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物語編

第四章 第二二話 問答編

マサシ 喜無量心(キムリョウシン)とは、何ですか?

 

アキラ 喜無量心は、慈悲喜捨の喜の心のこと。
    梵語では、ムディターと、呼ばれるもの。
    喜とは、三禅天が司る、浄天界の心であり、
    楽を喜んで、全てを歓ぶ、感謝の精神である。

 

マサシ 感謝(カンシャ)は、どういうものですか?

 

アキラ 感謝とは、我に望む、喜無量心であり、
    有り難く受け容れ、自らが喜ぶ心である。
    ただ、楽を悦んでも、楽が消えれば悲しむ。
    自然に、受け容れるように、徳を積んでいく。

 

マサシ 感動(カンドウ)は、どういうものですか?

 

アキラ 感動とは、他に臨む、喜無量心であり、
    喜びを分ち合って、他まで喜ぶ心である。
    ただ、喜び合っても、喜が消えれば冷める。
    自力で、受け容れるよう、徳を積ませていく。

 


 

ノト  どうして、感謝を重視するのですか?

 

マコト 完全なる肯定を現す、感情だからです。
    酸いも甘いも、有り難く受け容れること。
    これが出来る人は、真理を修めた者であり、
    黄金の時代を迎えた、人類の手本と言えます。

 


 

エチゴ 真理を読んでいると、自分の胸部から、
    歓喜が湧き上るような、感覚が有ります。

 

マコト その歓喜は、世に言われる、法悦です。
    真我が真理に触れ、悦んでいる証であり、
    真理を修めるほどに、その歓喜は強くなり、
    自らの胸に、真我が顕現するようになります。

 

    浄化が進み、その感覚が掴めて来たら、
    日常の生活に於いて、感謝をするときに、
    同じように、真我が喜ぶことが解かります。
    内なる神への供物は、感謝であると悟ります。

 

    そこまで行けば、恐れる物は何も無い。
    如何なるときにも、内なる神と共に在り、
    何が届いても、有り難く頂き供物に変える。
    何をしても、嬉しくて、仕方が無くなります。

 


 

クサツ ワクワクする教えは、どういう教えですか?

 

マコト もし、自分は、楽しい環境に居ながら、
    その教えを、苦しんでいる相手に説けば、
    それこそ、汚いカルマを振り撒く業であり、
    辺り一面に、羨望や依存が拡がって逝きます。

 

    逆に、自分も、苦しい環境に居ながら、
    その教えを、苦しんでいる相手に説けば、
    それこそ、貴いダルマを指し示す行であり、
    辺り一面に、賞賛や模倣が広がって行きます。

 

クサツ 宇宙人が、地球に説いたら、どうなりますか?

 

マコト 確かに、善かれと思い、説いていれば、
    善業は積めますが、最終的に独善に嵌り、
    自と他を分けた罪で、進化が行き詰ります。
    遠い将来のことなので、気づかないでしょう。

 


 

イワキ 我が内に、神を感じると、どうなりますか?

 

マコト 私の場合、歓喜の余り、大号泣します。
    そのままでは、何の役にも立てないため、
    困難な環境に置かれ、釣り合いを取ります。
    浮き上がらないように、押さえ付けられます。

 


 

フクイ 自分が、弥勒菩薩になろうとするのは、
    畏れ多い気がして、憚られてしまいます。
    五十六億七千万年後、巡り合えれば充分で、
    そのための種子を、今生に育もうと思います。

 

マコト 表を見れば、慇懃な態度に見えますが、
    心まで観れば、無礼な姿勢に過ぎません。
    玄関の前にまで、迎えに来られた神を憚り、
    五十六億七千万年、部屋に立て籠る気ですか?

 

    神に居て欲しいが、留守で居て欲しい。
    望んだ時だけ臨める、神を欲しています。
    五十六億七千万という、空く間に憑かれて、
    あなたは、微塵たりとも、神を求めてません。

 

    多大な犠牲を払い、周到に用意された、
    今生の大舞台で、真理を悟れないならば、
    幾ら待っていても、弥勒の世に還れません。
    待ち望んだ日も、今と同じく魔に憑かれます。

 


 

クジ  悟りを開くと、感動しなくなるのですか?

 

マコト 感動を抱くのは、心が喜ぶことであり、
    神を感じることと、同じことと言えます。
    故に、神を憶えれば、神を探しやすくなり、
    悟れば、悟るほど、感動をしやすくなります。

 

    ただ、神を覚える前と、憶えた後では、
    感動を、抱く対象が、大きく異なります。
    悟る前は、優れることに、神を探しますが、
    悟った後は、活きることに、神を見ています。

 

    例えば、舞台の上で、楽器を弾く場合。
    悟る前は、上手に弾く事に、神を探して、
    悟った後は、懸命に弾く事に、神を見ます。
    課された業を、活かし切る事に、感動します。

 

    例えば、家なき人が、雨露を凌ぐ場合。
    悟る前は、耐え難い人生に、罪を探して、
    悟った後は、堪え忍ぶ人生に、神を見ます。
    科された業を、味わい抜く事に、感動します。

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