第二章 乱世の奸雄 諸子百家編 あらすじ
主人公が、老子(道教)の草庵から出て来ると、
指揮官(曹操)が見つけ、主人公の目を確かめる。
曇らされた目を見とめ、「おまえもか」と失望する。
主人公は、老子(道家)を助けたくて仕方ない。
法家の上に儒家があって、儒家の上に道家がある。
老子は道家だから、法律では裁けないと、弁護する。
法家は法で律するもの、儒家は仁で容れるもの、
道家は在りのままのもの、と、彼は道理を説くが、
指揮官は、彼の理屈を、そのまま使って、反論する。
もし、道家が、法家や儒家を上回るのであれば、
老子が、法を受け容れ、在りのままであることが、
正真正銘、老子が、道家である証しではないのかと。
指揮官は、彼に理で打ち勝ち、情けまで掛ける。
お前は優秀だ、過ちを改めれば、家臣に迎えよう。
まだ、屁理屈を捏ねるなら、道化として処刑すると。
自分の論をして、師を死に追いやってしまった。
善を突き詰めると、悪に移り変わる、理の仕掛に、
万策(欲)が尽きた、主人公は逃げ出してしまった。
場面が変わり、気が付くと、大地に倒れていた。
すべてを見ていたという、男(智徳)が現われて、
助け上げると、主人公と孟徳の関係を説明し始めた。
主人公と法徳は、陰と陽、表と裏の関係であり、
敵や味方になって、人の世に現れて歴史を紡ぐが、
現時点、主人公は未熟過ぎて、法徳に遥か及ばない。
法徳に、法の戦いである、理の勝負でも負けて、
ついでに、儒の闘いである、器の勝負でも負けた。
この圧倒的な差を埋めるため、智徳は現れたと言う。
法徳は、法家の怪物として、畏れられているが、
仁を説かず、仁を垂れて、儒家よりも儒家らしく、
道を説かずも、道に遊んで、道家よりも道家らしい。
法家であり、儒家であり、道家でもある法徳は、
英雄は英雄を知る、誰よりも、老子を認めていた。
世間のために、老子の才を用いたいと、臨んでいた。
しかし、三度、草庵を訪ねても、門前払いされ、
「隠者を気取り、世に仕えない才は罪である」と、
君子は豹変す、今までとは、正反対の処断を決めた。
何故、老子(孔明)が、彼の誘いを断ったのか。
それは、他でもない法徳のためだと、智徳は言う。
君に、老子が託した使命を果せば、その理由が解る。
その理由を知りたいか、その使命を果したいか。
もし、与えられた使命を、君が果たさないときは、
私が果たすことになっていると、智徳は彼に言った。
「その使命を果す気があるか」と彼が尋ねると、
「その使命を果たす気がある」と彼は答えていた。
厳かに玄徳が明かした使命は「命を奉げよ」だった。
法徳と同じことを言った、智徳は回し者なのか。
急激に不信感が湧き上がり、感情が暴走し始める。
落ち着けと止める玄徳の腹を、剣で鋭く突き刺した。
流血が著しく、見る見る内に、体が萎んで行った。
なんと、智徳の死に顔は、老子の顔そのものだった。