物語編
第三章 第六話 物語編
第三章 六根 と 六境
第六話 内に感じる処 と 外に観じる処
この世に、存在を許されぬ、存在など何もない。
善にしても、悪にしても、全てが認められている。
現実的に、存在する時点で、許されて存在している。
つまり、悪に見えるものは、他の善に過ぎない。
我が善が、受け容れない善が、悪に見えるだけで、
言うなれば、他の善を許さない、独善こそ悪なのだ。
すべてが許されていた、すべてが愛されていた。
ありとあらゆる善と悪が、様々な経験をするため、
世界に極妙な色彩を与える、役を演じているだけだ。
自分は、誰からも愛されないと、思っていたが、
然に非ず、愛を願うより前に、既に愛されていた。
たとえ、大悪を犯そうとも、無条件に愛されている。
確かに、善を為せば、勧めるべく、褒められて、
逆に、悪を犯せば、改めるべく、厳しく叱られる。
しかし、善と悪、どんな役も、平等に愛されている。
それどころか、誰もが嫌がる、役を負う者こそ、
誰もが救われる、欲の型として、鍵が委ねられる。
底辺で苦しむ、地獄を支える、魂の使命に胸が痛む。