物語編
第五章 第十七話 問答編
マサシ ユダヤとは、どういうものですか?
アキラ ユダヤとは、ヤハウェを絶対と信じて、
ヘブライ人を、選民と考える人々のこと。
自らの信念を邪魔する、イエスを迫害して、
そのカルマを負って、自らが衰退していった。
マサシ ナチスとは、どういうものですか?
アキラ ナチスとは、ヒトラーを絶対と信じて、
ゲルマン人を、選民と考える人々のこと。
自らの信念を邪魔する、ユダヤを迫害して、
そのカルマを負って、自らが衰退していった。
ハヅキ 「私(ヨハネ)は後に来る者(イエス)の
靴紐を解く値打ちもない」ではないのですか?
マコト ヨハネ(洗礼者)は、型となる者であり、
イエス(救世主)は、形とする者ですから、
洗礼者は予行であり、救世主こそが本番です。
このことを受けて、謙遜表現がなされています。
つまり、下座の精神という意味において、
「足を洗ってあげる値打ちもない」にせよ、
「靴紐を解いてあげる値打ちもない」にせよ、
意味的には、等しい表現であると考えて下さい。
また、聖書には、救世主であるイエスが、
弟子の足を洗う場面が、別に存在しますが、
その場面と表現を揃える事で、下座の精神が、
洗礼者、救世主、弟子に広がる様を表してます。