第四章 第五九話 対話編
CASE 仏 の裏に 法
マナミ ねぇ、ブッダ、仏って、どういうものなの?
マサシ 仏とは、迷妄から覚めて、真理を悟るものさ。
マナミ じゃ、ダルマ、法って、どういうものなの?
マサシ 法とは、迷妄から醒めた、仏陀が説くものさ。
マナミ とすると、仏が現れないと、法は表れないの?
マサシ そうさ、業が解けないと、法は説けないから。
マナミ それなら、業を解かないで、法が説かれたら?
マサシ 邪まに、法を騙っているから、業が拡がるよ。
マナミ 本来なら、業を解くための、法を説くはずが、
真逆に、法を騙るという、業を語っているの?
マサシ うん、仏が説かないと、法は広がらないし、
凡夫が、法を騙るならば、業が拡がるだけさ。
マナミ じゃ、同じ法を語ろうとも、誰が語るかで、
法が広がるか、業が拡がるか、全く異なるの?
マサシ そもそも、法は、身と心を、一致させるもの。
外と内とが、一致しないのは、業でしかない。
マナミ 仏以外が、説けば説くほど、世は末法になる。
う~ん、法を伝えるのは、容易じゃないのね。
マサシ 本心から、求める人だけが、伝えて行けるよ。
マナミ ……………………!!
CASE 法のない仏 と 仏のない法
サトミ 仏と法、どちらの方を、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 真理の型たる、仏って、どういうものかな?
メグミ 仏とは、業を超えている、一元の境地なのよ。
サトミ 真理の形たる、法って、どういうものかな?
メグミ 法とは、業を越えていく、二元の道理なのよ。
サトミ 仏を重んじて、法を軽んじると、どうなるの?
メグミ 法のない仏なんて、単なる仏像に過ぎないよ。
サトミ じゃ、法が無ければ、誰も仏に成れないの?
メグミ そうよ、有り難い仏が、在り難い佛になるよ。
サトミ 法を重んじて、仏を軽んじると、どうなるの?
メグミ 仏のない法なんて、単なる仏号に過ぎないよ。
サトミ じゃ、仏が居ないと、仏の名が騙られるの?
メグミ そうよ、説き難い法が、解き難い業になるよ。
サトミ 仏だけは、有り難がって、像に成るばかり。
法ばかりは、魔に憑かれて、業に為るばかり。
メグミ うん、仏と法、そのどちらも、必要になるの。
サトミ じゃあ、法に依りながら、仏に拠っていくの?
メグミ うん、仏に会しながら、法を解していくのよ。
サトミ ……………………!!
CASE 法 と 仏 と 業
マナミ ねぇ、ブッダ、仏とは、どういうものなの?
マサシ 仏とは、矛盾を乗り越え、真理を悟るものさ。
マナミ じゃ、ダルマ、法とは、どういうものなの?
マサシ 法とは、矛盾を掘り起し、覚醒に導くものさ。
マナミ じゃ、カルマ、業とは、どういうものなの?
マサシ 業とは、矛盾を抱え込み、迷妄に誘うものさ。
マナミ 即ち、説いていること、行なっていること。
言行が、一致するものが、仏陀だと言えるの?
マサシ うん、言行一致しない、仏陀など居ないのさ。
マナミ 仏陀が、真理を広めたら、どうなるのかな?
マサシ その時は、解かれるように、説いているから、
在りのまま、法が伝わるから、業が解けるよ。
マナミ 凡夫が、真理を広めたら、どうなるのかな?
マサシ その時は、解けてないのに、説いているから、
思いのまま、法を歪めて、業が伝わるだけさ。
マナミ じゃ、説く者が変ると、広がる物まで変るの?
マサシ そうさ、光が広がりもし、闇が広がりもする。
マナミ 法を、望んでいたけど、臨めないものなのね。
マサシ 心から、求めているなら、必ず与えられるよ。
マナミ ……………………!!
CASE 仏 と 僧 と 法
マナミ ねぇ、ブッダ、仏とは、どういうものなの?
マサシ 仏とは、真理を悟る者が、現れているものさ。
マナミ じゃ、サンガ、僧とは、どういうものなの?
マサシ 僧とは、真理を望む者が、集っているものさ。
マナミ じゃ、ダルマ、法とは、どういうものなの?
マサシ 法とは、真理に臨む道を、示しているものさ。
マナミ すなわち、真理そのものが、世に表れると、
それを、望む者と臨む物、共に現れてくるの?
マサシ うん、価値が生じると、才と道を招じるのさ。
マナミ 確かな、価値が現れると、どうなるのかな?
マサシ そこには、正しい才が集い、正しい道を説く。
マナミ 確かな、価値を損なうと、どうなるのかな?
マサシ そこには、邪まな才が混り、邪まな道を解く。
マナミ つまり、仏が現れると、僧も法も表れるけど、
いよいよ、仏が滅すると、僧も法も消えるの?
マサシ 僧や法とは、名ばかり、その実態は像や業さ。
マナミ そっか、僧を望みながら、像に臨んでいたり、
知らずに、法を修めながら、業を収めるのね。
マサシ そうさ、真理を悟る者は、それが良く解かる。
マナミ ……………………!!
CASE 初 転 法 輪
マサシ 法の輪が、転がるとは、どういうことですか?
アキラ 空間や時間、隅々にまで、広がることである。
マサシ どうして、最初の転法輪が、重要なのですか?
アキラ たとえ、少しの歪みでも、中心で外れると、
周辺まで、転がって行くと、酷く歪むからだ。
マサシ 転がる内に、歪んで来るのは、何故ですか?
アキラ 法が広がると、業が重ねられる、からである。
マサシ 中心の型が、歪んでないと、どうなりますか?
アキラ 業が少ないと、摩擦が生じず、広がりやすい。
マサシ 中心の型が、歪んでいると、どうなりますか?
アキラ 業が多いほど、摩擦を招じて、広がりにくい。
マサシ 業が重なり、輪が止るのは、どうしてですか?
アキラ 矛盾が埋まれ、邪魔が生れる、からである。
マサシ そうすると、身と心が、完全に一致するほど、
良い型となり、世の中に、遍く広がりますか?
アキラ 仏が現れること、それこそ、最高の型である。
仏に教わって、自ら行わねば、どうなるのか?
マサシ 聞いて修めない、法の中心から、歪み始める。
アキラ だからこそ、初転法輪は、極めて重要である。
マサシ ……………………!!