第四章 第十五話 対話編
CASE 快苦 の裏に 皆楽
マナミ 苦楽が有る、快苦って、どういうものなの?
マサシ 快苦とは、相対の楽しみ、苦の裏の楽なのさ。
マナミ じゃあ、苦が生まれるとき、楽が埋まれるの?
マサシ そうだよ、苦しんだ分は、楽しむことになる。
マナミ それを、少しでも認めたら、苦しめないよね?
マサシ そうだね、そうなる筈が、概して認めないよ。
マナミ 楽しか無い、皆楽って、どういうものなの?
マサシ 皆楽とは、絶対の楽しみ、苦の無い楽なのさ。
マナミ じゃあ、苦が生まれるとき、楽が産まれるの?
マサシ そうだよ、苦しんだ分は、楽しむことになる。
マナミ それを、明らかに認めると、楽しくなるよね?
マサシ そうだね、そういう訳で、総じて楽になるよ。
マナミ つまり、苦難が表れて、快楽も現れること。
即ち、皆楽を悟るために、生きているわけね。
マサシ そうさ、認めないから、恐々と生きてしまい、
逆に、見とめてしまえば、堂々と活きられる。
マナミ そっか、総じて楽であると、認めてしまえば、
どれだけ、苦しみが有っても、楽に成るのね。
マサシ そうさ、皆楽を悟った人は、穢土が浄土だよ。
マナミ ……………………!!
CASE 快苦 の先に 皆楽
サトミ 苦楽が有る、快苦って、どういうものかな?
メグミ 快苦とは、楽が有るだけ、苦が有ることだよ。
サトミ 楽しか無い、皆楽って、どういうものかな?
メグミ 皆楽とは、苦が有るのに、楽しか無いことよ。
サトミ う~ん、良く解らない、どういうことなの?
メグミ 世界には、苦しいことも、楽しいこともある。
彼方は、そんな世界で、苦しむことが出来る?
サトミ うん、苦しみが有っても、楽しみも在るなら、
楽しみながら、紛わせれば、苦しめるはずよ。
メグミ 実際には、苦しんだだけ、楽しむことになる。
彼方は、そんな仕組で、苦しむことが出来る?
サトミ 苦しむだけ、楽しむなら、苦しめる訳ないよ。
それで、苦しめるなら、そもそも認めてない。
メグミ うん、仕組を認めないと、快苦を感じるし、
反対に、仕組を見とめると、皆楽を観じるよ。
サトミ それなら、その表だけを、感じるのではなく、
裏まで、観じるときに、一切皆楽になるのね。
メグミ うん、皆楽を認めないと、涅槃に留まるけど、
いずれ、皆楽を見とめると、済度を望むのよ。
サトミ ……………………!!
CASE 一 切 皆 楽
サトシ あのね、一切皆楽って、どういうことかな?
マサシ それはね、すべては、楽に至るということさ。
サトシ う~ん、人生って、苦もあれば楽もあるし、
今更、言わなくても、当たり前じゃないかな。
マサシ ううん、一切皆楽って、そんな話じゃない。
皆楽とは、苦が有っても、楽でしかないのさ。
サトシ つまり、苦が寡いから、楽しいではなくて、
どれだけ、苦が多くても、楽であるってこと?
マサシ そうさ、苦を感じても、楽を観じてしまう。
すなわち、苦で消せない、楽こそ皆楽なのさ。
サトシ う~ん、そう考えると、凄い気がしてきた。
どうして、楽と皆楽って、全く異なるのかな?
マサシ 楽とは、苦が減らしている、楽のことであり、
皆楽とは、苦が増やしている、楽のことだよ。
サトシ 楽とは、苦と楽が矛盾する、楽のことであり、
皆楽とは、楽と苦が補完する、楽のことなの?
マサシ そうさ、苦を味わっただけ、楽が現れてくる。
サトシ なるほど、苦が濃いほど、楽が濃くなるのか。
マサシ 当たり前に、感じた物ほど、有り難く観じる。
サトシ ……………………!!
CASE 皆楽なき快苦 と 快苦なき皆楽
サトミ 快苦と皆楽、どちらを、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 苦の裏の楽、快苦って、どういうものかな?
メグミ 快苦とは、楽に臨んだら、苦しめないことよ。
サトミ 苦の無い楽、皆楽って、どういうものかな?
メグミ 皆楽とは、苦に臨んでも、苦しめないことよ。
サトミ 快苦を望み、皆楽に臨まないと、どうなるの?
メグミ 皆楽なき快苦なんて、衆生の輪廻そのものよ。
サトミ じゃ、苦しむと楽しむ、仕掛を認めないの?
メグミ そうよ、直ぐ忘れ去って、何度も転生するよ。
サトミ 皆楽を望み、快苦に臨まないと、どうなるの?
メグミ 快苦なき皆楽なんて、菩薩の済度そのものよ。
サトミ じゃ、苦しむと楽しむ、仕組を見とめるの?
メグミ そうよ、胸に刻み込んで、二度と涅槃しない。
サトミ 快苦だけでは、転生しても、済度しないし、
皆楽ばかりでは、済度しても、涅槃しないの?
メグミ うん、快苦と皆楽、その両方が、必要なのよ。
サトミ じゃあ、皆楽を追い、快苦を負っていくの?
メグミ そうなの、快苦を透し、皆楽を徹していくの。
サトミ ……………………!!