第六章 第二八話 問答編
マサシ 羅漢(ラカン)とは、どういうものですか?
アキラ 羅漢は、小乗を修めた、目覚めしもの。
梵語では、アルハットと、呼ばれるもの。
その語意は、「供養に値するもの」であり、
如来の十号の、一つとして、取り上げられる。
マサシ 世尊(セソン)とは、どういうものですか?
アキラ 世尊は、大乗を修めた、目覚めしもの。
梵語では、バガヴァンと、呼ばれるもの。
その語意は、「幸運を有するもの」であり、
如来の十号の、一つとして、取り上げられる。
イワテ 有り難いことを、教わったにもかかわらず、
恥かしい事ですが、直ぐに忘れてしまいます。
マコト 真理とは、自我を越え、真我に至る道。
ここに、納められている、真理の教えを、
漏らさず、修められるなら、完膚なきまで、
自我が、打ちのめされて、真我が蘇えります。
自身が消え失せる、運命に恐れ慄いて、
あらゆる策を講じて、自我は邪魔します。
例えば、読み始めると、眠ってしまったり。
ようやく、読み終えても、忘れてしまったり。
これは、未だ可愛くて、自我が汚れて、
酷い場合、周りを動かし、邪魔をします。
例えば、読み始めると、誰か訪ねて来たり。
ようやく、読み終えると、他が挑んで来たり。
いつも、自我を選ぶか、真我を択ぶか。
この地に、招かれた人は、試されてます。
悪魔として、我と神の間に、他我を入れず、
ひたすら、我を悔い改めれば、神が甦ります。
イズモ 真実を明かせば、邪魔が入りませんか?
マコト 真理という、核心を突く教えになると、
天魔の本心を、代弁するようなものです。
知恵を見とめて、守護こそしてくれますが、
智慧を試すために、邪魔することはないです。
とはいえ、最後の審判の最中に於いて、
世の人々に、真理の教えを伝える行為は、
試験の最中に、解答を配るが如き所業です。
その全ては、試験の主催者に観られています。
万が一、ここで特別に教わった正解を、
得意げに、他所の会場で吹聴しようなら、
試験官である、天魔が漏らさず捕まえます。
暫らく放置して、不正者を集め退出させます。
一方で、ここで不正が行われていると、
試験中に、総監督に報告した方が居ます。
しかし、当然ですが、主も了承しています。
総監督を、煩わせると、大学には進めません。
イズモ 総監督に言うと、大学に進めないのですか?
マコト 恰かも、黙想の時間に先生に向かって、
〇〇君が、目を開けてますと言うように、
試験の時間に、試験の総監督に歩み寄って、
他の不正を言うのは、自ら不正を犯してます。
この地で、解答を配布していることは、
主催者側の、試験監督は解っていますが、
彼の者たちは、筆記試験を終えているとは、
公然には言えず、総監督を煩わせるだけです。
仕方なく、汝の為すべきことを成せと、
席に戻して、試験に集中させるでしょう。
この様に、試験の意義や段階を踏まえない、
小学生達は、天人である中学生を目指します。
一方、もう何度も、受験の経験があり、
筆記試験に受かって、実技試験に入った、
ここに集められた、因縁が深い受験生達は、
主を煩わせずに、羅漢である大学を志します。
イズモ 最終試験の合格点とは、どういうものですか?
マコト 人類は漏れなく、最終の試験によって、
次の行き先を、自ら決める事に為ります。
不合格の場合は、試験の途中で退場となり、
人間界には戻れず、地獄界に堕ちて逝きます。
総監督に逢って、老師であると気づき、
一字一句を違えず、解を教わろうとする。
退席を恐れて、途中で退場しなかった者は、
小学生から、中学生である天人に合格します。
試験に備えて、充分に勉めてきたため、
会場に貼られた、解答を見て正解と分り、
神意を観じて、懸命に修得し実践した者は、
小学生から、大学生である羅漢に合格します。
何も知らないまま、会場に送り込まれ、
誰にも教わらず、自ら考えて趣旨を悟り、
神命に従って、模範となる解を示した者は、
小学生から、社会人である菩薩に合格します。