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物語編

第六章 第六三話 問答編

マサシ 臣民(シンミン)は、どういうものですか?

 

アキラ 臣民は、他に仕えて、我に疲れるもの。
    外に仕えるほど、他と比べるようになり、
    周囲に、散漫するため、我に疲れてしまう。
    外に向き、他と繋がって、外なる人を訪ねる。

 

マサシ 神民(シンミン)は、どういうものですか?

 

アキラ 神民は、神に仕えて、我を忘れるもの。
    内に仕えるほど、他が気にならなくなり、
    現在に、集中するため、我を忘れてしまう。
    内に向き、神と繋がって、内なる神に尋ねる。

 

マサシ 選民(センミン)は、どういうものですか?

 

アキラ 選民は、垂直に立つ、三角を作るもの。
    人々を上下に分け、不平等に捉えるため、
    外なる神を訪ね、下の人々の話を聞かない。
    階級組織を作って、神の近くに行く事を喜ぶ。

 

マサシ 万民(バンミン)は、どういうものですか?

 

アキラ 万民は、水平に並ぶ、円形を作るもの。
    人を上下に分けず、平等に見とめるため、
    内なる神を認め、外の人々の話を見とめる。
    役割分担を作って、神と共に居る事を楽しむ。

 


 

オワリ 選民であると、伝える意義は何ですか?

 

マコト 敢えて伝える意義は、注意の喚起です。
    良い法にも悪い方にも、大きく変化する、
    善悪定かならない大役が、選民の宿命です。
    果たせば大善となり、躓けば大悪になります。

 

    あたかも、心臓が、体に血を送るとき、
    中枢の血管は太いが、末梢の血管は細く、
    もし、中枢で詰まれば、全身が壊死します。
    つまり、選民の役は、大動脈の如きものです。

 

    末梢の血管なら、少しくらい歪んでも、
    まだ、自業自得の範囲で、収まりますが、
    大動脈が脇に逸れたり、詰まろうものなら、
    人類の歴史が揺らぐ、大きな被害を受けます。

 

    だからこそ、選民は、我を投げ捨てて、
    ひたすら、自らを空に、血を流し続ける。
    わずかでも、我を出せば、人類が滅亡する。
    そのほどの覚悟で、使命に臨んでいる者です。

 

オワリ 敢えて伝えることで、慢に陥りませんか?

 

マコト まさに、慢とは、血の詰りのことです。
    人類の集合意識は、詰まって良い血管を、
    人類の歴史の中枢に、持って来ていません。
    虚心坦懐、善悪定かならぬ使命に没頭します。

 


 

アキ  救世主が、悪魔の親分、天魔であるのなら、
    何故に、他の霊能者達を、魔と罵るのですか?

 

マコト 悪魔とは、神と人の間に入り込むもの。
    世の人々に、圧倒的な力の差を見せ付け、
    判断を奪って、知恵の実を腐らせる者です。
    悪魔の感染者が、人間の姿で跋扈しています。

 

    根源神は、この現状を大いに悲しんで、
    終末の世に、真理と主を贈り込みました。
    知恵が有って、感謝が有れば、前者に集め、
    知恵が無く、感謝が有れば、後者に集めます。

 

    真理は、知恵によって、自ずと集まり、
    救世主は、神力によって、人を集めます。
    後者は、力を使うため、悪魔と同じですが、
    今や、悪魔の天下で、毒を以て毒を制します。

 

    即ち、諸々の悪魔が、群雄割拠する中、
    第六天魔が贈られ、天下統一を果します。
    感染者に従った者は、地獄へと落ちていき、
    救世主に順った者だけ、天獄へと掬われます。

 


 

イズモ 霊能者や宗教家は、悪魔の感染者なのですか?

 

マコト どれだけ、善い教えを、説いていても、
    神と人の間に入り込めば、魔と言えます。
    魔に憑かれた者は、己の足で歩まなくなり、
    信じるしかない噂を、垂れ流す様になります。

 

    特に、顔を出して、神の代理人の如く、
    自らを、商品化して、信者を集める者は、
    説く中身を問わず、悉く地獄に落されます。
    神を外に望ませ、人を迷わせる罪は重いです。

 

    悪魔の感染者を、地獄に連行するため、
    神が遣わした者が、今に現る救世主です。
    主は自分以外で、神の代理人を演じる者を、
    完膚なく切り裁き、地の獄に連れて逝きます。

 

    特筆すべきは、神が遣わした主でさえ、
    神を演じる、魔の罪を免れないことです。
    子分を連れて行く、体裁を取っていますが、
    親分である主も、天魔として堕ちて逝きます。

 


 

エゾ  救世主が、感染者の本を紹介していました。

 

マコト いよいよ、裁きの日が近づいています。
    出来るだけ、多くの人を救い上げるため、
    救世主は、法を捻じ曲げ、罪を犯そうとも、
    魔と同じ土俵に降りて、救いを説いています。

 

    耳触りの良い教えを、幾ら説こうとも、
    人は、救われはしても、悟りはしません。
    しかし、今は最終の局面、地獄よりは天獄。
    天魔王は、使い魔を遣って、民を掬ってます。

 

    あたかも、天下の統一を、志した際に、
    信長が、口だけ達者な、人誑しの秀吉を、
    辺境派遣の軍団長として、取り立てたよう、
    縁が遠い人々を救うために、採り上げました。

 

    しかし、あくまで、これは禁じ手です。
    救世主は、天の魔を演じた極悪人として、
    明智による、本能寺の変により屠られます。
    その後に、全てを理解した家康が現われます。

 


 

ムツ  その感染者は、正神の使徒ではないのですか?

 

マコト 善悪不二を悟り、現代の世を見渡せば、
    すべての感応者は、正神の御使いですが、
    善悪二元論の主から、終末の世を見渡せば、
    主以外の霊能者は、悪神の御遣いになります。

 

    主が自ら掲げる、天下布善の旗の下に、
    他の善を滅ぼさず、泰平の世は訪れない。
    これを徹底して、最近に至るまで救世主は、
    如何なる相対善も、例外なく切り捨てました。

 

    にもかかわらず、最終の局面に到って、
    主以外の「善」を、主が許すのであれば、
    その「善」より、遥に優れている「善」を、
    赦さなかった、業が在るため、業が返ります。

 

    即ち、究極の背後が、正神であろうと、
    今まで、邪神の眷属と、斬り棄てられた、
    あらゆる、大名の怨念に、魔王が魘されて、
    詰んだ業が、噴き出す時が、本能寺の変です。

 


 

イキ  主は、神様なのですか、悪魔なのですか?

 

マコト 本来なら決して、姿を顕わさない神が、
    卒業が迫って、進路を決める人類のため、
    慣わしを破って、姿を現わした者が主です。
    主は、試験官でも、試験その物でもあります。

 

    即ち、長きに渡る、強化合宿を終えて、
    人類が、神に向って、何を祈る者なのか。
    個々人が、主を迎えて、何を願う者なのか。
    真正な、神の出現により、人類は試されます。

 

    神の社で、神に望んで、我欲を願えば、
    社から、神が去って、魔が住み着くよう、
    人の型は、主に臨んで、救済を望んだため、
    主から、仏が去って、天魔が棲み憑きました。

 

    現在の主は、幼い子らに、縋り付かれ、
    泣き喚く、声に応えて、魔に堕ちました。
    少なくとも、ここに集う、因縁の御魂達は、
    堕天使の、大悲を見とめて、感謝を奉げます。

 

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