第三章 第五二話 問答編
マサシ 七覚支(シチカクシ)は、どんなものですか?
アキラ 七覚支は、三十七道品の第六科であり、
梵語は、サッタ・ボッジャンガーである。
具体的には、念覚支、択法覚支、精進覚支。
喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支、である。
マサシ 念覚支(ネンカクシ)とは?
アキラ 念覚支とは、七覚支の第一覚支であり、
梵語は、サティ・ボッジャンガーである。
未来を望むことなく、過去に臨むことなく、
いま、この瞬間に、現在に集中し続けること。
マサシ 択法覚支(タクホウカクシ)とは?
アキラ 択法覚支は、七覚支の第二覚支であり、
梵語では、ダンマ・ヴィチャヤ、である。
法を使い分けながら、業を乗り越えること。
法も使い方を誤まると、法は業に移り変わる。
マサシ 精進覚支(ショウジンカクシ)とは?
アキラ 精進覚支は、七覚支の第三覚支であり、
梵語で、ヴィリヤと、呼ばれているもの。
今、修めているものは、以後も修め続けて、
今は、修めてないものは、以後は修めて行く。
マサシ 喜覚支(キカクシ)とは?
アキラ 喜覚支とは、七覚支の第四覚支であり、
梵語では、ピーティーと、呼ばれるもの。
喜んでやることは、必ず続けることになり、
喜んでやらないなら、必ず挫けることになる。
マサシ 軽安覚支(キョウアンカクシ)とは?
アキラ 軽安覚支は、七覚支の第五覚支であり、
梵語で、パッサディーと、呼ばれるもの。
煩悩に囚われるものは、身も心も重くなり、
煩悩に捕われないものは、身も心も軽くなる。
マサシ 定覚支(テイカクシ)とは?
アキラ 定覚支とは、七覚支の第六覚支であり、
梵語では、サマーディと、呼ばれるもの。
意識は、深くなるほど、覚めた状態になり、
主体と客体が消えて、すべてが同化していく。
マサシ 捨覚支(シャカクシ)とは?
アキラ 捨覚支とは、七覚支の第七覚支であり、
梵語で、ウペクシャーと、呼ばれるもの。
良い事が起きようと、悪い事が起きようと、
囚われることなく、過去の業として受け流す。
マサシ 掉挙(ジョウコ)は、どういうものですか?
アキラ 掉挙は、浮き立った心、煩悩のひとつ。
梵語では、アウダティヤ、呼ばれるもの。
たとえ、上に臨んでも、下を望めないため、
器を越えた、上に昇って、差に苦しめられる。
マサシ 昏沈(コンジン)は、どういうものですか?
アキラ 昏沈は、沈み込んだ心、煩悩のひとつ。
梵語では、スティヤーナ、呼ばれるもの。
たとえ、下に臨んでも、上を望めないため、
器を越えた、下に堕ちて、闇に苦しめられる。
マサシ 迷妄(メイモウ)とは、どういうものですか?
アキラ 迷妄は、幻想に陥らせる、幻影のこと。
梵語では、マーヤと、呼ばれているもの。
闇に陥ると、我が強くなり、心が弱くなる。
思いのままに、色を突き詰め、形を作り出す。
マサシ 仏性(ブッショウ)は、どういうものですか?
アキラ 仏性は、真実に覚ませる、性質のこと。
梵語では、ブッダ・ダートゥと呼ばれる。
闇を払うと、我が弱くなり、心が強くなる。
在りのままに、空を受け容れ、型を創り出す。
ハカタ 世界同時〇〇運動は、やるべきですか?
マコト 特別が生まれると、例外が埋まれます。
特別を作り出すため、時や場を区切れば、
盛り上がりもしますが、落ち込みもします。
こういう「ノリ」は、熱しやすく冷めやすい。
今まで、都会だけに、人を集めました。
今までは、上層だけに、力を集めました。
結果として、今の時代は、どうなりました?
そろそろ、このノリは、乗り越えるときです。