第五章 第一話 問答編
マサシ 密教の七支分とは、どういうものですか?
アキラ 礼拝とは、五体投地により菩提に向かうこと。
供養とは、他の救いのため我を投げ出すこと。
懺悔とは、我が悪行を悔い改めることである。
随喜とは、自他の善き行いを心から喜ぶこと。
勧請とは、現在に真理が説かれることを請う。
祈願とは、未来に真理が説かれることを願う。
回向とは、我が善行が他に巡ることを求める。
マサシ 信仰(シンコウ)とは、どういうものですか?
アキラ 信仰は、我が選んだ、神を信じること。
即ち、神を信じている、我を信じている。
我が選んだ者が、神であるか、神でないか、
特に気になるため、我を忘れず、魔に怯える。
マサシ 真仰(シンコウ)とは、どういうものですか?
アキラ 真仰は、我を忘れて、神を信じること。
即ち、神を信じている、我を捨てている。
我が信じる者が、神であるか、神でないか、
特に気にしないで、我を忘れて、神を覚える。
シブヤ 〇〇や××について、どう思いますか?
彼らは本物ですか、それとも偽物ですか?
マコト その問に、如何な権威が、答えようと、
貴方は、信じたければ、直ぐ信じますが、
逆に、信じたくなければ、全く信じません。
何より、自我を信じていると、認めて下さい。
もう、外の権威を、比べるのは止めて、
心から、信じている、自ら考えて下さい。
外を比べたければ、外の人に尋ねましょう。
それに飽きたら、再び、此処を訪ねて下さい。
ミカン 「最終的には、すべて神様にお返しする」
第五章を読んで、そんな印象を受けました。
具体的には、どのように考えれば良いですか?
マコト 生きている間に、いくら積み重ねても、
死ぬとき、すべて手放さないとならない。
このことは、肉体レベルの生死のみならず、
自我レベルの生死も、そうであると言えます。
生きている間、財を積み上げるにせよ、
善を積み重ねるにせよ、死に臨む際には、
必ず、神様に返すことを、意識していれば、
死を望まない、穏やかな生を送れるでしょう。