第六章 第五一話 問答編
マサシ 神話(シンワ)とは、どういうものですか?
アキラ 神話は、深い意識に隠れる、型であり、
型から生まれた形が、浅い意識に現れる。
春分点が存在する、星座の神話が現れるが、
およそ、二千年を掛けて、春分点は移動する。
紀元前二千年頃からは、白羊宮の時代であり、
紀元後の元年頃からは、双魚宮の時代であり、
紀元後二千年頃からは、宝瓶宮の時代である。
マサシ 救世主(キュウセイシュ)は、何ですか?
アキラ 救世主は、時代の節目に世界に現れて、
型を演じて、次なる時代に導く者のこと。
彼は、終わる時代の型、最悪の象徴であり、
同時に、始まる時代の型、最善の象徴である。
ヒラド 本来、大災害を被るはずだったものが、
見えない導きで、奇跡的に救われている、
最近の状況を見て、そう感じてしまいます。
マコト たとえ、自分の人生が、苦しかろうと、
世の中が、新しい時代に、向かうのなら、
ここは、前向きに捉え、感謝しようとする、
貴い型が、その地方には、居られるからです。
あなたが、そこで、感謝し続けるほど、
あなたの周りは、弥勒の世に向かいます。
人は見てませんが、内なる神は見ています。
この貴い使命を、大切にして重んじて下さい。
ウベ 魚座に残る人、水瓶に進む人、その違いとは?
マコト 魚座とは、二元に別れる、時代であり、
外なる神の、善悪を懸けて、戦う刻です。
贖罪の山羊を、十字に架けて、始ったため、
善を訴える者が、悪に見つかり、屠られます。
つまり、魚座に止まる人、その特徴は、
善を勧め、悪を懲らす、天人のような人。
外に望んで、外に尋ねて、不安を埋める者。
自我を出して、人を集めて、慢心を抱く人々。
水瓶とは、一元に合せる、時代であり、
内なる神に、善悪を越えて、還る刻です。
真理の御霊が、真理を悟って、始まるため、
徳を覚った者が、悪を見とめて、参らせます。
つまり、水瓶に入れる人、その特徴は、
善を譲り、悪を許せる、菩薩のような人。
内に臨んで、内に訊ねて、安心を生める者。
真我を出して、独り静かに、虚心を擁く人々。
イズモ 何故、救世主を望むと、悟れないのですか?
マコト たとえ、内なる神を、説いていようと、
人々から、外なる神に、見られてしまい、
我と神、その間に入って、心を盗み取れば、
その型は、第六天魔の役に、違い在りません。
つまり、神に近しい、役であろうとも、
表の顔に、567、ミカエルを出すなら、
裏の顔には、666、ルシファーが潜むと、
見ない限りは、神を悟れず、巻き込まれます。
救いを望むなら、主に従えば良いです。
悟りを望むのなら、主さえ超えて下さい。
九分九厘の人が、悟りなど求めていません。
一厘の人だけ、最後の仕組を解けば良いです。
この一厘の法を、救世主を望む人々に、
解き明かして、水を差しては成りません。
本物の救世主に、救われる経験は稀であり、
将来に繋げる、貴い縁であると心得て下さい。
シナノ 厳密には、救いの道は、真理でないのですか?
マコト 我と神の間に、誰も挟んでは往けない。
この道こそ、魔を越える悟りの道であり、
私は勿論、救世主さえ挟んでは生けません。
挟めば、最終的に裏切られ悪魔と見做します。
とはいえ、正論では、誰も聴きません。
そこで、救世主は、時には魔逆も使って、
集まった人に合せた、救いの道を説きます。
裾野を広げるほど、歪めた教えが混じります。
例えば、神様を使うなと、説きながら、
自らには、人の子だからと、頼らせたり、
正なる神は、無言に徹すると、説きながら、
この子は、正しい霊媒だと、用いたりします。
これも、すべて、人々を救うためです。
救い主に、麓を広げて、頂いているため、
こちらでは、頂を歪めず、保たれています。
どちらも、必要であり、大事な役割なのです。
ヒダ 最後に裏切られるとは、どういうことですか?
