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物語編

第五章 第十三話 問答編

マサシ 失楽園(シツラクエン)とは、何ですか?

 

アキラ 失楽園とは、知恵の実を食べることで、
    善悪を分けて、歓喜の園から落ちること。
    善いものを喜び、悪いものを悲しむならば、
    労苦の地に降りて、地上の栄華を望み続ける。

 

マサシ 復楽園(フクラクエン)とは、何ですか?

 

アキラ 復楽園とは、生命の実を食べることで、
    善悪を合せて、歓喜の園まで蘇えること。
    善いものも歓び、悪いものも喜べるならば、
    歓喜の園に昇って、天上の栄光に臨み続ける。

 


 

チクマ 素晴らしい、貴い存在から、頂いたものを、
    着けたり、聞いたりするのは、いけませんか?

 

マコト どれだけ、貴い存在の守りであろうと、
    神と魂の間に、入り込むならば、魔です。
    神に臨まず、魔を望む限り、神は現われず、
    彼方の護りを、魔に委ね、神は待ち続けます。

 

    恥かしくて、神と向き合えないならば、
    魔を挟むのも、致し方のないことですが、
    魔は、解決を授けず、猶予を与えるばかり。
    いずれ、神に対し、解決を乞う時が訪れます。

 

チクマ 意を決して、外の物は捨てた方が良いですか?

 

マコト 肉体が崩れたり、欲界が壊れたりなど、
    遅かれ早かれ、外は全て消えて逝きます。
    それは、失楽の時でなく、復楽の刻であり、
    あらゆる、浮気を止め、神の愛に還る時です。

 

    ここは、神が直々に、弥勒に導く神社。
    故に、いかなる浮気も、勧めていません。
    魔が入り込めない分、直ぐに試されるはず。
    訪れる人が何を選ぶか、厳しく験しています。

 


 

エヒメ このような、深い教えを解き明かして、
    悪魔の主から、邪魔を受けないのですか?

 

マコト 究極の世界観である、真理から見れば、
    神様にせよ、魔王にせよ、同じ見解です。
    すべては、自業自得であり、善も悪もない。
    全てを、有り難く頂けば、歓喜の園が蘇える。

 

    ここで、真理が、解き明かされる限り、
    天人の主、天魔は、邪魔をしてきません。
    真理は、神の代弁でも、魔の弁護でもあり、
    あらゆる、神の業を、完全に肯定する道です。

 

エヒメ 悪魔の妨害に脅える、必要はないのですか?

 

マコト 外に神を望むと、前に魔が現われます。
    真理を修めて、内なる神に臨んでいれば、
    如何なる悪魔も、目の前に実体化しません。
    悪魔に怯える者は、外なる神に焦がれてます。

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