第四章 第二一話 対話編
CASE 慚愧 の裏に 憐憫
マナミ カルナー、悲の心って、どういうものなの?
マサシ 悲とは、苦を抜いて、魂の下向を嘆くものさ。
マナミ 我を哀れむ、慚愧って、どういうものなの?
マサシ 悲の心が、自らに対して、向けられたものさ。
マナミ じゃあ、我が身に向け、苦を除いたら良いの?
マサシ いや、それだけだと、苦が消えても現れるよ。
マナミ 二度と、悩まないよう、反省すれば良いの?
マサシ うん、苦を越えるように、悪業を落とすのさ。
マナミ 他を哀れむ、憐憫って、どういうものなの?
マサシ 悲の心が、周りに対して、向けられたものさ。
マナミ じゃあ、他の人に向け、苦を除いたら良いの?
マサシ いや、それだけだと、苦が消えると忘れるよ。
マナミ 二度と、悩まないよう、反省すれば良いの?
マサシ うん、苦を越えるように、悪業を落とすのさ。
マナミ それなら、自らに対しても、周りに対しても、
反省を促す、菩薩の悲こそが、菩提の心なの?
マサシ そうさ、慰めるだけでは、繰り返すだけだよ。
マナミ ひたすら、悲の心を培うと、何が見えるの?
マサシ 光と闇、総じて輝き彩る、光天が見えるのさ。
マナミ ……………………!!
CASE 慚愧 の先に 憐憫
サトミ 内を悲しむ、慚愧って、どういうものかな?
メグミ 慚愧とは、自らに対して、苦を改めることよ。
サトミ 外を哀しむ、憐憫って、どういうものかな?
メグミ 憐憫とは、周りに向って、苦を改めることよ。
サトミ う~ん、良く解らない、どういうことかな?
メグミ じゃ、慚愧を抱かず、悲哀と言えると思う?
サトミ ううん、そんな悲では、迷える哀になるだけ。
悔い改め、哀しまないと、繰り返してしまう。
メグミ じゃ、憐憫を擁かず、悲哀と言えると想う?
サトミ ううん、そんな悲では、蔑んだ哀になるだけ。
寄り添い、哀しまないと、他を蔑んでしまう。
メグミ つまり、我が苦も他の苦も、摘み取るもの。
そういう、慚愧が生まれ、憐憫を産まれるの。
サトミ そっか、慚愧を怠れば、憐憫も研けないし、
逆に、憐憫を惰れば、慚愧も磨けないわけね。
メグミ そうよ、慚愧と憐憫が、悲哀を蘇らせるし、
引いては、愚痴が癒えて、智慧を甦らせるの。
サトミ 迷いの心は、悲哀を培えば、消えていくのね。
メグミ 罪を悲しんで、非を改めれば、癒えていくよ。
サトミ ……………………!!
CASE 慚愧 という 憐憫
サトシ 迷える思い、愚痴って、どういうものかな?
アツシ 愚痴とは、煩悩を持って、欲界に至る心だな。
サトシ 迷いの心に、捕らわれると、欲界に堕するの?
アツシ そうだな、自他に塗れて、衆生の世界になる。
サトシ 哀しむ想い、悲哀って、どういうものかな?
アツシ 悲哀とは、菩提を以って、色界に到る心だな。
サトシ 哀しむ心を、培っていると、色界に脱するの?
アツシ そうだな、自他を越えて、菩薩の世界になる。
サトシ 内なる悲哀、慚愧って、どういうものかな?
アツシ 慚愧とは、悲哀を持って、我を悲しむことだ。
サトシ 内を悲しみ、外を哀しまないと、どうなるの?
アツシ 自ずから、自と他が分れて、迷いが深くなる。
サトシ 外なる悲哀、憐憫って、どういうものかな?
アツシ 憐憫とは、悲哀を以って、他を哀しむことだ。
サトシ 外を悲しみ、内を哀しまないと、どうなるの?
アツシ 自ずから、自と他が別れて、迷いが強くなる。
サトシ そっか、菩提を以って、煩悩を持っていたら、
本末転倒、というか、本当に愚かなものだよ。
アツシ 確かに、そうだが、そこは、愚痴を言うなよ。
サトシ ……………………!!
CASE 憐憫なき慚愧 と 慚愧なき憐憫
サトミ 慚愧と憐憫、どちらを、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 我を悲しむ、慚愧って、どういうものかな?
メグミ 慚愧とは、悲の心が、内に湧き出るものだよ。
サトミ 他を哀れむ、憐憫って、どういうものかな?
メグミ 憐憫とは、悲の心が、外に溢れ出るものだよ。
サトミ 慚愧を望み、憐憫に臨まないと、どうなるの?
メグミ 憐憫なき慚愧なんて、偏った悲に過ぎないよ。
サトミ じゃ、我を悲しむけど、他を哀しまないの?