マコト 自我を有すると、自我を越えるが故に、
真我のことが、非常に恐ろしく見えます。
真実の姿を、観照しなくても、済むように、
我と神の間で、緩衝するものが、救世主です。
例えば、偶像を作るなと、説きながら、
今の世は、英雄を要すると、紹介したり、
奇跡を望む、呪文を使うなと、説きながら、
命を縮めるが、これは本物だと、紹介したり。
予め、全てを教えて、本人に選ばせる。
これは、悪魔の契約と、何ら変らないと、
救世主の、教えに倣えば、魔に仕えません。
訓えよりも、救いを択べば、魔に捕まります。
彼らは、天国に生まれ、知恵が付くと、
漸く、天獄に落ちた、自身に気づきます。
そして、救世主は、ルシファーと訴えるも、
徹頭徹尾、救世主は、ミカエルそのものです。
エチゴ どうして、積極的に、返答しないのですか?
マコト 貴方と神の間に、私が入らない為です。
本来は、誰も挟んでは往けないのですが、
神に耐えない人は、救世主が間に入ります。
主を挟んだ人は、救われますが、悟れません。
あたかも、小学生に、担任が就く様に、
救いを望む人々は、救世主に誘われます。
啼けば宥められ、尋ねれば応えてくれます。
主は優しいですが、借を返すのが厳しいです。
さながら、大学生は、自身で学ぶ様に、
悟りに臨む人々は、自神に導かれてます。
泣けば咎められ、問うても答えてくれない。
神は厳しいですが、借が無いのが嬉しいです。
この地は、大学生が、集まる神社です。
自分は、あなたの前に、現われませんが、
同じ場に、居合わせ、同じ法を向いてます。
無言で、隣りに居ると、考えて頂きたいです。
ミノ 最近、救世主と対比するのは、何故ですか?
マコト 救世主の済度を、確められたからです。
陽が生まれるから、陰が埋まれるように、
主が、世の光となり、救いの道を勧めれば、
ここは、影の柱となり、悟りの道を進みます。
当初、主の実在を、知らなかった間は、
この神社に於いても、救いを説きました。
しかし、その縁で、招かれた人々にとって、
悟りの道は、厳し過ぎて、怯えるだけでした。
主による、救いの道を、確認したため、
今後は、悟りの道に、限定していきます。
現在、救いの法が、少しだけ残ってますが、
いずれ、掃き清めて、全て託してしまいます。
救いを求める方は、ここで見たことは、
全て忘れ去って、救世主に従って下さい。
歪みを持ち出して、波風を立てないように。
汝の為すべきを成せ、と、言われるだけです。
ミカワ 救世主に誘われると、借りを作るのですか?
マコト 救世の主は、救いの道を説き明かして、
集まる人々の、良くを適えてくれるため、
援けられた者は、良くの借りを背負います。
後に続く者の、良くを叶える、役を享けます。
具体的には、天人として欲天に生まれ、
大天使に仕え、欲界の仕掛けを調えます。
欲天は楽ですが、時には汚い仕事を授かり、
人間界に産まれて、頂点を支配したりします。
ミカワ 菩薩に導かれると、借りを作るのですか?
マコト 菩薩の社は、悟りの道を解き明かして、
集まる人々の、解くを叶えてくれるため、
助けられた者は、解くの借りを背負います。
後に続く者の、解くを適える、役を受けます。
具体的には、菩薩として色天に生まれ、
大御神に仕え、済度の仕組みを整えます。
色天は楽ですが、時には辛い使命を与かり、
人間界に産まれて、底辺を死守したりします。
イセ ここで、救いを望んでは、生けないのですか?
マコト 救い主が、救いの道を担当しています。
そこを訪ね、道を尋ねると良いでしょう。
その型は、内なる神を説く、外なる神です。
そこ以外は、魂を巣喰われる、掬いの道です。
この社は、悟りの道を担当しています。
大峠を越え、弥勒の世を迎えられた者が、
存在に気づき、答え合わせをする場であり、
それまでは、独り静かに菩薩を迎える場です。
従って、打ち拉がれた、人に合わせて、
答えを歪めることは、許されていません。
誰であれ応えることは、赦されないのです。
総べてが治まったら、その時に訪ねて下さい。
一方、大峠の最中に、この地を訪れて、
逸早く、答え合わせを、行う方が居ます。
その方が、大いなる神に、完璧に認められ、
見事に、菩薩に成れば、弥勒の型と為ります。