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物語編

第四章 第十六話 問答編

マサシ 自我(ジガ)とは、どういうものですか?

 

アキラ 自我は、我であると、我が捕えるもの。
    梵語では、アートマンと、呼ばれるもの。
    業を積み重ねると、我が近くに見えるため、
    自我を見つめて、自分であると、捕えやすい。

 

マサシ 非我(ヒガ)とは、どういうものですか?

 

アキラ 非我は、我でないと、我が捉えるもの。
    梵語では、ニラートマンと呼ばれるもの。
    業を乗り越えると、我が遠くに見えるため、
    自我を見つめて、自分でないと、捉えやすい。

 


 

タンゴ 人生の絶望の底から、立ち直ろうとして、
    菩薩を志したとき、ここまで導かれました。

 

マコト 真理は、最後に導かれる出口ですから、
    まだ、外に望める人々は、導かれません。
    もはや、外に望めない、内に臨むしかない。
    その覚悟がある方が、真我に導かれて来ます。

 

タンゴ 何度も繰り返し、読み返していますが、
    最近、強い睡魔に、襲われて読めません。
    以前は、何時間でも、読み込んでいたのに、
    あまりの、変わりように、驚きを隠せません。

 

マコト いかなる自我も、真の我に対峙すると、
    偽の我が壊れていく、恐怖に駆られます。
    自我は、自分を守るために、何でもします。
    睡魔で背けたり、現実で叛けたり、幾らでも。

 

    真我は、自我を選ぶか、真我を択ぶか、
    あなたが、何を択ぶのか、見守ってます。
    自我が、睡魔を使って、道を外させるため、
    こうして、使徒を遣って、道に戻しています。

 

    あなたの、菩薩の決意は、偽物ですか。
    人生の絶望を見て、真理に臨んだものが、
    睡魔ぐらいで、真理を望めなくなりますか。
    あなたの菩提心は、それが、限界なのですか。

 

    睡魔などに、決して帰依することなく、
    真理を修めて、真理の御霊に生まれ変り、
    自らが、人々を支えたいと、望んで下さい。
    ここには、そういう魂が、招かれているはず。

 


 

オウミ ある仕組に気づき、検索して辿り着きました。

 

マコト この神社では、菩薩に生れ変わる教え、
    救う側の訓えが、静かに解かれています。
    人類の中から、弥勒菩薩が生まれなければ、
    弥勒の世を、正式には迎えられないからです。

 

    それゆえ、三千世界の立て替えを含め、
    すべてを統べている、封印されし大神が、
    機根のある因縁の魂を、この地に呼び寄せ、
    名に恥じない菩薩にまで、鍛え上げています。

 

    因縁の魂は、ある言葉で招かれてます。
    あなたも、その言葉で聘かれているなら、
    真理を修めて、弥勒菩薩に生まれ変わって、
    人類に尽す縁が、存在するのかもしれません。

 

    とはいえ、菩薩の道は、極めて厳しく、
    使命感や自尊心では、前には進めません。
    菩提心が無ければ、決して勧めない道です。
    無理と解かれば、全て忘れ元に戻りましょう。

 


 

セッツ 有り難い命の他に、何も要らなくなりました。

 

マコト 真理を修めて、煩悩が落ちて行くほど、
    内なる神を悟り、心が満ち足りて来ます。
    そうなると、命という有り難い神を宿した、
    歩く社となり、行く先々で良い縁を与えます。

 

    行く先々で、浄いものを分け与えれば、
    反作用として、汚いものを引き受けます。
    他から離れれば、自ずから清められますが、
    器に余ったときは、苦しみが生じるものです。

 

    だからといって、独り山に引き篭もり、
    涅槃を楽しむのは、菩薩では有りません。
    菩提心を抱いて、大峠の里に下りて行って、
    他の苦を見とめて、苦を引き受けるべきです。

 

    たとえ、他と関わって、苦を招じても、
    もともと、無かった事に、気づけたなら、
    その瞬間に、苦しみは、掻き消えてしまい、
    汚されて、清めた分だけ、器を広げています。

 

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