clear
clear
物語編

第四章 第十二話 問答編

マサシ 刹那(セツナ)は、どういうものですか?

 

アキラ 刹那は、極めて短い、時の単位であり、
    梵語では、クシャナと、呼んでいるもの。
    刹那の中に、永劫の時を、見とめるならば、
    実感が集まり、現在が活き、時が満ちてくる。

 

マサシ 劫(ゴウ)とは、どういうものですか?

 

アキラ 劫とは、極めて長い、時の単位であり、
    梵語では、カルパとも、呼んでいるもの。
    刹那の中に、永劫の時を、見とめないなら、
    実感が漏れて、未来が生じ、時が流れていく。

 


 

イズモ 読めば読むほど、懐かしさが湧いて来ます。

 

マコト 真我から見た、世界が描かれています。
    あなたが、同じ処から訪れているのなら、
    懐かしさや、浄化の涙が溢れて来る筈です。
    無論、浄化が進めば、誰でもそうなりますが。

 

イズモ 浄化が進んだのか、前世を思い出しました。
    過去世で、解脱して、羅漢となっていました。

 

マコト 因縁の御魂は、過酷な輪廻を繰り返し、
    毎生、毎生、解脱する事を求められます。
    ですから、あなたも、その中の一人であり、
    この大峠に際し、真理に招かれたのでしょう。

 

    しかし、今生、真理を悟りたいのなら、
    前世を捨て去り、裸一貫に戻るべきです。
    前世とは、現状を説明する、因果に過ぎず、
    前世に囚われるなら、その先が続くだけです。

 

イズモ 前世の経験に、囚われてはいけないのですか?

 

マコト 真理を悟りたいなら、前世を悔い改め、
    すべてを、真我に奉げる必要があります。
    どれだけ偉い、血統や法統に生まれようが、
    今生、そんなことは、全く関係が有りません。

 

    寧ろ、持っているほど、慢に陥るため、
    前世より今生の方、今生より来世の方と、
    少しずつ、解脱する事が、困難に為ります。
    そして、慢に嵌って躓けば、一から遣り直し。

 

    それゆえ、菩薩は、徳が高くなるほど、
    地獄に落ちるが如き、人生を用意します。
    何者でもない、それゆえに、何者でもある。
    これを悟るため、苛酷な試練を、計画します。

 

イズモ では、自分の前世を、権威に掲げる人々は、
    今生は、躓いてしまった、因縁の御魂ですか?

 

マコト 大半は、霊に遊ばれている方々ですが、
    道から外れた、因縁の御魂も存在します。
    寧ろ、因縁の御魂でも、大半が躓いてます。
    今生は、それぐらい、複雑怪奇な大仕掛です。

 

    例えば、あなたも、今回は導きに従い、
    この、前世の仕掛けを、解いたとしても、
    この次は、あなたが、救世主であるという、
    預言の仕掛けが、あなたの目の前に現れます。

 

    つまり、あなたに関する、預言の書が、
    その時は、面白いほど、現われて来ます。
    預言に誘われ、外の根拠を認めてしまうと、
    その瞬間、あなたは、真我の道から外れます。

 


 

アガノ 衆生の前世とは、どういうものですか?

 

マコト 山頂を望んで、山道を歩いて行きます。
    その途中で、昇ったり降りたりしますが、
    今まで、歩いて来た道を、前世と見とめて、
    これから、歩いて行く道を、来世と認めます。

 

アガノ 菩薩の前世とは、どういうものですか?

 

マコト 山頂から見ると、山全体が見えますが、
    菩薩は、それらを、全て自分と認めます。
    そこでは、前世もなく、来世もありません。
    つまり、あらゆる経験を、受け容れています。

 

    一方、使命を受けて、生まれるときは、
    山道を歩いている、衆生の命を受けます。
    菩薩が、衆生として、山腹に生まれ出ると、
    山頂から見えた景色は、すべて忘れています。

 

    衆生として、山道を歩いて行くときは、
    そこに、続いて来た道を、前世と認めて、
    そこから、続いて行く道を、来世と見ます。
    このときは、菩薩と雖も、衆生と変りません。

 

    もし、懸命に生きず、使命を忘れると、
    その先は、衆生として、転生を始めます。
    そこに、続いて来た道を、前世と見とめて、
    そこから、歩いて行く道を、来世と認めます。

 

    一方、使命を悟って、生命を活かすと、
    その後は、菩薩として、済度を始めます。
    そこに、続いて来た道を、前世と見ないし、
    そこから、続いて行く道を、来世と見ません。

 

アガノ わたしは、前世を思い出していますが、
    それに、捕らわれない方が良いのですか?

 

マコト その前世を、自分の前世と見とめると、
    あなたは、衆生として来世を見とめます。
    その前世を、衆生としての前世と認めると、
    あなたは、菩薩として真我を認めるでしょう。

コメントを残す

入力エリアすべてが必須項目です。メールアドレスが公開されることはありません。