第三章 第七話 対話編
CASE 受 の裏に 愛
マナミ ねぇ、ヴェダナー、受は、どういうものなの?
マサシ 受とは、欲に捕われず、客観的に見ることさ。
マナミ もし、欲に囚われないと、どのように見るの?
マサシ Aと非Aを、どちらも、等しく見とめるのさ。
マナミ じゃ、タンハー、愛って、どういうものなの?
マサシ 愛とは、欲に囚われて、主観的に見ることさ。
マナミ もし、欲に捕らわれると、どのように見るの?
マサシ Aと非Aを、どちらか、偏って見とめるのさ。
マナミ それなら、Aが現れると、非Aが隠れるけど、
これを、等しく見るときは、どう見ているの?
マサシ Aの裏に、非Aが存在すると、見ているのさ。
マナミ う~ん、それなら、楽しいと感じているとき、
その裏に、隠された、苦しみを観じているの?
マサシ そうさ、等しく見れば、そう捕えているのさ。
マナミ でも、そんな風に見えて、本当に楽しいの?
だって、苦を観じていたら、楽を感じないの。
マサシ でも、欲に塗れないとは、そういうことだよ。
マナミ う~ん、そんな風に見ても、良い事ないよね。
マサシ ほら、欲に囚われるとは、こういうことだよ。
マナミ ……………………
CASE 受 の先に 愛
サトミ 区別で分ける、受って、どういうものかな?
メグミ 受とは、良くに捕われず、識別を行うことよ。
サトミ 受は、Aを重んじても、非Aを軽んじないの?
メグミ そうよ、Aと非Aの間に、差を見とめないの。
サトミ もし、Aだけを重んじると、どうなるのかな?
メグミ 差が生じて、欲が表れて、受が愛になるのよ。
サトミ 差別で分ける、愛って、どういうものかな?
メグミ 愛とは、良くに囚われて、識別を行うことよ。
サトミ 愛は、Aを重んじると、非Aを軽んじるの?
メグミ そうよ、Aと非Aの間に、差を見とめるのよ。
サトミ もし、非Aまで重んじると、どうなるのかな?
メグミ 差が消えて、徳が現れて、愛が受になるのよ。
サトミ 良くを持つと、解くが崩れ、迷いが始まり、
良くを越えると、解くが蘇り、悟りを開くの?
メグミ うん、欲を持って、愛を探し始めるけれど、
結局は、徳を以って、全て受け容れるわけね。
サトミ それって、良くが足りない、だけじゃないの?
もっと、大きな良くを持てば、見つかる筈よ。
メグミ その通り、でも、それこそ、元に戻るだけよ。
サトミ ……………………
CASE 受 という 愛
サトシ 徳を介すもの、受って、どういうものかな?
アツシ 受とは、好き嫌いを離れ、受け容れることだ。
サトシ 欲を介すもの、愛って、どういうものかな?
アツシ 愛とは、好き嫌いに塗れ、偏り愛することだ。
サトシ それなら、好きなだけ、欲を持てるのかな?
アツシ 徳に応じた、器に収まる、欲しか持てないぞ。
サトシ 徳が高く、器が大きいほど、どうなるのかな?
アツシ 好きなだけ、欲を持てて、偏りを続けられる。
サトシ 徳が低く、器が小さいほど、どうなるのかな?
アツシ 好きなだけ、欲を持てず、偏りを直らされる。
サトシ う~ん、好き嫌いが弱いと、好きに偏れて、
逆に、好き嫌いが強いと、好きに偏れないの?
アツシ そうだ、欲を好んでないと、欲を好めるし、
逆に、欲を好んでいれば、欲を好めなくなる。
サトシ う~ん、どっちに転んでも、上手く行かない。
どうして、この世界って、逆説的なのかなあ。
アツシ 不自然に見えるのは、欲を介しているからだ。
サトシ じゃあ、徳を介していれば、自然に見えるの?
アツシ 当然だな、どっちに転んでも、好いんだから。
サトシ ……………………
CASE 愛のない受 と 受のない愛
サトミ 受と愛、どちらの方を、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 偏らず受ける、受って、どういうものかな?
メグミ 受とは、陽を見とめたら、陰も認めることよ。
サトミ 偏って愛する、愛って、どういうものかな?
メグミ 愛とは、陽を見とめても、陰を認めないこと。
サトミ 受を重んじて、愛を軽んじると、どうなるの?
メグミ 愛のない受なんて、単なる愛に過ぎないのよ。
サトミ 必ず、陽を見とめたら、陰を見とめるのかな?
メグミ そうよ、差を取ることに、歪んでしまうのよ。
サトミ 愛を重んじて、受を軽んじると、どうなるの?
メグミ 受のない愛なんて、単なる受に過ぎないのよ。
サトミ 必ず、陽を見とめても、陰を認めないのかな?
メグミ そうよ、差を作ることに、歪んでいないのよ。
サトミ 受だけでは、歪まない方に、偏っているし、
愛ばかりでは、直らない方に、偏っていない。
メグミ そうよ、受と愛、そのどちらも、必要なのよ。
サトミ じゃ、愛を負いながら、受を追っていくの?
メグミ うふっ、受を介しながら、愛を解していくの。
サトミ ……………………!!