第三章 第三二話 問答編
マサシ 欲界(ヨクカイ)とは、どういうものですか?
アキラ 欲界は、欲を突き詰める、世界のこと。
梵語では、カーマ・ローカと、呼ばれる。
地獄、動物、餓鬼、人間、修羅、天があり、
欲界の頂点は、第六天魔のマーラが存在する。
マサシ 色界(シキカイ)とは、どういうものですか?
アキラ 色界は、型を受け容れる、世界のこと。
梵語では、ルーパ・ローカと、呼ばれる。
初禅、第二禅、第三禅、第四禅に分かれて、
色究竟天から梵衆天まで、十八天に分かれる。
マサシ 五禅支(ゴゼンシ)は、どういうものですか?
アキラ 五禅支とは、色界の禅定の要素のこと。
巴語では、パンチャンギカと呼んでいる。
五禅支と五蓋とは、相克の関係になるため、
禅定を修めるほどに、禅定を修めやすくなる。
尋とは、認識の対象に、心が向い始めること。
伺とは、認識の対象に、心が向い続けること。
喜とは、欲を離れて、湧き上がる歓喜のこと。
楽とは、喜を離れて、広がり渡る安楽のこと。
一境性は、楽を離れて、現れる一体感のこと。
マサシ 四禅(シゼン)とは、どういうものですか?
アキラ 第初禅には、尋、伺、喜、楽、一境性が有る。
第二禅には、 喜、楽、一境性が有る。
第三禅には、 楽、一境性が有る。
第四禅には、 一境性が有る。
コウチ どうして、この場を、宣伝しないのですか?
マコト この場所は、最後に辿り着く処であり、
欲に疲れ切った人が、欲界を越える出口。
未だに、準備が出来ていない人が訪れても、
騒々しくなるだけ、百害あって一利なしです。
コウチ つまり、五次元に向かう、出口でしょうか?
マコト この度の大峠は、三千世界の建て直し。
天界の神々も含め、悔い改めが迫られる。
ここは、欲界の出口、五次元を軽く超える、
菩薩の世界である、色界以上を司っています。
コウチ 様々な高次元の存在が、法を説いていますが。
マコト すべて、必要だから、説かれています。
真の理を修めれば、どうして必要なのか、
不必要なものは、何一つ無い事が判ります。
何処からの教えか、手に取るように解ります。
コウチ それでは、光の陣営と、闇の陣営の戦争、
これを説く存在は、どのような存在ですか?
マコト 善神(天人)と、悪神(修羅)の戦争。
現在、人間の世界は、欲界の雛型であり、
世界を立て直す、神芝居が行われています。
それゆえ、様々な存在が、地球を見ています。
本来なら、人類が手本となるべきです。
菩薩は、その為に人類に転生しています。
宇宙人は、天人が人類を誘うと説きますが、
菩薩は、人類が天人を導くと解くでしょうね。
コウチ それでは、前世が、宇宙人だった子供に、
救いを求める場合は、どういう教えですか?
マコト 直前の生が宇宙人ならば、人類初心者、
確かに、超常の記憶は、残るでしょうが、
人類としての経験が、浅いことになります。
育てるべきであり、頼るべきではありません。
本来なら、大人が手本となるべきです。
菩薩は、遠い昔に人類に下生しています。
宇宙人は、子供が大人を誘うと説きますが、
菩薩は、大人が子供を育てて学ぶと解きます。
コウチ では、預言書を根拠に、救世主を自認し、
教えが、説かれた場合は、どうなりますか?
マコト たとえ、本物だろうと、偽物だろうと、
外に根拠を置く限り、足元を掬われます。
長い輪廻において、数千年前から仕組んだ、
贅沢な罠で学ぶ生も、必ず何個か有る筈です。
預言を根拠に、傲慢に陥っているなら、
蔑んだ者の側に、次は生まれ変わります。
器が大きな菩薩ほど、底辺を支えています。
蔑んだ側にいた菩薩に、救われる事でしょう。
コウチ では、解脱を根拠にし、仏陀を自認して、
教えが、説かれた場合は、どうなりますか?
マコト 覚醒は、菩薩の出発地点に過ぎません。
何生も何生も、人の赤子に生まれ変わり、
無智から初めて、悟りを開く生を修めます。
人界は、これを繰り返すに、最高の環境です。
悟りを根拠に、特別を気取っていると、
平凡な者の側に、再び縛り付けられます。
器が大きな者ほど、自然に振舞っています。
説いた側にいた菩薩に、解かれる事でしょう。