第五章 神の子降臨 エルサレム編 あらすじ
救世主は、智徳に対し、救済計画について語る。
欲界(地獄・動物・餓鬼・人間・修羅・天界)と、
色界の梵天(欲界の創造神、慈愛の世界)だけ説く。
全体を説かずに、部分だけ解くことになるから、
これを信じる者は、当然の如く偏るようになるが、
今回の救済に限れば、それで善いと、救世主は言う。
今回の命は、人類を牡羊座から魚座に導くこと。
人々は一度偏った上で、二千年後に時が満ちたら、
魚座から水瓶座に導かれ、真理に還れば良いと言う。
智徳は、疑問を感じながらも、救世主を信じて、
主から与えられた役目を、忠実に演じようとする。
真の信仰とは、我を忘れて、神を信じることだった。
主が、最初に与えた役は、預言者モーセだった。
神の子(絶対善)が現れたと、彼が説き明かすと、
あるはずのない絶対善を求めて、人々は偏り始めた。
一方、真理(マリア)も、同じ使命を授かった。
疑念無き、実感(聖霊)を伴う言葉は実体化して、
真理に集まった多くの民は、救世主の信者になった。
主が、次に与えた役とは、洗礼者ヨハネだった。
先例を与える者として、人々の型(模範)となり、
主(天)と王(地)を会わせるよう、智徳に命じた。
王(法徳)は、主が現れるまで、天に代わって、
神殿を作る石工(メーソン)として君臨していた。
智徳が現われると、誰にも明かしたことがない、
支配者(イルミナティ)の胸の内を解き明かした。
地獄の底から、人類を支えて来た、二十年を語った。
宗教と科学を与えようと、迷信と盲信に変えて、
自由と平等を与えても、不自由と不平等に換える、
なかなか学ばない人類に、歯痒い想いを抱いていた。
それでも諦めずに、九分九厘の仕組を整えたが、
残る一厘の仕組が解らず、救世主を待望していた。
イシヤの仕組と、メシアの仕組が、引き合わされる。
九分九厘の仕組と、残る一厘の仕組が合わさり、
十分の仕組(真理の御霊)になる、刻が近づいた。
人類が見守る中、主(イエス)が神殿の玉座に昇る。
「汝らは、選民ではない、マムシの子である」
主の口から出た言葉は、人々の予想を超えていた。
それに、智徳が躓き、法徳が躓いて、選民が躓いた。
智徳が主に「王に会わせる顔がない」と言うと、
法徳が智徳に「民に会わせる顔がない」と言った。
最後の仕掛けによって、一切の仕組が打ち壊された。
主が、最後に与えた役は、裏切りのユダだった。
法徳(イシヤ)は、ユダヤ(選民)の型に躓いた。
汝が、ユダヤの型として、王の命を奉げよと命じた。
「『最愛の弟子を屠れ』とは、本当に救世主か!」
これを機に、積み重なった、疑念が噴き出した。
玄徳は救世主を裏切って、古い弟子を呼び集めた。
月の出る夜に、最後の使徒(ムハンマド)が現れる。
法徳(ユダヤ)、主(キリスト)、智徳(イスラム)
こうして、三者三様、同じ神から別れた善と善は、
最善を懸けて、実に最悪な、最終戦争へと導かれる。