第三章 第二五話 問答編
マサシ 顕教(ケンキョウ)は、どういうものですか?
アキラ 顕教とは、公に開かれた、教えであり、
世間の通念に叛かない、平易な法である。
世間に悪が多ければ、悪を断じる法を説き、
世間に善が少なければ、善を勧める法を解く。
マサシ 密教(ミッキョウ)は、どういうものですか?
アキラ 密教とは、公に秘される、教えであり、
世間の通念に従わない、深遠な法である。
世間に悪が多ければ、善に変える法を説き、
世間に善が少なければ、悪に換える法を解く。
トザワ 秘密の法である、密教が解かれているのに、
意識が、清々しくなるのは、どうしてですか?
マコト 顕教と同様に、密教も段階が有ります。
禁忌を犯したり、呪術を用いたり、等々。
一般的に知られる、悪が喜びそうな密教は、
善を近づけない、擬装的な密教に過ぎません。
顕教は、悪人を悔い改めさせる、教え。
密教とは、善人を悔い改めさせる、教え。
終末の時に、天人を悔い改めさせる、秘法。
それこそ、悪の中に隠した、一厘の仕組です。
つまり、密教の極意は、完全なる放棄。
悪は勿論、善も諦らめて、空の器になり、
少しも、偏れなくなる、真正なる中庸です。
そこには、醜さではなく、美しさが生じます。
トザワ あなたは、密教を解いて良いのですか?
マコト この欲の世界は、衆生を育てるために、
567と666が、秘かに協力しながら、
舞台に引き摺り込む、芸術品のようなもの。
迫真の演技により、皆が惹き込まれています。
善悪の相克を、神の演戯に過ぎないと、
明してしまえば、幻想が解けていきます。
その役目を果せず、欲界が壊れていくため、
この秘密を解くのは、最後の最後に限ります。
つまり、密教を解けば、欲界が溶ける、
その責を、負えるものは、内なる神のみ。
好い加減に、外は諦め、内に還りなさいと、
内なる真我が、最後の仕組を、解いています。
トザワ あなたが、どんな人かが、気に為ります。
マコト わたしが、少しでも、自我を出すなら、
即座に、真我が隠れて、魔殿と化します。
少しでも、正法の時代を、延したいのなら、
みなさんも、我を出すのは、止めましょうか。