第四章 第十三話 対話編
CASE 快苦 の裏に 皆苦
マナミ 苦楽が有る、快苦って、どういうものなの?
マサシ 快苦とは、相対の苦しみ、楽の裏の苦なのさ。
マナミ じゃあ、楽が生まれるとき、苦が埋まれるの?
マサシ そうだよ、楽しんだ分は、苦しむことになる。
マナミ それを、少しでも認めたら、楽しめないよね?
マサシ そうだね、そういう訳で、断じて認めないよ。
マナミ 苦しか無い、皆苦って、どういうものなの?
マサシ 皆苦とは、絶対の苦しみ、楽の無い苦なのさ。
マナミ じゃあ、楽が生まれるとき、苦が産まれるの?
マサシ そうだよ、楽しんだ分は、苦しむことになる。
マナミ それを、明らかに認めると、苦しくなるよね?
マサシ そうだね、そういう訳で、総じて苦になるよ。
マナミ つまり、快楽が表れて、苦難も現れること。
即ち、皆苦を見ないよう、生きているわけね。
マサシ そうさ、認めないから、恐々と生きてしまい、
逆に、見とめてしまえば、堂々と活きられる。
マナミ う~ん、総じて苦であると、認めてしまえば、
どれだけ、楽しみが有っても、苦と見るわけ?
マサシ そうさ、皆苦を悟った人は、天界が地獄だよ。
マナミ ……………………
CASE 快苦 の先に 皆苦
サトミ 苦楽が有る、快苦って、どういうものかな?
メグミ 快苦とは、楽が有るだけ、苦が有ることだよ。
サトミ 苦しか無い、皆苦って、どういうものかな?
メグミ 皆苦とは、楽が有るのに、苦しか無いことよ。
サトミ う~ん、良く解らない、どういうことなの?
メグミ 世界には、楽しいことも、苦しいこともある。
彼方は、そんな世界で、楽しむことが出来る?
サトミ うん、苦しみが有っても、楽しみも在るなら、
苦しんでも、紛らわせれば、楽しめるはずよ。
メグミ 実際には、楽しんだだけ、苦しむことになる。
彼方は、そんな仕掛で、楽しむことが出来る?
サトミ 楽しむだけ、苦しむなら、楽しめる訳ないよ。
それで、楽しめるなら、そもそも認めてない。
メグミ うん、仕掛を認めないと、快苦を感じるし、
反対に、仕掛を見とめると、皆苦を観じるよ。
サトミ それなら、その表だけを、感じるのではなく、
裏まで、観じるときに、一切皆苦になるのね。
メグミ うん、皆苦を認めないと、輪廻に留まるけど、
いずれ、皆苦を見とめると、解脱を望むのよ。
サトミ ……………………!!
CASE 一 切 皆 苦
サトシ あのね、一切皆苦って、どういうことかな?
マサシ それはね、すべては、苦に至るということさ。
サトシ う~ん、人生って、楽もあれば苦もあるし、
今更、言わなくても、当たり前じゃないかな。
マサシ ううん、一切皆苦って、そんな話じゃない。
皆苦とは、楽が有っても、苦でしかないのさ。
サトシ つまり、楽が寡いから、苦しいではなくて、
どれだけ、楽が多くても、苦であるってこと?
マサシ そうさ、楽を感じても、苦を観じてしまう。
すなわち、楽で消せない、苦こそ皆苦なのさ。
サトシ う~ん、そう考えると、凄い気がしてきた。
どうして、苦と皆苦って、全く異なるのかな?
マサシ 苦とは、楽が減らしている、苦のことであり、
皆苦とは、楽が増やしている、苦のことだよ。
サトシ 苦とは、楽と苦が矛盾する、苦のことであり、
皆苦とは、苦と楽が補完する、苦のことなの?
マサシ そうさ、楽を味わっただけ、苦が現れてくる。
サトシ なるほど、楽が濃いほど、苦が濃くなるのか。
マサシ 当たり前に、感じた物ほど、有り難く観じる。
サトシ ……………………!!
CASE 皆苦なき快苦 と 快苦なき皆苦
サトミ 快苦と皆苦、どちらを、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 楽の裏の苦、快苦って、どういうものかな?
メグミ 快苦とは、苦に臨んだら、楽しめないことよ。
サトミ 楽の無い苦、皆苦って、どういうものかな?
メグミ 皆苦とは、楽に臨んでも、楽しめないことよ。
サトミ 快苦を望み、皆苦に臨まないと、どうなるの?
メグミ 皆苦なき快苦なんて、衆生の輪廻そのものよ。
サトミ じゃ、楽しむと苦しむ、仕掛を認めないの?
メグミ そうよ、直ぐ忘れ去って、何度も転生するよ。
サトミ 皆苦を望み、快苦に臨まないと、どうなるの?
メグミ 快苦なき皆苦なんて、衆生の解脱そのものよ。
サトミ じゃ、楽しむと苦しむ、仕組を見とめるの?
メグミ そうよ、胸に刻み込んで、二度と転生しない。
サトミ 快苦だけでは、転生しても、解脱しないし、
皆苦ばかりでは、解脱しても、転生しないの?
メグミ うん、快苦と皆苦、その両方が、必要なのよ。
サトミ じゃあ、皆苦を追い、快苦を負っていくの?
メグミ そうなの、快苦を透し、皆苦を徹していくの。
サトミ ……………………!!