メグミ そうよ、他を蔑むように、我を侮ってしまう。
サトミ 憐憫を望み、慚愧に臨まないと、どうなるの?
メグミ 慚愧なき憐憫なんて、騙った悲に過ぎないよ。
サトミ じゃ、他を哀しむけど、我を悲しまないの?
メグミ そうよ、我を侮るように、他を蔑んでしまう。
サトミ 慚愧だけは、偏ってしまい、侮っていくし、
憐憫ばかりは、騙ってしまい、蔑んでいくの?
メグミ うん、慚愧と憐憫、その両方が、必要なのよ。
サトミ じゃあ、憐憫に依り、慚愧に拠っていくの?
メグミ そうなの、慚愧を究め、憐憫を極めていくの。
サトミ ……………………!!
CASE 観 自 在 菩 薩
サトシ どうして、観自在菩薩は、智と悲を司るの?
アツシ それは、智慧と悲哀が、菩薩行の両輪であり、
真の智慧が無ければ、真の悲哀は無いからだ。
サトシ 智慧が無いと、どのように、世界を感じるの?
アツシ この世界は、楽しみが有れば、苦しみも有る。
サトシ 智慧が有ると、どのように、世界を観じるの?
アツシ この世界は、楽しみが増せば、苦しみも増す。
サトシ 楽しんだだけ、苦しむなら、何も楽しめない。
だから、総じて苦である、一切皆苦ってこと?
アツシ ああ、だから、今、楽しんでいる人を含めて、
菩薩は、あらゆる存在を、悲しく観じるのさ。
サトシ 今が、苦しいことを、悲しいと感じるのか。
総じて、苦しいことを、哀しいと観じるのか。
アツシ ああ、智慧が深まるほど、悲哀も深くなる。
衆生は、前者に限るが、菩薩は後者も含める。
サトシ 僕から見ると、この世は半端に苦しいけど、
菩薩から見ると、この世は一切が苦しいのか。
アツシ そうだが、そこは、名に負う、観自在菩薩。
観自在ゆえに、一切皆苦を、一切皆楽に導く。
サトシ ……………………!!
CASE 大 慈 大 悲
マナミ 人々の性質、人性って、どういうものなの?
マサシ 人性とは、業に塗れる愛、人情のことなのさ。
マナミ 業が絡んで、愛が偏るほど、どう見えるの?
マサシ 部分だけ、判断するから、好き嫌いが混じる。
マナミ 例えば、人が人を傷つけたら、どう見えるの?
マサシ 傷つき苦しむ人を見て、憐れであると見て、
傷つけ苦しめる人を見て、哀れでないと見る。
マナミ 神々の性質、神性って、どういうものなの?
マサシ 神性とは、業を越える愛、慈悲のことなのさ。
マナミ 業が解けて、愛が直るほど、どう見えるの?
マサシ 全体まで、判断するから、好き嫌いが消える。
マナミ 例えば、人が人を傷つけたら、どう見えるの?
マサシ 傷つき苦しむ人を見て、憐れであると見て、
傷つけ苦しめる人を見て、哀れであると見る。
マナミ どうして、人を傷つける人まで、哀れなの?
マサシ 人を虐めるほど、過去が苦しかったわけで、
人を苦しめたから、未来も苦しくなるからさ。
マナミ う~ん、哀れに思えない、憎らしく見えるの。
マサシ うん、それが人情だね、将来的に思えるかも。
マナミ ……………………
CASE 天 人 五 衰
サトシ 幻の世界に、引き篭って、遊んでいる人って、
好き勝手して、羨ましいな、僕も為りたいよ。
マサシ 否定しない、傍から見て、気楽に見えるよね。
サトシ 意外だな、否定しないんだ、君は珍しいよ。
大人は、遊んでいないで、働けって言うのに。
マサシ そう言う、大人にしたって、可能であるなら、
天人の様な、生活がしたいと、思っているよ。
サトシ そうだよ、許されるのなら、そう願う筈だよ。
マサシ いつか、そうなった日のため、教えておくよ。
好き勝手が、楽しいのは、最初の数年だけさ。
サトシ どんなに、愉しくても、飽きて来るってこと?
マサシ それに加え、日に増して、不安が大きくなる。
サトシ 閉じ篭るから、飽きるんだ、外に出れば良い。
マサシ 出来るだけ、飽きないように、外に出て行き、
宇宙の果まで、楽しみ尽くせば、良いんだよ。
サトシ いくら、引き延しても、必ず飽いてしまうの?
マサシ それこそ、天人が迎える、最期の日なのさ。
サトシ すべて、見て来たから、もう逃げ場が無いの?
マサシ うん、隅々まで楽しんで、どこに逃げるのさ?
サトシ ……………………