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物語編

第五章 第二四話 問答編

マサシ 冒涜(ボウトク)とは、どういうものですか?

 

アキラ 冒涜は、苦しいことも、楽しいことも、
    内から湧き上がる、実感を否定すること。
    たとえ、悪いことでも、否定してしまうと、
    過ちから、学べないため、悔い改められない。

 

マサシ 崇拝(スウハイ)とは、どういうものですか?

 

アキラ 崇拝は、楽しいことも、苦しいことも、
    内から湧き上がる、実感を肯定すること。
    たとえ、悪いことでも、肯定してしまえば、
    過ちから、学びとるため、後に活かせられる。

 


 

フカヤ どうして、世界の情勢を、説かないのですか?

 

マコト もし、私の目の前に、神が姿を現して、
    空から、宝を取り出し、授けてくれたら、
    私は、それを神から、有り難く頂きますが、
    後から、未だ、小学生かと、深く反省します。

 

    もし、私の目の前に、神が姿を現して、
    世界の、情勢について、解いてくれたら、
    私は、それを神から、有り難く頂きますが、
    後から、未だ、中学生かと、深く反省します。

 

    もし、私の目の前に、神が姿を現して、
    世界の、行末について、預けてくれたら、
    私は、それを神から、有り難く頂きますが、
    後から、未だ、高校生かと、深く反省します。

 

    もし、私の目の前に、神が姿を現して、
    宇宙の、仕組について、説いてくれたら、
    私は、それを神から、有り難く頂きますが、
    後から、未だ、大学生かと、深く反省します。

 

    もし、私の目の前に、神が姿を現して、
    近づき過ぎる事も、離れ過ぎる事もなく、
    神と共に在ることを、神が許してくれたら、
    一人前の、菩薩になれたと、深く感謝します。

 

    彼方が、奇跡や預言を、望むのならば、
    それらを、担当する型に、従うべきです。
    ここは、真我が直々に、菩薩を育成する型。
    故に、招かれるのは、大学生以上と言えます。

 

フカヤ どうして、神様から、宝石を貰ったり、
    情報開示や、預言を受けたりすることが、
    そんなに、低い段階なのか、解かりません。

 

マコト 神が居られるのに、他に何が要るのか。
    神を悟れば、弾けんばかり歓喜しかなく、
    宝石は言うに及ばず、真理さえ要りません。
    目の前の神を忘れ、宝を取り合うは滑稽です。

 


 

ネムロ 私は、〇〇さんを信じて、応援しています。

 

マコト ここは、内なる神に臨む、神の社です。
    神の家で、偶像崇拝を、声高に宣言する。
    確かに、意義深いですが、無智も深いです。
    ここでは、内なる神に、静かに臨んで下さい。

 

ネムロ もちろん、あなたのことも、信じていますよ。

 

マコト いいえ、〇〇に、何が入っていようと、
    ここでは、如何なる偶像も、要りません。
    ここに、あなたが求める、神様は居ません。
    ですから、奥に立ち入らず、通り抜け下さい。

 


 

ミカワ 天空に、〇〇の姿が、現れたようですが。

 

マコト これより、様々な奇跡が、現れますが、
    それら、天空の奇異に、心を奪われると、
    善と悪の、天人の戦いに、巻き込まれます。
    最終戦争は、様々な次元で、執り行われます。

 

    もし、天人に倣う、形に為りたいなら、
    外なる神を望み、天に魅入ったら良いし、
    もし、天人を越す、型に成りたいのならば、 
    内なる神に臨み、天に見せていれば良いです。

 

    救いの主が、前者の方を、誘っていて、
    悟りの場では、後者の方を、導いてます。
    あなたの興奮に、寄り添ってくれる存在は、
    〇〇当人ですから、そちらに向かって下さい。

 

    ここでは、悟りの道を司っているため、
    申し訳ないです、水を差してしまいます。
    奇異に、神を認めるのは、天魔の道であり、
    目の前に、神を認めるのが、仏陀の道ですと。

 


 

セッツ 〇〇さんが、説く教えは、正しいですか?

 

マコト 経営者、政治家、芸能人、情報発信者。
    現在、顔を出して、表に現れている存在。
    その九分九厘が、人類を堕落に誘っていて、
    その一厘ばかりが、人々を更生に導いてます。

 

    この期に及んで、外に偶像を望む者は、
    彼らに巻き込まれ、地獄に落とされます。
    その罪状とは、度重なる忠告にも拘わらず、
    外なる神に、内なる神を売り渡したことです。

 

    たとえ、救世主だろうと、例外でなく、
    救世主は、外なる神を、地獄に堕として、
    自らを、外なる神とした、信者も落します。
    無垢な信者は、天獄ですが、獄に変りません。

 

    従って、それに対する、一厘の正解は、
    本分に勤めて、自分の現実を称えること。
    このように、説いている存在は本物ですが、
    それでも、信じてしまうと掬われるだけです。

 


 

ウゴ  次の時代に、英雄は登場しないのですか?

