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物語編

第三章 第十七話 問答編

マサシ 八正道(ハッショウドウ)とは?

 

アキラ 八正道は、三十七道品の第七科である。
    アーリヤ・アシュターンギガ・マールガ。
    八正道は、四諦の中の道諦そのものであり、
    道諦を細かく分け、説き明かしたものである。

 

マサシ 正見(ショウケン)は、どういうものですか?

 

アキラ 正見とは、正しい見解に、努めること。
    梵語は、サンミャグ・ドリスティである。
    具体的に、我に拠らないで、法に依ること。
    解脱以前の、我が見解は、絶対に正しくない。

 

マサシ 正思惟(ショウシイ)とは、どういうものか?

 

アキラ 正思惟は、正しい思索に、努めること。
    梵語は、サンミャク・サンカルパである。
    正しい思惟とは、不慳貪、不瞋恚、不邪見。
    それぞれ、貪らない、怒らない、誤まらない。

 

マサシ 正語(ショウゴ)とは、どういうものですか?

 

アキラ 正語とは、正しい発言に、努めること。
    梵語は、サンミャグ・ヴァーチュである。
    つまり、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌。
    虚構、無駄話、悪口、仲違いを言わないこと。

 

マサシ 正業(ショウゴウ)は、どういうものですか?

 

アキラ 正業とは、正しい行為に、努めること。
    梵語は、サンミャク・カルマンタである。
    正しい行為とは、不殺生、不偸盗、不邪淫、
    それぞれ、殺さない、盗まない、耽けらない。

 

マサシ 正命(ショウミョウ)とは、どういうものか?

 

アキラ 正命とは、正しい生活に、努めること。
    梵語は、サンミャグ・アージヴァである。
    正しい生活とは、その身と口と意において、
    それぞれ、正思惟、正語、正業に努めること。

 

マサシ 正精進(ショウショウジン)とは、いかに?

 

アキラ 正精進は、正しい精進に、努めること。
    梵語は、サンミャグ・ヴィヤーマである。
    正しい精進とは、具体的に、四正勤であり、
    つまり、断断、律儀断、随護断、修断である。

 

マサシ 正念(ショウネン)は、どういうものですか?

 

アキラ 正念とは、正しい集中に、努めること。
    梵語は、サンミャク・スムリティである。
    正しい集中とは、具体的に、四念処であり、
    すなわち、身念処、受念処、心念処、法念処。

 

マサシ 正定(ショウジョウ)は、どういうものか?

 

アキラ 正定とは、正しい瞑想に、努めること。
    梵語は、サンミャク・サマーディである。
    正しい瞑想とは、具体的には、三昧であり、
    集中が深まるほど、主体と客体が一体化する。

 


 

ヌマヅ 大峠が始まり、世間は騒がしいですが、
    私の身の周りは、穏かな日が続いてます。
    御魂を磨くための、試練が始まりませんが、
    このままでいて、菩薩に成れるのでしょうか?

 

マコト 無理に、苦行を望む必要は有りません。
    心の底から、魂の進化を望んでいるなら、
    自然に真我に導かれ、御魂磨きが始ります。
    しかし、準備が整わないと、始められません。

 

    真理を暗唱できるほど、修めましたか?
    深く解さず、軽く介しているぐらいでは、
    試練が始った途端、逃げ出してしまいます。
    その時は、誰もあなたに、正見を説けません。

 

    内に修めてきた、真理だけが頼りです。
    たとえ、外に、助けを求めようとしても、
    自我を守るばかりで、真我は遠ざかります。
    再び、真理に会すのは、何生先になることか。

 


 

シミヅ 真理は、知るだけでは、不十分なのですか?

 

マコト 真理は、八正道の第一、正見に過ぎず、
    正道を修めなければ、真我に還れません。
    繰り返し読み重ね、日々の生活で確かめて、
    知恵を磨かなければ、欲の仕掛は解けません。

 

    日々、精進している、彼方の目の前に、
    後光を発する、神々しい天使が現われて、
    「善人こそ天国に相応しい」と誘われた時、
    あなたは、毅然として、お招きを断れますか?

 

    ここで、丁重に断れば、深淵を越えて、
    あなたは、神上がり、解脱を果せますが、
    尻尾を振り、天使の招待に乗ってしまえば、
    いつの間にか、悪魔の配下と為っていますよ。

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