第六章 第三七話 問答編
マサシ 三つの目的とは、どういうものですか?
アキラ 魂の生命の目的を、三つに分けたもの。
梵語では、トリ・ヴァルガと、呼ばれる。
その三つとは、義務、財産、性愛、であり、
それぞれ、ダルマ、アルタ、カーマ、である。
マサシ 四つの目的は、どういうものですか?
アキラ 魂の生命の目的を、四つに分けたもの。
梵語では、プルシャ・アルタと呼ばれる。
その四つとは、法、利、欲、解脱、であり、
ダルマ、アルタ、カーマ、モクシャ、である。
マサシ 欲(ヨク)は、どういうものですか?
アキラ 欲とは、人生の目的の、ひとつである。
梵語では、カーマと、呼ばれているもの。
性愛的な欲求や、芸術的な欲求に止まらず、
欲望が満たされる、食欲や娯楽や成功を含む。
マサシ 利(リ)とは、どういうものですか?
アキラ 利とは、人生の目的の、ひとつである。
梵語では、アルタと、呼ばれているもの。
現世で得られる、実利的な価値に止まらず、
現世で与えられる、名誉や権威や繁栄を含む。
マサシ 法(ホウ)は、どういうものですか?
アキラ 法とは、人生の目的の、ひとつである。
梵語では、ダルマと、呼ばれているもの。
宗教的な実践や、法則的な学習に止まらず、
自分に与えられた、義務や生業や学業を含む。
マサシ 解脱(ゲダツ)は、どういうものですか?
アキラ 解脱は、人生の目的の、ひとつである。
梵語では、モクシャ、呼ばれているもの。
輪廻的な解脱や、煩悩的な解脱に止まらず、
自ら縛るものから、自由や解放や放棄を含む。
ヒゴ 具体的に、私に出来ることは無いですか?
マコト 実際に、真理を修め、空性を悟ること。
苦の中で、空を観じて、楽に変えること。
平凡の中で、空を観じて、非凡を知ること。
享けた生命を、有り難いと、活かすことです。
確かに、菩薩として、降誕したときは、
個別の使命を受け、生れて来ていますが、
その指名をして、自分は特別などと想えば、
もはや、菩薩に足り得ず、衆生に過ぎません。
例えば、法を説くことを、誇るならば、
その瞬間、衆生に落とされ、輪廻します。
その存在が、説いた法は、総べて業になり、
その型に、似た形が溢れて、末法を早めます。
当然、私自身も、例外ではありません。
型として、天が望む事は、他の方と同じ。
自らの生を、唯一無二、芸術作品と見なし、
一日一生、感謝で磨いて、完成することです。
スワ 外に救いを望む者を、引き留めないのですか?
マコト 例えば、小学生は、中学に進んでいき、
その次に、中学生は、高校に進んでいく。
これこそが、小学生の、通常の進学であり、
ごく稀に、大学生に進む、飛び級があります。
同様に、地球人は、天人に進んでいき、
その次に、宇宙人は、天魔に進んでいく。
これこそが、地球人の、通常の進化であり、
ごく稀に、阿羅漢に進む、悟る道があります。
つまり、通常の人々は、大天使という、
堕天使に、天人の世界に、導かれるなら、
見事に、通常の進化を、果したと言えます。
殆んどが、退化する中で、稀有なることです。
一方、これでは、人界は改まりますが、
天魔が、支配する、欲界は革まりません。
ですから、ここでは、天使を神と見とめず、
天人に縋らず、天魔を越える、型と成ります。
タンゴ 災害が襲うのは、何時ですか、何処ですか?
マコト 真理を悟った者には、今日という日が、
最後の日であり、最高の日に見えてます。
朝に生まれて、夜に死んでいく、一日一生。
夜を待たず、昼に逝っても、差は在りません。
神仏を悟った者には、自身という場が、
神の依代であり、仏の浄土に見えてます。
神を宿せれば、常に神に仕える、聖地巡礼。
光を持てば、闇に行っても、差は有りません。
従って、この神社では、預言のような、
いつが危いとか、どこが険しいと言った、
悟りから遠ざける教えは、許されてません。
ひたすら、目の前の現実を、肯定して下さい。
とはいえ、真実でも、厳し過ぎる法は、
苦しむ人に対して、傷口に塩を塗ります。
傷に染みるなら、薬を塗ってくれますから、
救世主の方を訪ね、予定を尋ねると良いです。
サツマ 時々、この神社が沈黙するのは、何故ですか?
