第六章 第四十話 対話編
CASE 奴隷 の裏に 王者
マナミ ねぇ、スードラ、奴隷は、どういうものなの?
マサシ 奴隷は、法を軽んじて、業に縛られる者だよ。
マナミ すなわち、法に捕われず、業に囚われるの?
マサシ そうさ、法を外に見て、その責を外に求める。
マナミ 我が外に、法を捕えると、どうなるのかな?
マサシ 次第に、法が業となり、自由が減っていくよ。
マナミ じゃ、ラージャ、王者は、どういうものなの?
マサシ 王者は、法を重んじて、業に縛られない者さ。
マナミ すなわち、業に捕われず、法に囚われるの?
マサシ そうさ、法を内に見て、その責を外に求める。
マナミ 我が内に、法を捉えると、どうなるのかな?
マサシ 次第に、業が法となり、自由が増えていくよ。
マナミ じゃ、業に縛られるなら、業が増えていき、
反対に、法に縛られるなら、業が減っていく?
マサシ うん、ダルマは、自由になる、不自由なのさ。
カルマを越えたら、ダルマも要らなくなるよ。
マナミ 逃げようと思う限り、不自由なままだけど、
挑どもうと想い立てば、自由になっていくの?
マサシ うん、真の王者の責任は、本当は重いんだよ。
マナミ ……………………!!
CASE 奴隷 の先に 王者
サトミ 自由が無い、奴隷って、どういうものかな?
メグミ 奴隷とは、外に望むから、業に縛られる者よ。
サトミ たとえ、思いのままでない、環境に居ても、
耐え抜き、外に望んでないと、どうなるかな?
メグミ 次第に、意が強くなるから、外に関わらず、
心が晴れ、在りのままに、生きて行けるのよ。
サトミ 自由が有る、王者って、どういうものかな?
メグミ 王者とは、内に臨むから、業が解かれる者よ。
サトミ たとえ、想いのままになる、境地に居ても、
甘え過ぎ、内に臨んでないと、どうなるかな?
メグミ 次第に、意が弱くなるから、外に係わらず、
心が病み、在りのままに、生きて行けないよ。
サトミ つまり、内に臨むほど、心が強くなるから、
最終的に、外の物に、全く囚われなくなるの?
メグミ そうよ、どんな使命を、果すことになっても、
我を忘れ、業に縛られず、徳を積んでいくの。
サトミ たとえ、何を行っても、徳を積めるなんて、
あたしも、そんな境地に、早く為りたいなあ。
メグミ うふっ、外に望んでいたら、永遠に来ないよ。
サトミ ……………………
CASE 王 者 の ヨ ー ガ
サトシ ラージャ・ヨーガって、どういうものかな?
マサシ 八段階を修めて、心を統御する、方法なのさ。
サトシ じゃ、ヤマ、禁戒って、どういうものなの?
マサシ 禁戒とは、悪業を減らして、闇を消すことさ。
サトシ じゃ、ニヤマ、勧戒って、どういうものなの?
マサシ 勧戒とは、善業を増やして、光を灯すことさ。
サトシ じゃ、アーサナ、坐法は、どういうものなの?
マサシ 坐法とは、体を整えて、安定して座ることさ。
サトシ プラーナヤーマ、調気は、どういうものなの?
マサシ 調気とは、気を調えて、心が安定することさ。
サトシ プラティヤハラ、制感は、どういうものなの?
マサシ 制感とは、感覚を制し、内側に向かうことさ。
サトシ じゃ、ダラーナ、凝念は、どういうものなの?
マサシ 凝念とは、一点に集中して、念を凝らすのさ。
サトシ ディヤーナ、禅定って、どういうものなの?
マサシ 禅定とは、全体に集中して、念が広がるのさ。
サトシ サマーディ、三昧って、どういうものなの?
マサシ 三昧とは、主体と客体が、合一することさ。
そして、在りのままが、思いのままになるよ。
サトシ ……………………!!
CASE 王者なき奴隷 と 奴隷なき王者
サトミ 奴隷と王者、どちらを、重んじるべきかな?
メグミ どちらも、同じぐらいに、重んじるべきなの。
サトミ 自由を望む、奴隷って、どういうものかな?
メグミ 奴隷とは、業に縛られて、欲が表われる者よ。
サトミ 自在に臨む、王者って、どういうものかな?
メグミ 王者とは、業が解かれて、徳が現われる者よ。
サトミ 奴隷を望み、王者に臨まないと、どうなるの?
メグミ 王者なき奴隷なんて、唯の束縛に過ぎないよ。
サトミ じゃ、好きにしていて、好きに為らないの?
メグミ そうよ、徳が足りないと、心が充たされない。
サトミ 王者を望み、奴隷に臨まないと、どうなるの?
メグミ 奴隷なき王者なんて、只の解放に過ぎないよ。
サトミ じゃ、何をしていても、嫌いに為らないの?
メグミ そうよ、欲が足りないと、心が満たされない。
サトミ 奴隷だけは、自由に為らず、充たされないし、
王者ばかりは、自由に過ぎて、満たされない?
メグミ うん、奴隷と王者、その両方が、必要なのよ。
サトミ じゃあ、奴隷を負って、王者を追っていくの?
メグミ うん、奴隷を究めて、王者を極めていくのよ。
サトミ ……………………!!