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物語編

第一章 第五四話 問答編

マサシ 偶然(グウゼン)は、どういうものですか?

 

アキラ 偶然は、果を見るとき、因を見とめず、
    意味が埋れて行く、自我の感じ方である。
    意味と無意味に、思いのままに分けるため、
    世界が曖昧になり、分からない事が多くなる。

 

マサシ 必然(ヒツゼン)は、どういうものですか?

 

アキラ 必然は、果を見るとき、因も見とめて、
    意味が生じて来る、自然な感じ方である。
    意識と無意識を、在りのままに合せるため、
    世界が明確になり、解らない事が少なくなる。

 

マサシ 因縁の御魂(ミタマ)は、どんなものですか?

 

アキラ 因縁の御魂は、人類の進化を促すため、
    人間界に転生し、型を演じる菩薩のこと。
    徳の高さに応じて、果たす使命が異なるが、
    器が大きいほど、過酷な輪廻を経験している。

 

マサシ 因縁の御魂の特徴は、どういうものですか?

 

アキラ 神に愛されているが、甘やかされてはいない。
    神に導かれているが、語りかけられはしない。
    神に選ばれているが、鍛えられるためである。
    神に守られているが、挫かれないためである。

 


 

タジミ 第〇章を読むと、悲しい文脈でもないのに、
    自然と涙が溢れて来ますが、どうしてですか?

 

マコト ここにおいて、真理を修められる人は、
    今生、もしくは、いずれかの生において、
    神、道、真理、もしくは、全人類のために、
    自らの全て、自我を捧げたことがある方です。

 

    というのも、真理や真我というものは、
    他の総べてを、諦らめられた存在にだけ、
    心の中に現れて、明らめられる至宝だから。
    浮気する者に、神は修められない仕組みです。

 

    第〇章を読むと、涙が止まらないのは、
    その演目に関して、演じた縁が有るから。
    その時代、自我を奉げた、その果報として、
    この時代に、真我を修める、機が巡りました。

 

    すなわち、あなたは、因縁の御魂です。
    ここで、真理を修めて、浄化が進むほど、
    すべての章で、涙が溢れるようになります。
    人類を見守り続けた、真理の御霊と化します。

 

    我を捧げ尽した、因縁の御魂にとって、
    真理は、神からの福音でしかありません。
    朗報を修めて、真理の御霊となって下さい。
    後の世は、弥勒菩薩として、称えるでしょう。

 


 

カイ  因縁の御魂とは、どういうものですか?

 

マコト 今の時代、三千世界の立て替えのため、
    遥か昔から、仕組を整えて来た御魂です。
    勇者も逃げ出す、過酷な試練に耐え続けて、
    御魂磨きを終えて、この地に導かれて来ます。

 

    心魂が磨かれた者が、真理を修めれば、
    長きに渡る苦労が、覚醒と共に報われて、
    真理は、無上の福音として、届けられます。
    後の世に、真理の御霊と、彼らは呼ばれます。

 

カイ  弥勒の菩薩とは、どういうものですか?

 

マコト 今の時代、三千世界の立て替えのため、
    遥か昔から、仕組を整えて来た菩薩です。
    天人も逃げ出す、苛酷な輪廻を乗り越えて、
    菩提磨きを果して、この地に導かれて来ます。

 

    666を、切り捨てれば、欲天に至り、
    反対に、抱き参らせるなら、色天に到る。
    即ち、魔天を越えて、天人の師となるもの。
    彼らは、後の世に、弥勒の菩薩と呼ばれます。

 


 

サツマ もしかして、物語編は、現実のことですか?

 

マコト 人類が、魚座の時代を、掛けて積んだ、
    カルマを、筋書きとして、説かれてます。
    確かに、物語の世界で、表れていたものは、
    そのまま、現実の世界に、現われていました。

 

サツマ もしかして、物語編は、現在のことですか?

 

マコト 人類が、水瓶の時代に、向けて味わう、
    カルマを、筋書きとして、解かれてます。
    確かに、物語の世界に、表れてくるものは、
    そのまま、現在の世界に、現れてきています。

 

サツマ もしかして、わたしも、表れていますか?

 

マコト どの演者が、選ばれるかは、さておき、
    ここの縁者は、物語中に、現れています。
    完全に台本を解し、現実の舞台で演じれば、
    後の世には、弥勒菩薩として、著れています。

 


 

シマ  最新巻は、特に心の奥に、染み渡りました。
    これまでの、人生の意味が、良く解りました。

 

マコト 父なる神は、弥勒の世を迎えるために、
    永い時を懸け、準備を為されて来ました。
    言葉や歴史など、人知を越える仕組は勿論、
    苛酷な犠牲を課す、人命を要する仕掛も然り。

 

    この計画に加わり、鍛え抜かれた者は、
    この最後の仕上げに、因縁の御魂として、
    この真理の地に招かれ、真理の御霊となり、
    大団円を自ら演じる、機会が与えられてます。

 

シマ  私などが、本当に弥勒菩薩に成れるのですか?

 

マコト 今まで、全く労って貰えなかったから、
    そうして、卑屈に為るのも分かりますが、
    それも、最後に最高の役を授かるためです。
    菩薩に成れば、その私も消え、それが証です。

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