第二章 第二五話 問答編
マサシ 天上(テンジョウ)は、どういうものですか?
アキラ 天上とは、陰陽を越える、世界であり、
二元を越え、一元を修める、境地である。
二元を語れず、一元を騙った、天上人では、
人を惑わすばかりで、誰も天上には導けない。
マサシ 天下(テンカ)とは、どういうものですか?
アキラ 天下とは、陰陽が現れる、世界であり、
一元を修め、二元を治める、境地である。
一元から滑り、二元を統べる、天下人では、
人が苦しむばかりで、常に天下が収まらない。
メグミ 十牛図(ジュウギュウズ)を教えて下さい。
マコト 十牛図は、一元の境地を、牛に喩えて、
悟りに至る、十段階を示す、図のことよ。
真の自己を探し求める、二元の自分の姿が、
牛を探し求めている、牧人の姿で描かれるわ。
メグミ 尋牛(ジンギュウ)は、どういうものですか?
マコト 牛を探し求めて、尋ね歩いている姿であり、
真我を探し求めて、道を探している姿なのよ。
メグミ 見跡(ケンセキ)とは、どういうものですか?
マコト 牛が存在する跡を、見とめている姿であり、
真我が存在する事を、見とめられた姿なのよ。
メグミ 見牛(ケンギュウ)は、どういうものですか?
マコト 牛が実在する事を、見とめている姿であり、
真我が実在する事を、見とめられた姿なのよ。
メグミ 得牛(トクギュウ)は、どういうものですか?
マコト 牛を捕まえても、すぐに逃げ出す姿であり、
真我を垣間見ても、すぐに消え去る姿なのよ。
メグミ 牧牛(ボクギュウ)は、どういうものですか?
マコト 牛を捕まえて、飼い馴らしていく姿であり、
真我を捕らえて、近くに感じていく姿なのよ。
メグミ 騎牛帰家(キギュウキカ)とは?
マコト 牛を飼い馴らし、家に連れて帰る姿であり、
真我を感じながら、俗に戻って行く姿なのよ。
メグミ 忘牛存人(ボウギュウゾンジン)とは?
マコト 家に帰り着くも、牛を忘れている姿であり、
真我を忘れながら、世の中を生きる姿なのよ。
メグミ 人牛倶忘(ジンギュウグボウ)とは?
マコト 全てを忘れ去り、人も牛も消える姿であり、
自我の境界が消え、真我そのものの姿なのよ。
メグミ 返本還源(ヘンポンカンゲン)とは?
マコト 全てを思い出し、美しく見とめる姿であり、
自我の境界が消え、自然そのものの姿なのよ。
メグミ 入店垂手(ニッテンスイシュ)とは?
マコト 童子が師になり、別の童子を導く姿であり、
悟りを得たものが、世間で人を導く姿なのよ。
ミハル 真我に目覚めた人は、特別になるのですか?
マコト 真我に覚めると、すべてが自分であり、
肉体の自分は、数ある一人に過ぎません。
与えられた中で、最大限に使命を輝かせて、
普通の生命として、精一杯に活きて生きます。
ミハル 特別な使命を、授かるのではないのですか?
マコト たとえ、苦しくても、逃げることなく、
常に、笑顔を絶やさず、感謝を忘れない。
つまり、与えられた命を、最大限に活かす。
これこそ、平凡にして非凡、正神の使命です。
ミハル 例えば、世の人々に、神の存在を伝える等、
凡人には出来ない、特別な使命は無いですか?
マコト そういう事を、喜んで行って来たから、
混沌とした現状、末法の世界が在ります。
神や真我を悟ると、一般席に静かに着いて、
天人や幽霊が憑くと、特等席に酔い痴れます。