第二章 第五四話 問答編
マサシ 明鏡止水(メイキョウシスイ)とは?
アキラ 明鏡止水とは、曇りの無い鏡のように、
静かな水の面のように、澄んでいること。
修めたまま蓄えていたら、濁らされていき、
修めたものを与えていたら、澄まされていく。
マサシ 修学(シュウガク)は、どういうものですか?
アキラ 修学は、積み重ねて、学を修めること。
好きを突き詰めて、日に日に得していく。
修道のない修学では、只の依学に過ぎない。
思いのままに学んでも、真髄を修められない。
マサシ 修道(シュウドウ)は、どういうものですか?
アキラ 修道は、打ち壊して、道を修めること。
嫌いを受け容れて、日に日に損していく。
修学のない修道では、只の邪道に過ぎない。
明らめないで諦めても、正道を修められない。
マサシ 諺「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
アキラ 中国春秋時代の儒家である、孔子曰く。
もし、朝に、真理を悟ることが出来れば、
その夕に、死んでしまっても、悔いはない。
真理を悟ることこそ、人生の目的であること。
ナニワ 真理を修めると、願望が適うのですか?
マコト 欲を適えるほど、日に日に得しますが、
真理を修めるほど、日に日に損をします。
壊れ続け、最終的に、空の境地に至ります。
その境地は、何も無い代わり、実に清明です。
あなたが、何か望みを叶えたいのなら、
内に臨まず、外に望むべきだと思います。
ここでは、これから、外で味わう苦しみを、
凝縮した形で、先に味わってしまうだけです。
ナニワ いわゆる、現世利益を説かないのですか?
マコト 利を望んでいると、害に臨んでしまう。
現世の利益を望めば、現世の被害に遭う。
それを悟った上で、利を説けるでしょうか。
真の利は真の理、至高の現世利益は真理です。
ツバメ 次々に、自分らしさが、崩れて行きます。
これまで、慈しんで来た、私が壊されます。
マコト 天人に誘われると、自我が添えられて、
内在神に導かれると、自我が削がれます。
あなたが、真理を歩んでいる、証しであり、
内なる神に、愛されている、何よりの証です。
あなたが感じている、あなたらしさは、
わずか、数十年で、培ってきたものです。
あなたの、長い長い、魂の遍歴から見れば、
必死に、思い込まれた、幻の我に過ぎません。
賊として、人々を殺めた、生も有れば、
貴族として、甘美に浸った、命も在って、
奉仕者として、人類に尽した、生も有れば、
貧民として、辛酸を嘗めた、命も在りました。
これらの、総まとめ、今生に於いては、
すべて、自分と認めて、悟りを開きます。
小さな我が崩れ去り、多くの我を愛す先に、
大いなる我である、真なる我が現れて来ます。
トメ 最も嫌な所を突かれる、試練が襲って来ます。
マコト 他の道は、収めるほど、得を感じるが、
真理の道は、修めるほど、損を感じます。
つまり、損の先にある、徳を観じなければ、
道半ばで、修めることを、諦めてしまいます。
神の道は、知恵なくして、進めません。
真我を観じられる、智慧を磨いて下さい。
無智に甘んじて、試練に耐えるだけならば、
神の愛に気づけず、神の道を外れていきます。
トメ どれぐらい、真理を読めば、良いのですか?
マコト 正神の問い、即ち、神の試練に対して、
直ちに答えを、自ら導ける様になるまで。
正神は無言です、自ら解くしか在りません。
間が空くほど、魔が入り込んで神を怨みます。
逆に、直ぐ答えが、解かる様に為れば、
その後の人生は、常に神と共に在ります。
与った教えを、諳んじるほど修めて下さい。
そうすれば、更なる教えが解き明かされます。