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物語編

第五章 第十九話 問答編

マサシ 父なる神とは、どういうものですか?

 

アキラ 父なる神とは、一元に止まる神であり、
    二元の我々には、認められない神である。
    父なる神には、実体がなく、解り難いため、
    世の人を、子なる神を遣わし、導こうとする。

 

マサシ 子なる神とは、どういうものですか?

 

アキラ 子なる神とは、二元に現れる神であり、
    二元の我々にも、見とめられる神である。
    子なる神には、自我がなく、写り易いため、
    世の人は、子なる神を通して、自らを省みる。

 


 

アヤベ 様々な人が、様々な教えを説いています。
    真偽を簡単に見分ける、方法はありますか?

 

マコト 智を司る、少数の本物が生まれるとき、
    無智を司る、多数の偽物も産まれてくる。
    何故なら、智慧を磨くには悔い改めること。
    つまり、反面教師の役が、不可欠だからです。

 

    誰であれ、過ちから学ぶしかないため、
    偽者を選ぶことを、恐れなくて良いです。
    むしろ、大半の人が、騙されてしまいます。
    失敗して、悔い改めるよう、心掛けて下さい。

 

アヤベ どうしても、偽物に騙されたくないのですが。

 

マコト どれだけ、貴方が、慎重に選ぼうとも、
    最終的に択ぶものは、彼方のカルマです。
    貴方の思考自体が、彼方のカルマですから、
    カルマを越えない限り、結論は変わりません。

 

    どうしても、偽物に従いたくないなら、
    真理を修めて、自ら智慧を磨いて下さい。
    そうすれば、現状が良く解かると思います。
    そして、私が嘆く理由も、納得できる筈です。

 

アヤベ 高次元からのメッセージは、偽物ですか?

 

マコト 本物の、高次元からのメッセージとは、
    この世界、繰り広げられている現実です。
    日常から学ぶ行こそ、知恵の実の意義です。
    非日常から学べば、人界の意味を腐らせます。

 

    勿論、チャネリングも、現実のひとつ。

    そう捉えているなら、問題は有りません。
    しかし、非日常こそが、本物と考えるなら、
    それこそ、偽物であると、言わざる得ません。

 

    あたかも、高校生の兄を持つ小学生が、
    同級生達に、兄の教えを吹聴し自慢する。
    たとえ、立派なことを、説いていようとも、
    それを許す兄は、その程度の兄に過ぎません。

 

    いわんや、兄が、弟の体に取り憑いて、
    小学生の前に現れ、小学生を昂ぶらせる。
    果して、これは、成熟した魂の行うことか、
    良く考えてみれば、良く解かると思われます。

 

    とはいえ、弟たる小学生から見るなら、
    兄たる高校生は、大人も同然に見えます。
    高校生と社会人の、歴然の差が解るまでは、
    誤まりを恐れず、素直に信じても構いません。

 

アヤベ それでは、成人した兄なら、どうしますか?

 

マコト 小学生として、小学生の中に生まれて、
    小学生として生き、良き手本を示します。
    決して、私の前世は、大人でしたと言って、
    小学生の気を引こうと、別格には立ちません。

 

アヤベ どうして、このような事態になるのですか?

 

マコト 悔い改め、小学生が中学生になるとき、
    悔い改めて、高校生は大学生になります。
    この時代、我々と同様に、高次元の存在も、
    育て方の過ちから、学ぶ必要があるからです。

 

アヤベ 高次元の存在は、自信満々に助言してきます。

 

マコト 人が学ぶべきは、欲による無智であり、
    天人が学ぶべきは、慢による無智である。
    即ち、類が友を呼び、目的が一致する故に、
    現代の地球に縁が生じて、共に学んでいます。

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