者と気づき、正される仕掛けです。

 

ミシマ ここには、どのような類が、集まりますか?

 

マコト 今生の計画のためなら、何も要らない。
    使命を果すためなら、万難を与え給えと。
    神に誓願したは良いが、その試練の辛さに、
    涙が乾くことがない、そんな魂が集まります。

 

ミシマ ここでは、菩薩の発願が、必要なのですか?

 

マコト 型となる者が、衆生済度の誓願を立て、
    泣きながら、この道を切り開いています。
    弥勒菩薩に為りたいなら、発願して下さい。
    誰だって弱いですから、泣いても構いません。

 

ミシマ 物語編と、同じことが、起っているのですか?

 

マコト 現在、進行形で、物語が続いています。
    象徴的に、描かれていますが、実話です。
    即時に、現実を読み解ける者は、幸いです。
    その豊かな経験は、後世の物語に息吹きます。

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