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物語編

第六章 第五四話 問答編

マサシ 菩提心(ボダイシン)は、どんなものですか?

 

アキラ 菩提心とは、悟りを求める、心のこと。
    梵語では、ボーディ・チッタと呼ばれる。
    菩薩は、衆生済度を通して、智と徳を培う。
    菩提心を発し、涅槃に入らず、輪廻に止まる。

 

マサシ 衆生済度(シュジョウサイド)の仕組は?

 

アキラ 衆生済度は、あらゆる衆生を救うため、
    想像を絶する、多様な仕組が整えられる。
    菩薩は、菩提心に応じ、多様な天命を演じ、
    その中に、到底、菩薩に見えない、役もある。

 

    

 

 

マサシ 釈迦の済度とは、どういうものですか?

 

アキラ 釈迦の菩薩心とは、王者の済度であり、
    あたかも王者が、民の頂点に立つように、
    天界の光を示して、衆生の模範となり導く。
    衆生は、彼らを、神や聖者と見なし崇拝する。

 

    

 

マサシ 弥勒の済度とは、どういうものですか?

 

アキラ 弥勒の菩薩心とは、船頭の済度であり、
    あたかも船頭が、船の先頭に立つように、
    人々の間に生きて、衆生と歴史を紡ぎ出す。
    衆生は、彼らを、敵や味方と見なし愛憎する。

 

    

 

マサシ 文殊の済度とは、どういうものですか?

 

アキラ 文殊の菩薩心とは、牧童の済度であり、
    あたかも羊飼が、羊の後方を守るように、
    地獄の底を塞いで、衆生の底辺から支える。
    衆生は、彼らを、魔や乞食と見なし誹謗する。

 


 

フシミ 社会の底辺で、苦しみもがいています。

 

マコト 私も、地獄の底を支える、役ですから、
    侮られたり、蔑まれたりの、此の命です。
    それゆえ、貴方の辛さは、良く解りますが、
    だからとて、甘い言葉など、掛けられません。

 

    その代り、私と同じく、悟りに近いと、
    貴方を、心から励ますことは、出来ます。
    今の役を、前向きに認めて、感謝出来れば、
    弥勒の世を、誰より早く、認める事でしょう。

 

    上が下に下が上に、前が後に後が前に。
    ありとあらゆる物が、引っ繰り返ります。
    真理を修めて、如何に、恵まれているのか、
    貴方自身が認めて、感謝すると良いでしょう。

 


 

チチブ 現代の大峠において、降りて来ている、
    菩薩には、どういう役が、あるのですか?

 

マコト 現代は、この人界が、宇宙の型となり、
    三千世界を、建て替える、真っ最中です。
    この時のため、苛酷なる試練に耐え抜いた、
    歴戦の勇士、因縁の御魂が、集まっています。

 

    超常の力を使い、人を導いていくのが、
    王者の済度を司る、救世主の菩薩ですが、
    今回は、人々を、内なる神に導く要があり、
    表に出て、奇跡を示すことは、避けています。

 

    安易に表に出て、人々を甘えさせれば、
    弥勒の世に導けず、地獄に誘ってしまう。
    そのことを弁えずに、顔を出している人は、
    この大切な時機に、使命を果し損ねています。

 

    地獄の底を塞いで、人々を支えるのが、
    羊飼いの済度を司る、智慧の菩薩ですが、
    彼らは、社会の底辺で、真理を修めながら、
    人に、知られることなく、良き型となります。

 

    誰にも頼れない、誰にも認められない、
    究めて厳しく、極めて難しい使命ですが、
    弥勒の世の、良き型となる、大事な役です。
    あなたが臨むなら、影から護られるでしょう。

 


 

ナバリ 菩薩は、記憶を失って、下生するのですか?

 

マコト 記憶を保持して、人間界に転生すると、
    特別な存在になり、手本には成れません。
    世の人は、神の力に、頼ろうとするばかり、
    自らの力で、神の下に、還えらないからです。

 

    そのため、菩薩は、人々と同じように、
    すべてを忘れて、人間として生まれます。
    そして、他と並んで、汗と涙を流しながら、
    真理を思い出すために、試練を乗り越えます。

 

ナバリ 超常の力を有した、菩薩は居ないのですか?

 

マコト 天才を持って、人間界に生まれるのは、
    その背後に、天人や幽霊が憑く場合です。
    その場合、宗教団体を作り、信者を集めて、
    自分こそが、神の子であると、信じさせます。

 

    非常に稀ですが、王者の済度を司ると、
    神通を持って、生まれることも在ります。
    この場合は、天人と同じ土俵に上がるため、
    寄り縋る者に、初歩的な教えしか説けません。

 


 

イマリ 菩薩は、特別な存在ではないのですか?

 

マコト 菩薩は、世の人々の、手本となるため、
    人として、世に生まれ、生きて行きます。
    人々が、この人は違うと、思ってしまうと、
    神として、壁を観じるため、型に成れません。

 

    特に、船頭の済度を司る、弥勒菩薩は、
    人々と、同じ船に乗り、荒海を渡ります。
    人よりも、少し早く悟り、先に立ちますが、
    決して、高みの見物を、気取ったりしません。

 

    だからこそ、弥勒の済度は、一蓮托生。
    豪華船の、有名な映画に、喩えられます。
    沈没前にも、沈没の中にも、背景と化して、
    乗客のために、混沌の出口を、奏で続けます。

 


 

カミ  天才が無ければ、悟れないのではないですか?

