第四章 第十八話 問答編
マサシ 姓名(セイメイ)とは、どういうものですか?
アキラ 姓名は、業を演じる、衆生の名であり、
今生に付けられた、生命を表す名である。
地の業は、血脈として、受け継がれていき、
親から子へ、血縁として、世に広がっていく。
マサシ 法名(ホウミョウ)は、どういうものですか?
アキラ 法名は、法を演じる、菩薩の名であり、
転生に付けられた、使命を表す名である。
天の法は、法脈として、受け継がれていき、
型から形へ、法縁として、地に広がっていく。
アナン 宇宙人(欲界の神)は、どういうものですか?
マコト 地球に住む人を、小学生に喩えるなら、
地球を訪れる宇宙人は、中学生や高校生。
小学生が望んでいる、欲の延長にあるため、
僕の考える、スーパーヒーローそのものです。
アナン 菩薩(色界の神)は、どういうものですか?
マコト 地球に住む人を、小学生に喩えるなら、
地球を導く菩薩は、御祖父さん世代です。
小学生の望んでいる、欲の延長にないため、
小学生の僕には、良いように扱われています。
アナン カルマや地獄は無いと説く、宇宙人がいます。
マコト 地球人を小学生、宇宙人をヒーローに、
現代の地球を、英雄群像劇に喩えるなら、
菩薩が司る役目は、会場を掃除する係です。
誰に知られる事なく、黙々と掃除しています。
熱中する子供や、熱演する英雄を見て、
昔を思い出しつつ、微笑ましく想います。
でも、会場に散らかる、ゴミを見つけると、
ゴミは持ち帰ろうと、会場の壁に啓示します。
エヒメ 真理を持ち歩き、何度も読んでいます。
読んだ箇所に、対応する試練が起き続け、
その都度、真理に則り、感謝して来ました。
誰にも愚痴を言わず、黙々と耐え続けました。
すると、異次元に入り込んだかの如く、
突然、ある日、人々が別人になりました。
長い間、接して来て、知り尽している筈の、
家族や同僚が、素敵な人物に変っていました。
今、自分は、夢なら醒めないで欲しい、
そんな恵まれた、有り難い世界に居ます。
内なる正神は、奇跡など見せないとのこと。
私は、何者かに、幻想を魅せられていますか?
マコト あなたが、菩薩行を実践しているので、
周囲を含め、弥勒の世に導かれています。
即ち、自らが変れば、周りも変わるという、
正神の済度の方法です、素晴らしい菩薩です。
ヨナゴ 外を分析することは、必要ではないのですか?
マコト あなたの現実は、神からの啓示であり、
分析して、受け容れることは、必要です。
その一方で、あなたに、直接に関わらない、
情報に巻き込まれるのは、逃避に過ぎません。
闇の政府にしても、真の歴史にしても、
自らの手に負えない、何かを見とめれば、
その瞬間、自らで変わらない、口実となり、
感謝の無い、不満に満ちた、現実と化します。
戯れに、外の情報に、一喜一憂せずに、
この瞬間、この現実に、集中して下さい。
これが、出来る存在こそ、真の覚者であり、
次の時代を築き上げる、弥勒菩薩と言えます。
ヨナゴ 情勢や預言を分析する、必要はないのですか?
マコト その命で訪れる存在が、宇宙人ですが、
彼らは、「神が解らない」と、言います。
彼らの後に続くのか、彼らに範を示すのか、
良く分析してから、自らの命を選んで下さい。
ヨナゴ 私も含めて、人々が信頼し切っている、
宇宙人は、神が解かっていないのですか?
マコト 彼らの進化の先に、何が訪れるのかが、
高次元の彼らは、何も解かっていません。
取り敢えず、善を勧めれば、良いだろうと、
見切り発車で、光を謳い、闇と戦っています。
しかし、真実は、光も闇も、神の両相。
裏の闇と戦う限り、神の心は解りません。
それゆえ、宇宙人は、神の事を知るために、
時折り、人界に現れる、神の子を観ています。
即ち、この地で解く真理は、天人相応。
天人の師となる、貴重な菩薩向けであり、
菩薩を依代に、真理に臨む、天人向けです。
天人は、貴方に就いて、真理を学んでいます。
イガ 菩薩界から来るのは、どういう方ですか?
マコト 器が大きいほど、社会の底辺に暮して、
常に感謝を忘れず、手本を示しています。
そのため、宗教とは、掛け離れた生活をし、
宗教を生業とすることは、断じて在りません。
イガ 宗教を生業としては、いけないのですか?
マコト 人類の手本として、菩薩は生まれます。
特別な人類になるため、ではありません。
宇宙人が、後者の使命を、担当しています。
宗教を主催したくなるのは、背後が天人です。
クワナ 目指すべき菩薩とは、どういうものですか?
マコト 菩薩たるもの、神の傍らに控えるなら、
決して、近づき過ぎも、離れ過ぎもせず、
教えさえ、乞うことなく、神と共に在って、
心の底から、歓喜して、喜びの涙を流します。
神に命じられる前に、神の意を解して、
それが、言葉になる前に、支度を整えて、
言葉が放たれた時には、現実と化している。
ここで学ぶ者は、これを目指して欲しいです。
生きながらに、この境地に至るならば、
死んでから、かの閻魔法王を前にしても、
法王の口より、神の労いの言葉を頂けます。
そして、色界に還り、次の仕度に掛かります。
カイ 社会の底辺を守るとは、どういうことですか?
マコト 例えば、不断の小さな善行に対しては、
誰からも、名など尋ねられもしないのに、
ある日、誰も煩わせない、不注意に対して、
交通官に、名を訊ねられて、罰金を取られる。
或いは、目の前で、転んだ子に対して、
優しく励まして、傷口を処置していたら、
後から遅れて来た、母親と思われる女性に、
不審者の如く見られ、通報をされそうになる。
以上のように、社会が病んでいるほど、
世界の理不尽は、弱者に集まってきます。
力を使って掃えば、上層からは消えますが、
理不尽は滴り落ちて、下層に溜まるものです。
従って、菩薩は、社会の底辺を支えて、
怨嗟を受け容れて、感謝に書き換えます。
彼らは見えませんが、彼らが居なかったら、
世界の底が抜けて、人々は地獄に落されます。