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物語編

第六章 第一話 問答編

マサシ 業(カルマ)とは、どういうものですか?

 

アキラ 業は、因と果に塗れる、因と果であり、
    梵語で、「カルマ」とも、呼ばれるもの。
    投射業は、時間を繰り返す、カルマであり、
    反射業とは、空間に跳ね返る、カルマである。

 

マサシ 投射業(トウシャゴウ)とは、何ですか?

 

アキラ 投射業は、カルマの時間の現れであり、
    前に為したことを、後にも為されること。
    左の道を選んだとき、左の道を択びやすく、
    右の道を択んだときは、右の道を選びやすい。

 

マサシ 反射業(ハンシャゴウ)とは、何ですか?

 

アキラ 反射業は、カルマの空間の現れであり、
    他に報いたことが、自らに酬われること。
    左の道を選ばせると、左の道を択ばされて、
    右の道を択ばせるとき、右の道を選ばされる。

 


 

イズモ この先、天人と関わることになるのですか?

 

マコト 天人が顕われると、天魔も現われます。
    即ち、善悪二元論で、世界を捕えるなら、
    天人に、教わる代わり、天魔に襲われます。
    魔が、現実の存在として、干渉をしてきます。

 

    天人が喪われると、天魔も失われます。
    即ち、空の一元論で、世界を捉えるなら、
    善悪が、消える代わり、空性が現われます。
    魔は、空想の産物として、観照するだけです。

 

    これから、ますます、道が別れていき、
    各々が、望みたい物に、臨んで生きます。
    人が、何を観照して、何に干渉されるのか、
    同じ地上に住みながら、全く異なって来ます。

 

    この神の社では、後者の道を解くため、
    幽霊は勿論のこと、天も魔も寄れません。
    彼らは知恵に応じて、この地を見守ります。
    不干渉の原則とは、守れば護られる仕組です。

 


 

マツエ 天人の師になるとは、どういうことですか?

 

マコト 確かに、天人は、科学や霊性に優れて、
    人間より、進化した存在と考えられます。
    しかし、見たいものしか、見てないという、
    深過ぎる、闇に覆われ、神を悟っていません。

 

    天人は、熱心に、神を探し続けますが、
    彼らの進む先には、神は決して顕われず、
    いずれ、立ち現れるものは、進化の袋小路。
    天人が戦い続けた、天魔の姿に他なりません。

 

    地獄に堕ちていく、天人を救うために、
    無言に徹する正神は、良き型を贈ります。
    即ち、地上に送られた、菩薩が欲を超えて、
    人にも、天の人にも、欲界の出口を示します。

 

    たとえ、人に知られず、神を悟ろうと、
    あなたが、真理を悟って、欲を越えれば、
    人の師にも、天人の師にも、成るわけです。
    真我を介して、宇宙の遍くに、伝えられます。

 


 

ヨナゴ 「死を覚悟する」とは、比喩でしょうか?

 

マコト 菩薩が生まれる、神社を掃除すること。
    私は、この使命に、生命を懸けています。
    実際に、半年に一度、死を試されるに加え、
    日頃から、我を出せば、警告なく即退場です。

 

    とはいえ、悲壮感は、全く在りません。
    死を以って、菩提心を、試されている間、
    平常より、真我を観じて、歓喜が生じます。
    そして、浄化の涙が乾けば、気分一新します。

 

    さらには、焦燥感も、全く有りません。
    確かに、生命を懸けて、努めていますが、
    いつ、取り上げられても、納得が生じます。
    つまり、神に授かった命に、執着が無いです。

 

    この覚悟が無い、菩薩は在り得ません。
    我が生のため、教えを説く者は偽物です。
    自己実現の者が、九分九厘を占めてますが、
    一厘だけ、命懸けの本物が、遣わされてます。

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