第六章 第三十話 問答編
マサシ 無余(ムヨ)とは、どういうものですか?
アキラ 無余は、体が無い条件で解脱すること。
梵語では、アヌパーディセーサ、である。
無余涅槃は、死後に涅槃に至ることであり、
肉体が無い状態は、束縛が少なく解脱し易い。
マサシ 有余(ウヨ)とは、どういうものですか?
アキラ 有余は、体が有る条件で解脱すること。
梵語では、サウパーディセーサ、である。
有余涅槃は、生前に涅槃に至ることであり、
肉体が有る状態は、束縛が多くて解脱し難い。
ノス どうして、こちらは、静かなのですか?
マコト 喩えるならば、この神社は外宮であり、
内宮は別に、大いなる型が務めています。
そこには既に、救いを求める人々が集まり、
大いに救われて、おかげ横丁が賑わってます。
そのおかげで、こちらは外宮の本分を、
悟り得た者だけ、集められる仕組みです。
厳しい神の言、それ以外には何も無いため、
祈願や観光では、立ち寄る事は在り得ません。
ですから、この神社の、奥深くにまで、
何度も、繰り返して、招かれている人は、
厳しい神、直々に、神に導かれている事を、
有り難く感じて、真剣に修めて頂きたいです。
あなた方の中から、弥勒菩薩が現れて、
人々の型となり、弥勒の世を築くことを、
厳格なる神は、強く静かに見守っています。
菩薩の現れない、弥勒の世は、天魔の宴です。
チクゴ 日々、仕事以外は、真理を読んでます。
執着が消え去り、心が落ち着いています。
世間の報道に、興味が湧かなくなりました。
病気にも罹らず、別世界に住んでいる様です。
マコト 感染症、食糧問題、宗教戦争、無秩序。
大峠の試練は、人類の改心が目的であり、
自ら進んで、悔い改め、進化が出来るなら、
大峠に巻き込まれず、弥勒の世に向かいます。
この先、人の本性が、剥き出しになり、
各自、望んでいる物に、臨んで行きます。
行きは良い、帰りは怖い、仕掛に嵌まらず、
このまま、真理を悟り、弥勒に至って下さい。
チクゴ 何か特別な、悟った体験をしていません。
マコト 悟った体験の裏に、酔った体験があり、
奇異を証とするのは、不自然な悟りです。
Aと非Aが、等しく見えれば、悟りであり、
本当の悟りは、自然であり、奇異は無いです。
アワジ 天使の世界は、どのような世界ですか?
マコト 天使の世界とは、魂の青春時代であり、
自分が幸せだから、他人も幸せにしたい。
誰もが幸せになれる、絶対の善が存在する。
そんな天使長の理想に、取り憑かれた界です。
しかし、実際は、真逆に為っています。
天国を楽しむから、地獄で苦しめられる。
すべての存在が、同時には天国に止まれず、
誰かが天に昇ると、誰かが地に堕ちてしまう。
天人と呼ばれる、中学生の頃までなら、
山の麓に近いため、余裕が残っています。
麓の方から順に、新しい天使が現われると、
一緒に登ろうかと、期待を膨らませています。
天魔と呼ばれる、高校生の頃になると、
山の頂に近いため、限界が見えてきます。
頂の方から順に、古い天使が消えていくと、
何処に逝ったのか、不安を覚えてしまいます。
スルガ 人類を創造したものは、宇宙人ですか?
マコト 例えると、宇宙人を知らない地球人は、
地球に限る、世界観しか持ち得ないため、
人類の起源を、類人猿の自然進化であると、
地球で完結する、幻想を描くしかありません。
同じ様に、創造主を知らない宇宙人は、
欲界に限る、世界観しか持ち得ないため、
人類の起源を、宇宙人の遺伝操作であると、
欲界で完結する、現実を辿るしかありません。
つまり、進化論を信じている地球人を、
宇宙人が、無知にも程があると嘆くよう、
自由意志を、持っていると信じる宇宙人を、
創造主は、無智にも程があると歎いています。
確かに、欲界の現象だけを辿るならば、
宇宙人が、操作しているかもしれません。
実際は、神の意思に従っているだけであり、
悪者に見えても、天使として働いただけです。
イズ 宇宙人から、光になれと教わりました。
マコト 天人には、陽極を司る、光の宇宙人と、
その裏、陰極を司る、闇の宇宙人があり、
地球人は、闇の天人に、支配を受けていて、
不憫に思う、光の天人が、支援に来ています。
ある次元以上、闇が上れないのを見て、
光の天人は、闇の支配を受けない為には、
闇を退かせて、光に進みなさいと説きます。
それこそが、人類の救いであると思うのです。
天人に誘われ、欲天に生まれた人々は、
光の世界に、神が居ない事に気づきます。
先輩の天人に、何処に居られるか尋ねても、
誰も知らないと、行き止りの答えが返ります。
その次元以上、光が上れないのを見て、
空の菩薩は、光の支障を来さない為には、
闇を見とめて、神を悟りなさいと解きます。
それこそが、天人の救いであると想うのです。