第五章 第二五話 問答編
マサシ 邪霊(ジャレイ)とは、どういうものですか?
アキラ 邪霊とは、言行が乖離する者に憑いて、
言霊の力を弱めて、邪魔をする霊のこと。
邪霊に憑かれるほど、因果が解り難くなり、
次第に、良い物を悪く、悪い物を良く感じる。
マサシ 聖霊(セイレイ)とは、どういうものですか?
アキラ 聖霊とは、言行が一致する者を護って、
言霊の力を強めて、守護をする霊のこと。
聖霊に護られるほど、因果が解り易くなり、
次第に、良い物を良く、悪い物を悪く感じる。
ナリタ 密教を解いて、時空警察に捕まりませんか?
マコト この地は、時空警察処ではありません。
真我は勿論、567や666が祭られて、
参拝する者の、心の奥底まで守っています。
そして、それ相応たる、未来を授けています。
つまり、真理の教えを、自我に使えば、
その魂は、666の配下、天獄に誘われ、
反対に、真理の教えを、真我に遣うならば、
その魂は、567の菩薩、浄土に導かれます。
ナリタ では、好奇心から、真理を知ろうとしたり、
利のために、明かしたら、罰が当たりますか?
マコト いえ、いつの時代も、真理が現れると、
自我のために使う者も、同時に現れます。
その者が居なければ、666が潰えるため、
即座に裁かれる事なく、666に遣われます。
ナリタ つまり、魔に堕ちるか、神に上がるのか、
ここでは、いつも、試されているのですか?
マコト ここに限ったこと、ではありませんが、
真理が解かれるだけ、真剣に試されます。
つまり、知らなかったでは、済まされない、
自業自得が、襲い掛かる、最終審判の地です。
イルマ 知らずに、ワクチンを打ってしまいました。
前もって知っていれば、打ちませんでしたが。
マコト 今のように、無智な状態が続くならば、
落第であると、教えられたに過ぎません。
あなたが、これを契機に、悔い改めるなら、
必ず、許されて、挽回の機会が与えられます。
このような判定が、今後も続きますが、
良い判定を得ることが、その目的でなく、
正しく生きることが、その目的であるため、
対策は真理に限り、結果は後出しに限ります。
イルマ 預言を研究して、同じ過ちを犯しません。
マコト 預言を解釈して、試験の山を張ったり、
神や仏に祈願して、裏口の門を尋ねたり、
小手先の対策は、内なる神に通用しません。
門前払いを喰らい、その時点で落第確定です。
トギツ 医師の勧めもあり、打ちませんでした。
正しい見解を聴けて、幸運に感謝します。
マコト 外なる師を望み、内なる神に臨まない。
そのような態度を、今後も押し通すなら、
残念ですが、次回は、落第に為るでしょう。
真理を読めば、最低な感想と気づくはずです。
トギツ わたしには、持病があるので幸いしました。
今回ほど、持病に感謝したことはありません。
マコト 外なる病に頼り、内なる神に依らない。
そのような態度を、今後も押し通すなら、
残酷ですが、次回は、門前払いと為ります。
真理を読めば、最悪な感想と気づくはずです。
繰り返しますが、病気では在りません。
外に頼ろうとして、内に依ろうとしない、
あなたの弱さが、病気を作り出しています。
宗教を止めようと、その悪癖は残っています。
トヨネ 最後の審判が、始まっているのですか?
マコト 神が、魔を遣って、先に延すことなく、
全てを、解き明かす、局面に入りました。
神の計画、総て明かしたものが、真理です。
ここで、悟れなければ、この先は在りません。
真の姿が、怖ろしく、近づけないなら、
外に逃げて、魔を開け、忘れることです。
真の相に、畏れながらも、近づきたいなら、
内に挑んで、魔を越え、覚めていくことです。
トヨネ もし、魔を開けると、どうなりますか?
マコト 欲界が壊れて、虚空に消え去った後に、
他の世界にある、欲界に生まれ変ります。
善趣と悪趣を巡る、長きに渡る輪廻の末に、
現在と同じ立場、最終の判決を負わされます。
トヨネ もし、魔を越えると、どうなりますか?
マコト 欲界が壊れて、虚空に消え去った後に、
上の次元である、色界に生まれ変ります。
輪廻と涅槃を廻る、長きに渡る済度の末に、
過去と別の立場、真相の解決を負わされます。
シミズ 外に書かれている、真理を修めなくても、
内なる良心に従えば、良いではないですか?
マコト 豪華客船が、真っ二つに別れて沈んだ、
実話に基づく、有名な映画が有りますが、
あの映画は、欲界の崩壊が見事に解かれた、
審判に向かう、人類に授けた、神の啓示です。
多種多様な、人間の姿が描かれますが、
どの人も、良くに従がって動いています。
彼らは、船に穴が開き、終末が近づくほど、
良くが研ぎ澄まされ、本心が抉り出されます。
上流階級にしても、下流階級にしても、
周りと競い合う、良くに従っていた者は、
たとえ、映画の中で、生き延びたにしても、
この次は、下層として、客船に載せられます。
一等乗客にしても、三等乗客にしても、
周りと助け合う、良くに従っていた者は、
たとえ、映画の中で、死に絶えたとしても、
この次は、上層として、客船に乗せられます。
一方、阿鼻叫喚の中、人々を癒すため、
曲を奏で続けた、数名の奏者が居ました。
唯一、彼らだけが、内なる神の御心に従い、
二度と、乗船しない、神上がりを果してます。
勇者の姿に、魂が打ち奮えているなら、
あなたは、内なる真我に従がっています。
窮地の姿に、心が打ち震えているだけなら、
あなたは、外なる自我に順っているだけです。
シミズ 奏者が、他の者と異なる点は、何ですか?
マコト 地獄の中で、生に感謝している点です。
「今夜、諸君と演奏が出来、光栄に思う」
この台詞に、魂が奮えるなら、すでに菩薩。
もはや、良心に従えば、真理に順っています。
シミズ 皆の為に、神に祈っていた型は、どうですか?
マコト 次は、船長として、乗船するでしょう。
神に頼っていて、己に依っていないこと。
信仰に懸けていて、感謝が欠けていること。
次は、これらの点が、最終審判で問われます。