第三章 第三四話 対話編
CASE 羅漢 の裏に 菩薩
マナミ アルハット、羅漢って、どういうものなの?
マサシ 羅漢とは、小乗を修めて、涅槃に臨むものさ。
マナミ 小乗の道を、羅漢が進むと、どうなるのかな?
マサシ 二元の輪廻から、一元の涅槃まで、還るのさ。
マナミ ボディサット、菩薩は、どういうものなの?
マサシ 菩薩とは、大乗を修めて、済度を望むものさ。
マナミ 大乗の道を、菩薩が進むと、どうなるのかな?
マサシ 一元の涅槃から、二元の輪廻まで、帰るのさ。
マナミ 折角、涅槃に還っても、輪廻に帰ってくるの?
マサシ そうさ、輪廻を否定して、涅槃を肯定したら、
新たなる、二元に嵌まると、気づいてしまう。
マナミ 良くと飽く、繰り返すことも、輪廻だけど、
輪廻と涅槃を、行き来するのも、輪廻になる?
マサシ たとえ、自分だけが、涅槃に還ったとしても、
将来、他者に影響され、輪廻に帰ってくるよ。
マナミ 全てを、救わないと、完全な涅槃じゃないの?
マサシ いや、今この瞬間こそ、完全な涅槃なんだよ。
マナミ ええっ、この輪廻こそが、涅槃そのものなの?
マサシ うん、完全に修めると、その結論に至るのさ。
マナミ ……………………!!
CASE 羅漢 の先に 菩薩
サトミ 涅槃に還る、羅漢って、どういうものかな?
メグミ 羅漢とは、自ら解脱して、一元に到るものよ。
サトミ 煩悩による、味著も過患も、否定していくの?
メグミ 小乗の道では、厭離に依って、涅槃に至るよ。
サトミ 輪廻に帰る、菩薩って、どういうものかな?
メグミ 菩薩とは、他を済度して、二元を巡るものよ。
サトミ 煩悩による、味著も過患も、肯定していくの?
メグミ 大乗の道では、遠離に拠って、涅槃に到るよ。
サトミ 小乗は、輪廻を否定した、涅槃に至るけど、
大乗では、輪廻を肯定した、涅槃に到るわけ?
メグミ 小乗は、輪廻の外にある、涅槃に至るけど、
大乗では、輪廻の中にある、涅槃に到るのよ。
サトミ 菩薩が、衆生を済度しながら、輪廻をしても、
どうして、煩悩に囚われず、涅槃を保てるの?
メグミ いつも、他の為を考えて、生きているからよ。
ひたすら、他を救う為だけ、輪廻を認めるの。
サトミ そっか、我が為ならば、捕われてしまうけど、
ひたすら、他の為ならば、囚われなくなるね。
メグミ こうしてね、ひたすら、教えを説き続けるの。
サトミ ……………………!!
CASE 声聞 と 独覚 と 菩薩
サトシ 僕も、他を利する、菩薩の道を歩みたいな。
マナミ 自分を利せないのに、他人を利せると思う?
大乗の道を修める前に、小乗の道を修めるの。
サトシ 小乗の一つ、声聞乗って、どういうものかな?
マナミ 声聞とは、仏に教わり、涅槃に至ることなの。
サトシ 小乗の一つ、独覚乗って、どういうものかな?
マナミ 独覚とは、独り覚って、涅槃に至ることなの。
サトシ 大乗の一つ、菩薩乗って、どういうものかな?
マナミ 菩薩とは、他を救って、涅槃に到ることなの。
サトシ 一度は、仏に教わるなり、自ら悟るなりして、
山頂まで、登り切らないと、他を救えないの?
マナミ 昇ってから、降りていき、他を頂まで導くの。
つまり、頂を知らず、頂に導けない、仕組み。
サトシ どうして、自ら降りて、他を導こうとするの?
マナミ どの道から進んでも、登れるようにするため。
苦しむ衆生を助ければ、体験を共有できるの。
サトシ 他を救うなら、他が生まれ変れば済むけど、
人を救わないと、自ら生まれ変わる要がある?
マナミ ほら、このように、一生で何章も体験できる。
サトシ ……………………!!
CASE 菩薩なき羅漢 と 羅漢なき菩薩
サトミ 羅漢と菩薩、どちらを、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 厭離に依る、羅漢って、どういうものかな?
メグミ 羅漢とは、輪廻を認めず、涅槃に至るものよ。
サトミ 遠離に拠る、菩薩って、どういうものかな?
メグミ 菩薩とは、輪廻を認めて、涅槃に到るものよ。
サトミ 羅漢を望み、菩薩に臨まないと、どうなるの?
メグミ 菩薩なき羅漢なんて、唯の無情に過ぎないよ。
サトミ じゃ、涅槃に捕われて、衆生を忘れるのかな?
メグミ そうよ、衆生を忘れると、無情に為るだけよ。
サトミ 菩薩を望み、羅漢に臨まないと、どうなるの?
メグミ 羅漢なき菩薩なんて、只の有情に過ぎないよ。
サトミ じゃ、済度に囚われて、涅槃を忘れるのかな?
メグミ そうよ、涅槃を忘れると、有情に成るだけよ。
サトミ 羅漢だけは、涅槃に篭って、衆生に見えず、
菩薩ばかりは、輪廻に溺れて、衆生に塗れる。
メグミ うん、羅漢と菩薩、その両方が、必要なのよ。
サトミ じゃあ、菩薩を追い、羅漢を負っていくの?
メグミ そうなの、羅漢を究め、菩薩を極めていくの。
サトミ ……………………!!