第三章 第六十話 問答編
マサシ 法(ホウ)とは、どういうものですか?
アキラ 法とは、理を以って、欲を越えること。
梵語では、ダルマとも、呼んでいるもの。
たとえ、ダルマだろうと、拘り続けるなら、
ダルマは、カルマとなって、毒に変えられる。
マサシ 業(ゴウ)とは、どういうものですか?
アキラ 業とは、理を持って、欲に塗れること。
梵語では、カルマとも、呼んでいるもの。
たとえ、カルマだろうと、悔い改めるなら、
カルマは、ダルマとなって、薬に換えられる。
マサシ 妄語(モウゴ)とは、どういうものですか?
アキラ 妄語は、業を以って、妄りに語ること。
梵語では、ムッサバーダと、呼んでいる。
たとえ、法が説かれても、行が伴わないと、
その行が、業として広まり、妄りに騙られる。
マサシ 正語(ショウゴ)は、どういうものですか?
アキラ 正語は、法を持って、正しく語ること。
梵語では、サンマー・ヴァーチャである。
たとえ、法を説かずとも、行が伴なうなら、
その行が、法として広まり、正しく語られる。
オウミ 書評などは、書いた方が良いのでしょうか?
マコト 思いのまま、善意に持ち上げられると、
想いのままに、悪意に扱き下ろされます。
それ故、そういうものは、必要ありません。
真理とは、望むものだけが、臨めるものです。
オウミ 私も、真理を伝えて、徳を積みたいのですが。
マコト それなら、先ず、自らが真理を修めて、
自らが、真理そのものと、化すことです。
もし、ダルマを説けば、カルマが解けます。
しかし、カルマを説けば、カルマを広めます。
オウミ 私も、真理の御霊を、手伝いたいのですが。
マコト 真理の御霊は、真理を宿した分け御霊。
真理を修めれば、誰もが真理の御霊です。
彼方が、世の人々を、救いたいのであれば、
全霊を以って、真理を悟ると、良いでしょう。
ノト 真理の書籍を、贈っても良いのですか?
マコト 真理は、求めないと、与えられません。
いずれかの生で、真理を望んだからこそ、
今の生、このように、真理に臨んでいます。
この社は、法縁が無ければ、辿り着けません。
この神社は、誰が来るか、いつ来るか、
何処まで明らめるか、何処で諦らめるか。
全て決まっていて、静かに守られています。
この静寂が乱れると、世界が乱れていきます。
もし、あなたが、真理を伝えたいなら、
何より、あなたが、真理を修めて下さい。
ダルマを、修めることなく、広めるならば、
それは、カルマを広める、末法の所業ですよ。
ソウマ 相手に応じて、態度を変えて良いのですか?
マコト 本心を見せないで、仮面を被ることは、
内外が乖離するため、妄語と変りません。
最終的に、誰だろうと、本心を見せられる、
そんな人格を培うことを、目標にして下さい。
弥勒の世は、水晶の世界とも呼ばれて、
お互いに、考えていることが筒抜けです。
そこは、化粧上手な人に、居心地は最悪で、
実際、そのような方は、誰も訪れていません。
ソウマ 望ましい態度は、どのようなものですか?
マコト 誰に対しても、神に臨む如き態度です。
互いの胸に、真我が宿っていると認めて、
上に見ることもせず、下に見ることもせず、
神の化身と考えて、最大限の敬意を払います。