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物語編

第六章 第六五話 問答編

マサシ 日月神示(ヒツキシンジ)は、何ですか?

 

アキラ 日月神示は、岡本天明が、霊媒となり、
    自動書記で授けられた、神の啓示である。
    国常立尊から下ろされた、預言書でもあり、
    世界を立て直す、神の計画が、記されている。

 

マサシ 日光(ニッコウ)は、どういうものですか?

 

アキラ 日光は、自ずから輝く、日の光であり、
    闇に対し、照らし続ける、神の光である。
    たとえ、見えなくても、消えた訳ではない。
    いつでも、見えない所で、闇を照らしている。

 

マサシ 月光(ゲッコウ)は、どういうものですか?

 

アキラ 月光は、他により輝く、月の光であり、
    闇を抱え、満ちて欠ける、我の光である。
    たとえ、欠けていても、消えた訳ではない。
    すぐにも、日に臨むなら、光が現われてくる。

 


 

フジ  どうして、神示ではなく、真理なのですか?

 

マコト これ以上、外に神を望まないためです。
    神が言ったから、正しいでは魚座のまま。
    水瓶座の時代、弥勒の世に向かうためには、
    真理の御霊となり、内なる神に臨んで下さい。

 

フジ  真理を見極めるには、どうすれば良いですか?

 

マコト Aが生まれると、非Aが埋まれている。
    Aが究められると、非Aに極わめられる。
    Aのない非Aはなく、非AのないAはない。
    Aと非Aを等しく重んじる、これが真理です。

 

    Aに、何を代入しても、成り立ちます。
    これに、例外が漏れると、無智が生じて、
    どちらか、絶対と信じると、偶像が生じる。
    真理は、この漏れを尽す、止どめの真智です。

 

フジ  では、これと同じことを、説いていれば、
    どこで、誰が説いていようと、真理ですか?

 

マコト 同じことを、語っていれば、そうです。
    自らにも、当て嵌めれば、悟っています。
    自らに、当て嵌めなければ、騙っています。
    今後、どちらも増えます、自ら悟って下さい。

 


 

ハダノ 真理に巡り合うことが、如何に有り難いか、
    仏典に説かれていますが、実感が湧きません。

 

マコト 人より、天人の方が、知性が高いから、
    人界より、天界の法が、真理が在るはず。
    そう想うことによる、誤解に他なりません。
    天人が説く教えは、欲天の考えに過ぎません。

 

    宇宙広しと雖も、真理が解かれるのは、
    仏陀が降り立った、人間界に限られます。
    その人界でさえ、天人や幽霊の影響を受け、
    邪法が蔓延り、真理が霞んでいる有り様です。

 

    更に、たとえ、真理を説き明かしても、
    瞬く間に、善意の天人が捻じ曲げるため、
    広がるのは、法ではなくて、業ばかりです。
    万世不易の筈が、魔に憑かれ、腐り始めます。

 

    以上を踏まえると、盲目の亀の喩えは、
    的を射ていると、良く実感できる筈です。
    たとえ、神示と呼ばれる、神霊の導きさえ、
    霊言には、虚が混じり、真理ではありません。

 

ハダノ 日月神示でさえ、真理ではないのですか?

 

マコト それが、意識的にせよ、無意識にせよ、
    神示には、本来的に、嘘が入り込みます。
    それ故、人の世に、真理が説かれるときは、
    必ず、人の姿をした、仏陀により解かれます。

 


 

オワリ どうして、神示には嘘が入るのですか?

 

マコト ダルマの本質は、言行が一致すること。
    言っていることを、行っていることです。
    同じ教えを説いても、悟っていないならば、
    それは、ダルマでなく、カルマに過ぎません。

 

    どれだけ、高い世界の教えであろうと、
    口ばかりの存在が、その間に入り込めば、
    それは、魔と為って、虚に付け込まれます。
    本質的に、神示は、カルマを越えられません。

 

    それゆえ、人類に、真理を説くときは、
    人に生まれ、実際に、カルマを越えた後、
    自らの言葉で、人々に、ダルマを説きます。
    これ以外に、魔を越える、真理は解けません。

 

オワリ 神示と真理の違いは、どういう所ですか?