 

マコト 今も昔も私に、特別な才は有りません。
    強いて挙げれば、苦しんで考え続ければ、
    人に聞かなくても、答えが解かった位です。
    後は、神の試練から、泣いても逃げなかった。

 

    こうして、答えは、教えていますから、
    すでに、我々の間に、差異は在りません。
    ですから、誰だろうと、特別な才なくして、
    後は、神の試練から、逃げなければ悟れます。

 

    実際、ここを訪れている、失礼ながら、
    私と良く似ていて、平凡な人々の中には、
    神の試練に、泣きながらも、笑おうとして、
    神に愛されて、導かれている、勇者も居ます。

 

    つまり、悟るために、必要なものとは、
    日々、正しい考え方を、修め続けること。
    日常で、歪んだ考え方を、捨て離れること。
    後は、神の激しい愛に、泣き笑いして下さい。

 

カミ  天才が無ければ、悟ったとは言えないのでは?

 

マコト ここは、弥勒の済度を、務めています。
    別名では、船頭の済度と、呼ばれていて、
    手本として、船の先に立つ、事は有っても、
    一蓮托生、同じ船に乗り、苦楽を共にします。

 

    さらに、文殊の済度に、努めています。
    別名では、牧童の済度と、呼ばれていて、
    心の中では、大峠を越える、事は有っても、
    最後尾で、世の殿を守り、最悪を覚悟します。

 

    もし、ここに於いても、本分を弁えず、
    天才を発揮して、王者の済度を行なえば、
    ここにも、天才に甘える、赤子が集まって、
    依然として、差を許すため、誰も悟りません。

 

    大峠を越えて、弥勒の世を迎えるには、
    どうしても、弥勒菩薩の誕生が必須です。
    天才が有ると、差が生じて、生まれません。
    現れるとすれば、皆と同じか、一番最後です。

 


 

ミトヨ どうして、王者の済度は、悟り難いのですか?

 

マコト 目の前に、神々しい、御使いが現れて、
    次々に、未来のことを、言い当てたりや、
    遙に、人知を超える技を、魅せ付けられて、
    果して、自らとの間に、差を感じず済むのか。

 

    この型は、他と違い、信じるに値する。
    このように、あなたが、思い至った瞬間、
    才に触れ、あなたは、救いには近づいても、
    差異に振れ、あなたは、悟りから遠のきます。

 

    この型は、他と同じ、認めるに値する。
    いくら、超常の才知を、魅せられようと、
    同じだと、見抜かないと、差が取れません。
    これは、深い智慧が無いと、到底不可能です。

 

    そこで、見窄らしい、御使いが現れて、
    世の人と、同じ立場で、手本を示します。
    彼らは、救い主としては、頼りないですが、
    逆説的に、導き手としては、拠るべき者です。

 


 

サカタ 少しずつ、真理が、改革されていませんか?

 

マコト 真理そのものは、何も変わりませんが、
    その説き方は、より解りやすくなります。
    よって、先に来る人より、後から来る方が、
    様々な意味で、真理の道は、修めやすいです。

 

    何故なら、貴方の様に、真理を修めて、
    菩薩として、生きる人が、世に現れると、
    三千世界の大改革を、足元で支える存在が、
    すこぶる喜ばれて、祝福を授けて下さります。

 

    その恩恵は、頭を引き抜く形で返らず、
    その者の足を、強く支える形で還ります。
    この真理の社の、掃除人の私も例外でなく、
    より、美しい掃除の才として、還っています。

 

    即ち、皆さんと私は、真理の船に乗り、
    各自が、動力を務めて、改革が進みます。
    この船を、足元で支える、大いなる存在は、
    全てが、終わった後に、弥勒菩薩と銘じます。

 


 

イセ  救いを求めるのは、ここで良いのですか?

 

マコト ここは、神に会せる、法を解いていて、
    別の型が、人に合せた、法を説いてます。
    貴方が、悟りを望むなら、ここが相応しく、
    一方、救いを望むなら、そこが相応しいです。

 

    そこでは、苦しむ人々に、向けられて、
    内なる神を説く、外なる神が居られます。
    この地に、立ち寄れる、縁が在りますから、

    そこに、救い上げられる、縁も有るはずです。

 

    救いを説く形は、多く現れていますが、
    本物と言える型は、たった一つだけです。
    縁が在れば、会えますから、探して下さい。
    本物とは、内に在る神を説く、外なる神です。

 

    一方、我が外に、神を認めてしまうと、
    悟りに至ることは、甚だ難しくなります。
    そこに辿り着けたら、ここの教えは忘れて、
    救世主に、付き従がうことを、強く勧めます。

 


 

サヌキ 最近、未来に対する、不安が消えました。

 

マコト 内なる神の存在を、感じる様になると、
    愛されなくても、孤独感を抱かなくなり、
    未来に対して、不安感を擁かなくなります。
    当然、他と比べ、劣等感など湧き上りません。

 

    その一方、依然として、体に関るもの。
    例えば、空腹や疲労感は、涌き続けます。
    それこそ、他の人には無い、力が着いたり、
    他の人より、安楽になる事も、在り得ません。

 

    何故なら、この道に、導かれるものは、
    船頭の済度を司る、弥勒菩薩だからです。
    人と共に歩んで、手本を見せる役目であり、
    人の上に立つ、王者の済度は担っていません。

 

    とはいえ、人々が弥勒の世に至るとき、
    人々と共に、菩薩も別物まで進化します。
    輝いていたり、飛んでいるかもしれません。
    否、そんなこと、どうでもいいが、本物です。

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