第一章 第二三話 問答編
マサシ 解る(ワカる)とは、どういうものですか?
アキラ 解るとは、相違点を認めることであり、
Aと非Aの、「非」を認めることである。
AとBに分けても、異なる点が解りにくく、
Aと非Aに分ければ、異なる点が解りやすい。
マサシ 悟る(サトる)とは、どういうものですか?
アキラ 悟るとは、共通点を認めることであり、
Aと非Aの、「A」を認めることである。
AとBに解しても、等しい点を悟りにくく、
Aと非Aに解すると、等しい点を悟りやすい。
メグミ 三項以上の多項対立については、
どのように考えたら良いのですか?
マコト 三項以上の対立は、「まだ解る余地がある」
完全には、解り切っていない状態と考えます。
例えば、AとBとCの対立がある場合、
Aと非A、Bと非B、この非Aと非Bを、
本来、同じものではない、にもかかわらず、
Cという概念として、括っていると考えます。
カニ ここでは、救いは、与えられないのですか?
マコト 此の型は、魂の悟りを、司ってますが、
異なる方が、魂の救いを、司っています。
こちらは、神と向かい合う、厳しい道です。
たとえ、ここを漏れても、他の型が掬います。
カニ 一体、悟りとは、どういうものですか?
マコト 悟りとは、Aと非Aを、等置すること。
非のAにも、Aを認めて、差を取ります。
Aで取れ、Bで取れて、Cで取れていくと、
悟りが、深くなって、上位の対立に迫ります。
カニ 一体、救いとは、どういうものですか?
マコト 救いとは、Aと非Aを、交換すること。
非のAから、非を除いて、苦を取ります。
Aで取れ、Bで取れて、Cで取れていくと、
救いが、広くなって、多数の信者が集います。
カニ 悟りと救いは、両立し得ないのですか?
マコト 例えば、Aを望んで、非Aに臨むとき、
己に依り、差を取れば、悟りの機になり、
誰かに頼り、苦を取れば、救いの会になる。
突き詰めれば、同じですが、差取り難いです。