第六章 第三六話 問答編
マサシ 埋蔵経(マイゾウキョウ)は、何ですか?
アキラ 埋蔵経とは、隠された、経典群のこと。
梵語では、テルマと、呼ばれているもの。
深い教えは、世の人が、経験を重ねるまで、
仕組が全て整うまで、共有意識に隠れている。
マサシ 業(ゴウ)とは、どういうものですか?
アキラ 業とは、条件と乖離する、因果のこと。
梵語では、カルマと、呼ばれているもの。
たとえ、ある時代には、ダルマであっても、
時代が下れば、ダルマは、カルマとして腐る。
マサシ 法(ホウ)とは、どういうものですか?
アキラ 法とは、条件と合致する、因果のこと。
梵語では、ダルマと、呼ばれているもの。
たとえ、ある時代には、カルマであっても、
時期が来れば、カルマは、ダルマとして蘇る。
カガ 一通り、読み終え、振り返ってみると、
ひたすら、読み手を、悟らせようとして、
これでもか、これでもかと、叩き起こして、
必死に、呼び覚ます姿が、伝わって来ました。
マコト この神社は、殿を守る、出口ですから、
ここで悟れないと、どこでも悟れません。
その必死な姿は、輪廻に迷える自我を思う、
真我の慈悲の相であると、観じ取って下さい。
カガ しかし、途轍もなく、高度な教えですね。
救われる側でなく、救う側の教えですよね。
マコト 本来、色界の菩薩に、説く教えであり、
救済の舞台裏が、解き明かされています。
今回は、三千世界を巻き込む、救済であり、
厳重なる監視の元で、秘法が解かれています。
つまり、この教えに、歓喜できるなら、
その者は、間違いなく、菩薩と言えます。
九分九厘が、外に向って、彷徨い続ける中、
独り内に臨み、弥勒として、目覚めて下さい。
カガ 良く解かりますが、高度なことを解いても、
人々が着いて来れないと、意味がないのでは?
マコト 人類に、与えられた刻は、二十年です。
その間に、我々、人類は「人ならざる者」
弥勒菩薩に、進化を遂げないとなりません。
そこは変りませんから、ここでは歪めません。
サセボ ここの存在を、世に広めても良いですか?
マコト この神社に、奉納されている真理とは、
色界に於いて、菩薩が菩薩に解く法です。
歴史上、希少な例外を除き、人の世界では、
徹底的に、隠し通された法と、心得て下さい。
菩薩が、衆生に説く教えでもなければ、
ましてや、衆生が解く教えでもないです。
もし、あなたが、無邪気に秘法を明かせば、
勇者も、逃げ出す、菩薩の試練が始まります。
サセボ 希少な例外とは、どういうものでしたか?
マコト 人類史に於いて、雛型を創るときには、
この人間界に、菩薩が生まれて来ますが、
そのとき、一対一、口伝えで解かれました。
菩薩が菩薩に解くため、人界でも許されます。
サセボ どうして、今回は、赦されているのですか?
マコト いよいよ、人類が弥勒菩薩に進化する、
人類史の総決算、その時が近いからです。
因縁の御魂と呼ばれる、歴戦錬磨の菩薩は、
この時のために、永い間、仕組を整えました。
舞台裏を含め、その仕組を解き明かし、
弥勒の世に導く、使命を授かっています。
それゆえ、この神社に、呼ばれているのは、
他の何より、菩薩を志す、菩薩の型だけです。
ホウキ 最近、浮かれた気分が、吹き飛びました。
マコト この社に納められた、真理を修めると、
ここを治めている、正なる神に触れます。
譬えるなら、内宮ではなく、外宮ですから、
軽い気分では、決して奥には、招かれません。
現在の地球は、菩薩の誕生、待ちです。
菩薩の誕生なく、人類を裁いてしまえば、
存在意義が激減し、地球は終幕を迎えます。
それでは余りに残酷、可能な限り延してます。
喩えでなく、最難の試験に挑むように、
あなたが、無我夢中に真理を修めるなら、
厳かな神が、あなたを菩薩に鍛え上げます。
欲界随一、最高の難易度だと覚悟して下さい。
正神の天命で、人界に降りている型は、
全身全霊で、使命に務めているものです。
五十六億年を、残り十数年に縮める覚悟で、
正なる神に、向って行けるよう励みましょう。
ノト 真の芸術家とは、どのような人ですか?
マコト いつも内なる神と、共に生きて行ける。
この人の生とは、特に有り難いものです。
自分の人生を、芸術の作品であると捉えて、
感謝を重ね、日々に研く者が真の芸術家です。
何を為していても、何も成せなくても、
全く構いません、感謝が人生を磨きます。
たとえ、病の床で、苦しむ日々であっても、
そこで感謝できれば、稀なる作品になります。
むしろ、他の人が、進んでは倣えない、
悲惨な人生ほど、不朽の名作に成ります。
耐え難きに耐えて、忍び難きを忍ぶ者には、
傑作を見届けるため、神が傍で見守ってます。
欲で創れば、人々が歓ぶ作品が生じて、
感謝で造れば、神々が喜ぶ作品を招じる。
人の生を活かす、芸術家を神々は喜びます。
人の中に神を見る、芸術家を仏陀と呼びます。