 

マコト 神示の予告通り、審判が始まりました。
    神と人の間に入り、偶像を演じた者達は、
    罪の軽い者から順に、獄に堕ちて逝きます。
    罪の重い者ほど、長く存えて、罪を重ねます。

 

    人間にせよ、天人にせよ、偶像の中で、
    良心から、世の為を思って、演じた者は、
    たとえ、獄に堕ちても、苦悩は在りません。
    本心から、悔い改めれば、元の界に還ります。

 

    善役にせよ、悪役にせよ、偶像の中で、
    自我から、世の為を装って、演じた者は、
    たとえ、善を演じても、容赦は有りません。
    本心から、罪を見とめず、地の獄に填ります。

 

    弥勒の世は、神と人が、一対一であり、
    その間に、如何なる者も、這入れません。
    たとえ、救い主であろうと、心に巣食えば、
    新時代が、到来する前に、処分が下されます。

 


 

イキ  神と人の間に入ることは、悪いことですか?

 

マコト 他の惑星の魂に、干渉してはならない。
    干渉したいならば、現地に生まれること。
    この天の教えは、究めて基本の教えとして、
    天人の界に於いて、解かれて守られています。

 

    しかし、意識的にせよ、無意識にせよ、
    この教えを破棄する、天人が存在します。
    多様な理屈を捏ね、彼らは取り繕いますが、
    一様に欲に流されて、天部の法を犯してます。

 

    一方、外を知らない、人類に対しては、
    偶像の禁止として、教えが説かれました。
    にもかかわらず、天人の不法に巻き込まれ、
    九分九厘の人類が、偶像に身命を奉げてます。

 

    この末法の破壊ため、贈られた者こそ、
    最後にして最高の偶像、今の救世主です。
    天地を平らげる様に、偶像を破壊し尽くし、
    その罪を背負って、自ら壊され神に還ります。

 


 

ブンゴ 魔に操られる、偽者の特徴を、教えて下さい。

 

マコト 弥勒の世には、我と神の間に入り込む、
    如何なる偶像も、存在が認められません。
    その時の地球には、天人と呼ばれる善人と、
    彼らに悟りを教える、真理が残るばかりです。

 

    従って、次の時代に、人々を誘うため、
    顔を出したり、名を売ったりするものは、
    預言者を名乗ろうと、異星人を名乗ろうと、
    魔逆に誘っている、魔の使いに他なりません。

 

    彼らは、知恵なき故に、魔に使われて、
    死の間際、魔に遣われた、我を省みます。
    天人に仕えたつもりが、天魔に閊えていて、
    後悔と信者と絶望を抱え、地獄に落されます。

 

    外の魔を望むならば、神が遠い世界に。
    内なる神に臨むならば、神に近い世界に。
    誰もが、自らの行き先を、自ら決めてます。
    使い魔は、自らを売り出し、他を集めてます。

 


 

ブンゴ 魔が人を操る、具体的な法を、教えて下さい。

 

マコト 強制すれば、自分の責任に為りますが、
    任意にすれば、相手の責任に成るために、
    悪魔は、決して、選択を迫ろうとしません。
    誘導して、自身で、魔を選ばせようとします。

 

    表に出れば、自分の責任に為りますが、
    裏方に回れば、相手の責任に成るために、
    悪魔は、断じて、自身が出ようとしません。
    必ず、子分を使い、信者を増やそうとします。

 

    Aだけ具えると、Bに逃げられますが、
    非Aまで備えると、Bに逃げられません。
    悪魔は、Aを訴えて、Aに誘いはしません。
    必ず、非Aも訴え、Aの対立に巻き込みます。

 

    信じるも、信じないも、彼方次第です。
    このような、言い回しを、愛好する者は、
    背後には、魔が憑いて、使役されています。
    彼ら自身も、他の選択が、見えない状態です。

 


 

ブゼン 大物が、表に出ないのは、どうしてですか?

 

マコト 大役を任されている、使者であるほど、
    自らに課された使命が、畏れ多いことを、
    失敗が赦されないことを、弁えるからです。
    大役に相応しい分別と、自制を具えています。

 

    小者は、顔出しや、名乗りを好みます。
    中身が無いから、外見を装うだけであり、
    些細な内容ゆえに、僥倖が有ることを望み、
    自らの責任を越えて、使命を抱こうとします。

 

    大物は、顔出しや、名乗りを拒みます。
    中身が有るため、外見を装うことがなく、
    重要な内容ゆえに、偶然が入ることを避け、
    自らの責任で負える、使命を擁こうとします。

 

    実際、最大である、神は名乗りません。
    中身が在るため、外見を装うことがなく、
    大事な内容ゆえに、自然に在ることに臨み、
    自らの責任で負える、生命を宿そうとします。

 

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