第六章 第五六話 問答編
マサシ 光を持す者とは、どういうものですか?
アキラ 光を持す者は、人類に尽す悪魔のこと。
英語では、イルミナティと呼ばれている。
人類が経験するべき、仕組みを整えるため、
あらゆる天命を演じて、人類の歴史を動かす。
マサシ 迷妄(メイモウ)は、どういうものですか?
アキラ 迷妄は、目が曇って、眠っていること。
梵語では、マーヤーと、呼んでいるもの。
眠れる者は、誰もが、褪めてない様に見え、
誰しもが、夢中になり、生きている様に見る。
マサシ 覚醒(カクセイ)は、どういうものですか?
アキラ 覚醒は、目が覚めて、起きていること。
梵語では、ブッディと、呼んでいるもの。
覚めた者は、誰もが、醒めている様に見え、
誰しもが、夢中になり、演じている様に見る。
ムサシ 政府の計画は、何を意図しているのですか?
マコト 人体に打つ政策も、月面に撃つ政策も、
窮した人類の選別を、目的としています。
新時代に相応しい命に、進化できない者は、
月の審判が下されて、地球の外に誘われます。
表の仕組は、裏の仕掛に使われていて、
地球の仕掛は、月の仕組に遣われてます。
この月の支配は、天魔の命を授かっていて、
その天魔の統治は、神様の命を受けています。
即ち、どれだけ、極悪に見えていても、
突き詰めれば、神の意図に行き着きます。
人口を削減する、悪魔の如き闇の支配者も、
彼らは真剣に、神意を適えようと努めてます。
しかし、下々の我らも、上々の彼らも、
自らの欲に囚われて、善悪に捕まります。
各自の知恵に相応しい、世界に引っ掛かり、
自ら行き先を決めていく、これが神の糸です。
ムサシ 創造主の意図とは、どういうものですか?
マコト 創造主は、自ら自身を、良く知るため、
自らの性を、欲界として、容に変えると、
自らの分霊を、衆生として、宿らせました。
そして、天魔に、その管理を、任かせました。
欲を下手に使えば、悪い世界に埋まれ、
良くを上手に遣えば、善い世界に生まれ、
最終的に知恵が実って、良く使いこなすと、
魔を越えて神に還るよう、自らに仕掛ました。
即ち、神の分霊である、全ての衆生は、
本来は、神の性質である、総べてが良い。
にもかかわらず、知恵が実っていなければ、
欲に支えてしまい、善悪に分けてしまいます。
従って、総てが良い、全て神であると、
心から宣言すれば、魔は引き下がります。
その一方、少しでも、隙が残っているなら、
不完全で御座いますと、魔に付け込まれます。
ブゼン 現在、起きていることが、分かって来ました。
マコト 九分九厘の方は、何も分からないまま、
この激動の時代に、立ち向かっています。
一方、一厘の型だけ、最終の審判に於いて、
模範解を示すため、真理に巡り合っています。
真理とは、宇宙の仕組を解くものです。
理解すれば、全ての現象の意味が分かり、
理の勝負から、器の勝負に入って行きます。
最終試験は、解ったら終わりでは在りません。
偉大な過去の因縁から、真理に出会い、
理論の試験を飛び越した、因縁の御魂は、
授かった真理を修めて、真理の御霊となり、
実践の試練に於いて、神意に応えるべきです。
その一厘の型が、九分九厘の為になり、
五十六億七千万年後、次の試験の時には、
自ら真理を解いて、他に説く因に成ります。
今回は素直に教わり、次回は自力で解くこと。
アワ 私は、真理を読んでも、構わないのですか?
マコト 今日の日までに、社に納められた法を、
最新巻に至るまで、心に修められた方は、
物語編六章五六話に、登場する使徒として、
因縁の御魂として、正式に登録を受けました。
あなた方は、大神の導きを享けており、
私と同様、人類の殿を守る役を負います。
確かに、これからも艱難は続くでしょうが、
どの涙も、心を浄化する嬉し涙に変わります。
器が大きい者ほど、証を頂けませんが、
いつでも近くに、大神を感じるでしょう。
救世主の縁者達が、生き乍らに救われる中、
救い無きままに、死に逝けば真理の御霊です。
御霊に与えられる証は、真理だけです。
逆に、他の人々には、真理は要りません。
もはや、読んでも、神の導きは有りません。
今日を境にして、悟りの門は閉め切りました。
デワ 私も、真理を読んでも、構いませんか?
マコト 残念ながら、悟りの門は閉されました。
あなたが、真理の教えを読んだとしても、
今の機会は、解りはしても悟れはしません。
なぜなら、大神の導きに与かれないからです。
次の機会に、悟りの門が開かれるのは、
遙か未来、次の人界が創られてからです。
それまでは、天界で侘びるしかありません。
未だ開かれた、救いの門の方を叩くべきです。
そして、あなたが救いを求めるのなら、
頑として、あなたは悟りを諦めましょう。
というのも、悟りは救いと真逆の道であり、
あなたを、救世主から解き放ってしまいます。
どうしても、悟りの道に触れたければ、
救世主により、弥勒の世に救われてから、
内院に変わった、この神社を訪れましょう。
然し、その時には、その気も失せていますが。