第六章 第三一話 問答編
マサシ 平安(ヘイアン)は、どういうものですか?
アキラ 平安は、精神における、安らぎである。
梵語では、シャンティと、呼ばれるもの。
煩悩の平安は、外に望んで、崩れ去るもの。
菩提の平安とは、内に臨んで、湧き上るもの。
マサシ 安定(アンテイ)は、どういうものですか?
アキラ 安定とは、相対的な平安のことであり、
裏に不安がある、不安でない平安である。
煩悩による平安は、尽きることが有るため、
絶えず不安が過ぎり、外に安定を求めている。
マサシ 安心(アンシン)は、どういうものですか?
アキラ 安心とは、絶対的な平安のことであり、
裏に不安がない、不安のない平安である。
菩提による平安は、尽きることが無いため、
絶えず歓喜が湧いて、内の安心を認めている。
ホコタ 最近、天候を操れるようになりました。
マコト 雨にも勝ち、風にも勝つは、天人です。
雨にも負けず、風に負けずが、菩薩です。
もし、あなたが、異能の才に囚われるなら、
外なる魔に捕われて、内なる神を悟れません。
ホコタ 異能の力が具わることは、証に為りませんか?
マコト 例えば、目が見える事を、証と捉えず、
人は、霊が見える事を、証と捕らえます。
現実を、神の軌跡として、臨むべきなのに、
非現実を、神の奇跡として、望むばかりです。
あなたが、地に生きる、命を尊ばずに、
他と異なる、天を操れる、才を貴ぶのは、
差を取ることでなく、差を喜ぶことであり、
悟りからは、遠く掛け離れた、天人の証です。
サガ 私には、証がないのですが、大丈夫ですか?
マコト 天人を望む者は、証が授けられますが、
内の神に臨む者は、証は与えられません。
前者は、徴が必要だから、授けられていて、
後者には、験が不要だから、与えられません。
サガ 瞑想中に、仏や神を見る必要はないのですか?
マコト たとえ、内なる世界に、仏が見えても、
姿として、見えて居れば、外なる物です。
従って、非凡な証を求める、必要などなく、
神は、平凡な自身の中にこそ、現れています。