第一章 第五三話 対話編
CASE 自我 の裏に 自然
マナミ 部分のもの、自我って、どういうものなの?
マサシ 自我とは、思いのままに、想像をするものさ。
マナミ 欲を持って、世界を想像すると、どうなるの?
マサシ 好きなものと、嫌いなものに、世界を分けて、
思いのまま、突き詰めて、世界を作り上げる。
マナミ いつ迄も、思いのまま、突き詰められるの?
マサシ 最初は、出来るけど、徐々に出来なくなる。
最終的に、世界が壊れて、幻想から覚めるよ。
マナミ 全体のもの、自然って、どういうものなの?
マサシ 自然とは、在りのままに、創造をするものさ。
マナミ 徳を以って、世界を創造すると、どうなるの?
マサシ 好きなものと、嫌いなものに、世界を分けず、
在りのまま、受け容れて、世界を創り上げる。
マサシ いつ迄も、在りのまま、受け容れられるの?
マサシ たとえ、どうなろうとも、それが在りのまま。
即ち、自我の想像を含めて、自然の創造だよ。
マサシ 想像できるものは、既に、創造されているの?
う~ん、信じられない、そんな想像できない。
マサシ それさえ、想定した上で、世界は創造される。
マナミ ……………………
CASE 自我 の先に 自然
サトミ 細やかな器、自我って、どういうものかな?
メグミ 自我とは、好きなものを、寄せ集めるものよ。
サトミ 大いなる器、自然って、どういうものかな?
メグミ 自然とは、全てのものを、受け容れるものよ。
サトミ 好きなものだけ、寄せ集めたら、どうなるの?
メグミ 内に好きが多くなり、外に嫌いが多くなるよ。
サトミ 嫌いなものから、逃げ続けたら、どうなるの?
メグミ 外なる自然に、襲われている様に、感じるよ。
サトミ 嫌いなものまで、受け容れたら、どうなるの?
メグミ 外なる自然に、抱かれている様に、感じるよ。
サトミ じゃ、好き嫌いを言うと、自ずと叱られて、
反対に、全て受け容れると、自ずと愛される?
メグミ うん、自然は、すべてを、受け容れているの。
それを、自我が、好き嫌い、言っているだけ。
サトミ それじゃ、あたし、どうしたら、良いのかな?
好き嫌い言わず、何でも受け容れるべきかな。
メグミ 好きにして良いよ、自然は、何も言わないよ。
サトミ う~ん、でも、近頃、叱られている気がする。
メグミ それなら、この話、そろそろ、受け容れたら?
サトミ ……………………!!
CASE 自我 という 自然
サトシ 一部を司る、自我って、どういうものかな?
アツシ 自我とは、自然を分ける、多くの器のことだ。
サトシ 特有の性を、突き詰めると、数が増えるの?
アツシ 個性が生まれ、多様な使命を、果す様になる。
サトシ 多さを求め、増え過ぎると、どうなるのかな?
アツシ 個の器が、小さく為って、命を果し難くなる。
サトシ 全部を司る、自然って、どういうものかな?
アツシ 自然とは、自我を容れる、大きな器のことだ。
サトシ 通有の性を、受け容れると、器が広がるの?
アツシ 個性が埋まれ、様々な生命を、育む様になる。
サトシ 広さを求め、減り過ぎると、どうなるのかな?
アツシ 個の性が、少なく為って、命を深め難くなる。
サトシ つまり、自我だけでも、使命が果せないし、
逆に、自然だけでも、使命が果せないわけか。
アツシ そうだ、自我と自然の、両方が揃ってこそ、
大自然を、あらゆる命で、彩ることが出来る。
サトシ そっか、大きな自然が、舞台を創り上げて、
その中で、多くの自我が、物語を作り上げる。
アツシ そうだ、漏れなく、俺達も、その話の一部だ。
サトシ ……………………!!
CASE 自然なき自我 と 自我なき自然
サトミ 自我と自然、どちらを、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 選り分ける、自我って、どういうものかな?
メグミ 自我とは、思いのままに、取り入れるものよ。
サトミ 移り変わる、自然って、どういうものかな?
メグミ 自然とは、在りのままに、受け容れるものよ。
サトミ 自我を望み、自然に臨まないと、どうなるの?
メグミ 自然なき自我なんて、無自我に過ぎないよ。
サトミ じゃ、選り分けようと、受け容れられないの?
メグミ そうよ、受け容れないと、我が削られるのよ。
サトミ 自然を望み、自我に臨まないと、どうなるの?
メグミ 自我なき自然なんて、不自然に過ぎないよ。
サトミ じゃ、受け容れようと、突き詰められないの?
メグミ そうよ、選び取らないと、移り変わらないよ。
サトミ 自我だけは、我を張るけど、我が削られて、
自然ばかりは、我を許すけど、我が生じない。
メグミ うん、自我と自然、その両方が、必要なのよ。
サトミ そっか、自我を介して、自然を介していくの?
メグミ うん、自然に臨んで、自我を望んでいくのよ。
サトミ ……………………!!