マコト この社は、未だ魔が入り込んでいない、
悟りの教え、神の道理が納められてます。
魔と交わして、夢を見たい方は招かれずに、
魔を挟まず、神を確める型が聘かれています。
従って、解く教えが、更に深くなると、
夢を信じたい子が、紛れ込んでいないか。
本当に悟りたいのか、本心を確かめるため、
無言に徹しながら、参拝者の選択を待ちます。
つまり、通常ならば、説けない教えを、
ここでは、解くことを、許される代わり、
深層に、入り込む者ほど、厳重に試される、
正神界の、厳格なる審査が、存在しています。
裏を返せば、この神社に現れる教えを、
間を挟まずに、時に合わせて読める人は、
神仏に認められ、悟るか否か見られている。
そう言っても、決して言い過ぎではないです。
ヒゴ ここの教えを読んで良い、条件は何ですか?
マコト 第一の条件とは、勧善なる善人であり、
放って置かれたら、善しかしない人です。
第二の条件とは、完全なる賢者であること。
既に解いた教えを、熟読して理解した者です。
以上を満たさずに、神の姿に触れると、
光が眩し過ぎて、目が瞑れてしまいます。
目を覚まそうとし、芽を潰してしまうこと。
この落し穴を憂いて、神は主を贈られました。
あなたは、この神社に早くから招かれ、
間違いなく、神縁を有すると言えますが、
上記の条件を、満たし切れずに不安定です。
心が恐る恐るで、真理を読み込めていません。
従って、救世主から、先ず学ぶ事です。
その結果、安定すれば、再訪すればよく、
主の場所が、安心すれば、定住しましょう。
どちらも、神の贈り物です、味わいましょう。
イヨ 次々に明かされる、核心の法に心が奮えます。
マコト 神の社が建って、数年間が経ちました。
弛むことなく、神の教えを修めたものは、
古に埋蔵されて、今に蘇った秘密の経典を、
最深部で味わえる、神の恩恵に与っています。
神の子が屠られ、二千年が過ぎました。
緩むことなく、神の戒めを守ったものは、
古に預言されて、今に甦った真理の御霊を、
最前列で味わえる、神の祝福に与っています。
つまり、正なる神は、干渉しませんが、
いつでも、あなた方を、観照しています。
そして、神が居ない世で、神に従がう者を、
最大限の、評価を与え、報いようとされます。
正なる神は、如何なる嘘も通じません。
神に近づくと、過去の全てが問われます。
神が見える所で、善を繕おうとも無駄です。
神が見えない時に、何を行ったかが重要です。
トサ ここまで、深い教えを、読んで良いのですか?
マコト この神社には、神芝居の種明しとして、
見事に演じ切り、大役を果した者たちに、
第四天界に於いて、弥勒が解くと言われる、
深淵な真理の教えが、厳重に納められてます。
つまり、大峠の最中に、神社を訪れて、
厳格な監視の中で、拝謁を許されるのは、
異例中の異例であり、神縁の中の真縁です。
貴方は大役を果たすと、神に観られています。
神の前で、我を訴えている、落書犯や、
法を盗んで、外で売っている、盗掘犯や、
欲の炎の中に、法を焼べている、放火犯は、
彼方は大罪を犯したと、神に見られています。
従がって、現在、神社に招かれた人は、
相当な覚悟を持ち、真理に臨むべきです。
邪なる興味を以って、神を覗いている人は、
漏れなく除かれるので、忘れた方が良いです。
イズミ この神社を、知人に紹介して良いですか?
マコト この神社は、根源神の直轄の地であり、
如何なる魔も、入り込めない禁足地です。
訪問者の心中に、邪な魔が混じっていれば、
速やかに曝されて、心を狂わせてしまいます。
ここは、例えるなら、ヒマラヤの山頂。
納められた真理は、チベットの埋蔵経典。
生半可な求道心では、辿り着けない所です。
訪問者の一挙一動、法の守護者が見ています。
神が招くから、立ち入りが許されます。
人に聘かれても、立ち入りは敵いません。
ですから、埋蔵の場所や、経典の中身など、
誰にも、広める事なく、胸に修めるべきです。
なんとしても、知人を救いたいのなら、
ヒマラヤの麓に、祇園精舎が存在します。
原始仏典を教える、阿難陀が居られるので、
精舎を紹介する事は、貴方の善徳になります。