 

マコト 神示とは、悩める人類を、慰める教え。
    悪い所から、善い処にまで、誘いますが、
    魔が入っているため、間が与えられるだけ。
    猶予を頂いた後に、同じ所まで戻って来ます。

 

    真理とは、迷える人類を、覚ます教え。
    巡る所から、還る処にまで、導きますが、
    魔が入ってないため、神と向かい合います。
    試練を戴いた後に、神の許に還って行きます。

 

オワリ 神示や霊言は、読んでも、悟れませんか?

 

マコト 霊言は、自らに拠らず、他に依るため、
    どれだけ、真意を望んで、解釈しようと、
    結局は、業に相応しい、我に落ち着きます。
    その間に、錚々たる魔に、憑かれて逝きます。

 

オワリ 神示の解釈を、説く人々がいますが、
    それは、やるべきではないことですか?

 

マコト それらは、ダルマでなく、カルマです。
    何を選んだにせよ、我を越えられません。
    しかし、その中から、善いカルマを選べば、
    暇を貰い、善い世界に行くことは、可能です。

 


 

トサ  知らなかったのに、知っていたような、
    不思議な感覚が、読んでいると生じます。

 

マコト 神界と人界は、次元が掛け離れるため、
    従来ならば、幽界の存在が使いとなって、
    神に代わって、神示を伝えに来ていました。
    声が聞える、手が震えるは、幽界の仕業です。

 

    こうして、外なる霊に頼っている限り、
    どうしても、外なる神を超えられません。
    それゆえ、最終の段は、神示は封印されて、
    根源の神が、直接に導く、真理が説かれます。

 

    神の直轄地たる、真理の神社に於いて、
    真剣を学ぶと、霊が憑らず神が寄ります。
    霊に合うと、声が聞えたり姿が見えますが、
    神に会えれば、胸が熱くなり涙が零ぼれます。

 

    また、魔の示唆は、曖昧を許しますが、
    反対に、神の指導は、明確に伝わります。
    即ち、解釈を赦さない、瞬時の理解として、
    元から、知っていた様に、脳裏に浮かびます。

 


 

イワミ すべての魂が、真理を悟ることが出来ますか?

 

マコト 真理は、真我から見た、世界観であり、
    裏は、自我から見た、世界観になります。
    自我は、長きに渡って、輪廻を繰り返して、
    最終的に、漏れる事なく、真理に到達します。

 

    自我は、Aであるが、非Aではないと、
    思いの儘、空を隠して、色を見ています。
    Bにしても、Cにしても、是か非を選んで、
    色々な見方が、存在できて、個性が生じます。

 

    真我は、Aであるが、非Aでもあると、
    在りの侭、色を透して、空を見ています。
    Bにしても、Cにしても、是も非も択んで、
    様々な見方が、存在できず、個性が消えます。

 

    頑固にして、凶暴な自我であろうとも、
    生まれ変わり、真逆の立場を経験すれば、
    否応なしに、角が削れて丸くなるものです。
    魂が古いほど、大いなる空、神に近づきます。

 


 

シナノ まさか、〇〇を常食する時代が来るとは。

 

マコト 大峠の前には、人が暮す地球でしたが、
    大峠の後は、人に非ざる者が暮らします。
    裁きが終ると、良きにつけ、悪しきにつけ、
    地球の上からは、従来の人は、消え失せます。

 

    一厘の人々が、救いの教えに導かれて、
    天人になるため、主の洗礼を享けてます。
    九分九厘の人々は、迷いの教えに誘われて、
    家畜になるため、宇宙人の洗脳を受けてます。

 

    つまり、四つ足で這う者が顕われると、
    その裏で、背の光で舞う者も現われます。
    ただし、下から上には、何も見えないため、
    表に現れて来るのは、下に向かう者だけです。

 

    そういう理由から、本物は見えません。
    表に現れる物は、幽界由来の洗脳者です。
    彼らは、餌を貰いながら、主人に操られて、
    家畜に相応しい考えを、人々に教えています。

 

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