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物語編

第三章 第十八話 問答編

マサシ 善業(ゼンゴウ)は、どういうものですか?

 

アキラ 善業は、善い因が、善い果になること。
    梵語では、プンニャ・カルマと呼ばれる。
    我が欲に囚われるため、我が善に縛られる。
    自ずと善を報いると、自ずから善が酬われる。

 

マサシ 悪業(アクゴウ)は、どういうものですか?

 

アキラ 悪業は、悪い因が、悪い果となること。
    梵語では、パーパ・カルマとも呼ばれる。
    我が欲に囚われるため、我が悪に縛られる。
    自ずと悪を報いると、自ずから悪が酬われる。

 


 

ツシマ 不治の病に罹ったり、不運な禍に遭ったり、
    どうして、善良な人が、不幸になるのですか?

 

マコト あくまで、善は、我が善に過ぎません。
    我が善を為すとき、我が悪を憎むならば、
    我が儘に、悪を吊るし上げる、過ちを犯し、
    いずれ、我が打ち壊される、報いが返ります。

 

ツシマ 善と悪が、表と裏の関係であるならば、
    善を為す必要はない、ということですか?

 

マコト いいえ、善業は、慎んで積みましょう。
    善を積む時に、慢を抱いては行けません。
    善を報いて、善が酬われるのは、自己です。
    善を積むのは、利己であると、謙虚に見ます。

 

    更に、こうして、我が善を追えるのは、
    悪を負ってくれる、悪人が居るからだと、
    悪を負う者に対して、慈悲を培うべきです。
    もし、悪を憎めば、いずれ立場が逆転します。

 

ツシマ どうして、悪人を許す、必要があるのですか?

 

マコト 他に善を報いれば、自ら善で酬われて、
    他に悪を酬いるなら、自ら悪で報われる。
    あなたは、どちらの役を、演じたいですか?
    演じるなら、両者が不可欠、敵役に感謝です。

 

 

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