第一章 第二二話 問答編
マサシ 主観(シュカン)とは、どういうものですか?
アキラ 主観は、横から見て、偏ることであり、
陰と陽の、片方だけを、見ることである。
主観は、Aを見とめても、非Aを見とめず、
どちらかは悪いと捉えると、世は偏っていく。
マサシ 客観(キャッカン)は、どういうものですか?
アキラ 客観は、上から見て、直ることであり、
陰と陽の、両方までを、観ることである。
客観は、Aも見とめるし、非Aも見とめる、
どちらでも良いと捕えると、世は直っていく。
コマキ 他の経典を、並行して読むべきですか?
マコト もし、真理を修めず、経典に接すると、
自ずと、思いのままに、歪めていくため、
経典から、在りのままを、認められません。
多くを、読めば読むほどに、矛盾を抱えます。
一方、真理を修めて、経典に触れると、
自ずと、在りのままに、直していくため、
経典から、思いのままを、見とめられます。
多くを、読めば読むほどに、補完を擁きます。
即ち、真理の欠けら、経典に触れると、
それが、如何なる、対象に説かれたのか、
さらには、如何なる、目的で解かれたのか。
一目瞭然で、その中に、真理を認められます。
コマキ 神話や経典は、読まない方が、良いのですか?
マコト 喩えるなら、真理は純金、経典は砂金。
純金を知らないまま、砂金は探せません。
先ず、金塊を眺め、純金の何たるかを知り、
続いて、砂丘に挑み、砂金を見つけましょう。
あなたも、今生の内に、菩薩になれば、
次の生から、砂漠の中に、放り出されて、
見た事もない、黄金を探す、訓練に出ます。
今生の内に、純金の何たるか、修めて下さい。
コマキ 絶対に、砂金を探しては、いけないのですか?
マコト お母さんのために、砂金を見つけたよ。
あら、似ているけど、それは雲母なのよ。
これは、子供も切なく、母親も切ないです。
すべては、この切なさを、回避するためです。