第三章 第三五話 対話編
CASE 明 の裏に 行
マナミ ヴィッジャー、明って、どういうものなの?
マサシ 明とは、欲を突き詰めた、菩薩の智慧なのさ。
マナミ 欲は、離れるべき物なのに、持っても良いの?
マサシ 我が為に、欲を抱えると、苦を感じるけど、
人々の為に、欲を研くなら、空を観じるのさ。
マナミ じゃ、チャラナ、行は、どういうものなの?
マサシ 行とは、業を受け容れた、菩薩の功徳なのさ。
マナミ 業は、離れるべき物なのに、持っても良いの?
マサシ 我が為に、業を重ねると、罪が集まるけど、
人々の為に、業を磨くなら、財が集まるのさ。
マナミ 小乗までは、徹底的に、禁じられていたのに、
大乗になると、真逆的に、勧められているの?
マサシ うん、我が為なら、何を行っても苦になり、
反対に、他の為なら、何を行っても空になる。
マナミ 本当なの、他の為なら、何を行っても良いの?
マサシ 智が無いと、誰の為かが、解らないだろうし、
徳が無ければ、何をしても、上手く行かない。
マナミ それなら、やっぱり、無茶しない方が良いの?
マサシ そうさ、ちょっと、智慧が付いたみたいだね。
マナミ ……………………!!
CASE 明 の先に 行
サトミ 明らめること、明って、どういうものかな?
メグミ 明とは、意を介して、業を突き詰めることよ。
サトミ 輪廻して、我が意を解すると、どうなるの?
メグミ 思いのまま、我に拠るから、智が暗くなるよ。
サトミ 済度して、他の意を解すると、どうなるの?
メグミ 在りのまま、他に寄るから、智が培われるよ。
サトミ 行われること、行って、どういうものかな?
メグミ 行とは、身を以って、業を受け容れることよ。
サトミ 輪廻して、我が身を案ずると、どうなるの?
メグミ 思いのまま、我に拠るから、徳が壊されるよ。
サトミ 済度して、他の身を案ずると、どうなるの?
メグミ 在りのまま、他に寄るから、徳が培われるよ。
サトミ 我に拠るなら、智も徳も、鈍ってしまうけど、
他に寄るならば、徳も智も、磨かれてくるの?
メグミ 我に捕われて、心も体も、偏ったのだから、
他に囚らわれて、体も心も、直していくのよ。
サトミ 飽きるほど、我に捕らわれて、輪廻したから、
同じだけ、他に囚らわれて、済度するわけね。
メグミ うふっ、私の意を解してくれて、有り難うね。
サトミ ……………………!!
CASE 明 という 行
サトシ 菩薩が具える、明って、どういうものかな?
アツシ 明とは、菩薩乗を通して、智が備わることだ。
サトシ どうして、済度に努めると、智が研かれるの?
アツシ 他の苦楽を、我が苦楽の如く、味わうからだ。
サトシ ひたすら、他に寄り添うと、我が身になるの?
アツシ 菩薩の生で、衆生の命を、修める事が出来る。
サトシ 菩薩が備える、行って、どういうものかな?
アツシ 行とは、菩薩乗を徹して、徳が具わることだ。
サトシ どうして、済度に務めると、徳が磨かれるの?
アツシ 我が苦楽を、仏の慈悲の如く、味わうからだ。
サトシ ひたすら、仏に付き随うと、我が空になるの?
アツシ 欲界の体で、色界の型を、演じる事が出来る。
サトシ 菩薩が、身命を掛けて、衆生を済度するのは、
仏の慈や悲を宿して、智や徳を培う為なのか。
アツシ そうだ、他の苦や楽を、我が事の如く捉えて、
我が、空になるほど、慈悲が湧き上って来る。
サトシ そっか、菩薩の利他の行は、偽善ではなく、
ひたすら、自利を突き詰めた、結果なんだね。
アツシ 当然だ、明と行を具えた、菩薩がすることだ。
サトシ ……………………!!
CASE 行のない明 と 明のない行
サトミ 明と行、どちらの方を、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 智を研くこと、明って、どういうものかな?
メグミ 明とは、衆生を済度して、智を修めることよ。
サトミ 徳を磨くこと、行って、どういうものかな?
メグミ 行とは、衆生を救済して、徳を修めることよ。
サトミ 明を重んじて、行を軽んじると、どうなるの?
メグミ 行のない明なんて、単なる冥に過ぎないよ。
サトミ じゃ、明を修めようと、行を修めないのかな?
メグミ そうよ、智を行わないと、智が瞑れるだけよ。
サトミ 行を重んじて、明を軽んじると、どうなるの?
メグミ 明のない行なんて、単なる業に過ぎないよ。
サトミ じゃ、行を修めようと、明を修めないのかな?
メグミ そうよ、徳を知らないと、徳が壊れるだけよ。
サトミ 明だけは、行を怠って、智を研けなくなり、
行ばかりは、明を惰って、徳を磨けなくなる?
メグミ うん、明と行、その両方が、必要になるのよ。
サトミ じゃあ、行に臨みながら、明を望んでいくの?
メグミ うん、明を究めながら、行を極めていくのよ。
サトミ ……………………!!