第四章 第三二話 問答編
マサシ 天人(テンニン)は、どういうものですか?
アキラ 天人は、欲界における、最上層であり、
梵語では、デーヴァとも、呼ばれるもの。
天人道とは、愚痴の味著を司る世界であり、
自慢と怠慢を繰り返す、慢心の仕掛けである。
マサシ 自慢(ジマン)とは、どういうものですか?
アキラ 自慢とは、慢心に生じる、味著であり、
完璧に到達して、過去を楽しむ心である。
自慢を楽しむほど、慢心に囚われてしまい、
更に、慢心を望んで、天人の道に臨んでいく。
マサシ 怠慢(タイマン)は、どういうものですか?
アキラ 怠慢とは、慢心に生じる、過患であり、
完璧に到達して、未来に苦しむ心である。
怠慢に苦しむほど、慢心に捕われなくなり、
後に、慢心に飽いて、天人の道に空いていく。
ニシオ どうして、慢心しては、いけないのですか?
マコト 真我とは、大いなる自然そのものです。
万物を生み、滋養する存在でありながら、
誰からも、賞賛を受けることがありません。
ただ静かに、万物を受け容れ、愛しています。
即ち、慢心を抱ける、それは自我です。
自分は、〇〇であると、尊称を付けたり、
私だけが、××であると、特別に扱ったり、
可愛い満を楽めるのは、そこで躓いた証です。
ユザワ この人生を、思いのままに、生きて楽しむ。
そんな人々を、羨ましく、思ってしまいます。
マコト 恰かも、人生における、青春のように、
現在、輪廻における、天界を味わう魂は、
確かに、欲は満たせても、徳は積めません。
楽しい中、感謝しても、当たり前なだけです。
宛かも、人生における、晩年のように、
現在、輪廻における、地獄を味わう魂は、
確かに、欲は充たせないが、徳は積めます。
苦しい中、感謝できれば、有り難いことです。
あなたは、地獄に居て、天国を羨んで、
余計に、地獄の苦しみを、増やしてます。
永遠の春、天人の戯れには、耳など貸さず、
真摯に、貴方に届いた、福音を修めて下さい。
ユザワ たとえ、彼らから、負け組と蔑まれても、
わたしは、わたしの、役を果すべきですか?
マコト 春の段は、春の教えを、世に歌います。
冬の階では、真の教えを、世に伝えます。
春秋を通じて、修めて来た、知恵を活かし、
真理を解くのが、冬に至った、型の使命です。
冬は嫌だ、春が好きと、青春を謳えば、
いくらでも、春夏秋冬を、繰り返すだけ。
無理矢理、真理を捻じ曲げ、春を望んでも、
そのときは、二千年前の、春に戻るだけです。